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第0215話 大正期の東屋の客

二代目女将=長谷川たかの時代

  1916(大正5)年1月7日、旅館東屋の初代女将=長谷川ゑいは、腸閉塞のため鎌倉の病院で没した。
  2代目女将にはゑいの姉=長谷川たか(多嘉・タカとも)が就いた。たかは長谷川家の次女。長女は夭折したので、実質上長女の役割を果たしていた。ゑいが才色兼備で人気があったのに対し、たかは極めてしっかり者であったといわれる。このたかの一人息子=龍三は、後の画家=長谷川路可であるが、母が二代目女将を嗣いだ頃は、暁星中学を卒業し、東京美術學校入学準備期間、すなわち浪人中だった。

「文士宿」の発展

 神楽坂箪笥町の名料亭=《吉熊》の女中頭をしていた長谷川 榮(ゑい)は、硯友社などの在京文人に知られており、そのことが東屋が「文士宿」と呼ばれるようになるきっかけになったであろうことは既に第0146話で紹介したところだが、二代目のたかの時代になってもその傾向は続いた。というか、更に発展した。江之島電氣鐵道の開通によって交通アクセスが便利になったこと。それによって別荘地開発が軌道に乗り、一方、貸別荘も各所に造られ、それを借りた若き文化人の活躍も盛んになったことも見逃せない。さらに東屋に隣接して《鵠沼海濱病院》が開設され、転地療養施設としても盛んに利用されるようになった。
 前にも述べたように、東屋には宿帳が残されていないので、どういう文士がいつからいつまで滞在したのか、明確な記録がない。これまで判明した文士の記録は、小山文雄氏の永年にわたる調査に負うところが多い。
 それによると、大正期には次のような文士の止宿、滞在が判明している。
  • 谷崎潤一郎(1886-1965)
  • 武者小路実篤(1885-1976)
  • 有島武郎(1878-1923)
  • 久保田万太郎(1889-1963)
  • 松根東洋城(1878-1964)
  • 武林無想庵(1880-1962)
  • 宇野浩二(1891-1961)
  • 近松秋江(1876-1944)
  • 徳田秋声(1871-1943)
  • 與謝野寛(1873-1935)
  • 與謝野晶子(1878-1942)
  • 北原白秋(1885-1942)
  • 西村伊作(1884-1963)
  • 島田清次郎(1899-1930)
  • 佐佐木茂索(1894-1966)
  • 吉屋信子(1896-1973)東屋より中屋を多く利用している
  • 大杉 栄(1885-1923)
  • 江口 渙(1887-1975)
  • 佐藤春夫(1892-1964)
  • 久米正雄(1891-1952)
  • 北村初雄(1897-1922)
       1920(大正9)年12月9日、東屋に集う與謝野晶子、北原白秋、與謝野寛、西村伊作ら

大正期の東屋に滞在した文人
    
西暦 和暦 記                        事
1914 大正 3 3   小説家=谷崎潤一郎(1886-1965)、早川を引き払い東屋の離れに滞在
1914 大正 3 12 30 ~1915/1.12、武者小路実篤(1885-1976)、東屋で越年。戯曲『その妹』の執筆を開始
1915 大正 4 4 25 小説家=有島武郎(1878-1923)、鎌倉から鵠沼に行き、東屋で武者小路実篤に会う
1917 大正 6 5   小説家=久保田万太郎(1889-1963)、祖母と東屋に滞在して『末枯』を執筆→10月三田文学に発表
1918 大正 7 3   ~9月、谷崎潤一郎、東屋の離れにせい子と滞在。『金と銀』『小さな王国』を執筆。里見弴と交流
1919 大正 8 9   俳人=松根東洋城(1878-1964)、「渋柿」の同人と仲秋三夜の月を求め、東屋に泊まる。
1920 大正 9 2 ~3月末、武林無想庵(1880-1962)、東屋九号室に滞在。中平文子・内藤千代子と知り合う
1920 大正 9 3   小説家=宇野浩二(1891-1961)、鵠沼東屋で執筆
1920 大正 9 6 14 小説家=近松秋江(1876-1944)・徳田秋声(1871-1943)、中村武羅夫を尋ね東屋に二泊
1920 大正 9 12 9 歌人=與謝野寛・晶子夫妻、北原白秋・西村伊作らと東屋に泊まる
1921 大正10 2 26 島田清次郎、中村武羅夫宅を訪問、久米正雄・佐佐木茂策と共に東屋で会食
1921 大正10 4   小説家=宇野浩二(1891-1961)、東屋に数日滞在。江口 渙の訪問を受ける
1921 大正10 初夏 吉屋信子(1896-1973)、東屋に滞在して『海の極みまで』を書きつぐ
1921 大正10 9 思想家=大杉 栄(1885-1923)、東屋に滞在して『自叙伝』を書き始める。吉屋信子と面会
1921 大正10 10   宇野浩二、東屋に10日余り滞在。『文学の三十年』に里見・久米・芥川・佐佐木・大杉と面会
1921 大正10 10   江口 渙(1887-1975)、宇野浩二を追って東屋にくる
1921 大正10 11 4 詩人・小説家=佐藤春夫(1892-1964)、東屋に滞在。『都会の憂鬱』を執筆
1921 大正10 11 5 思想家=大杉 栄、東屋に滞在中の佐藤春夫を訪問
1921 大正10   小説家=徳田秋声(1871- 1943)、東屋に滞在。後に『私の見た人』を執筆
1922 大正11 2   小説家=久米正雄(1891-1952)、東屋に滞在
1922 大正11 10 30 ~11.3、大杉 栄、東屋に投宿。31日は朝飯がすんだら鎌倉行き
1922 大正11 11 6 ~12.2、詩人=北村初雄(1897-1922)、東屋で静養
1922 大正11 12 2 北村初雄、東屋にて病没
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼ゆかりの文化人』(2007)
  • 小山文雄:『個性きらめく』(1990)/『続個性きらめく』(2002)
  • 高三啓輔:『鵠沼・東屋旅館物語』(1997)
 
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