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第0146話 明治期の東屋の客

「文士宿」東屋

 第0140話に記したように、東屋滞在の文士として記録に残る最初は広津柳浪(1861-1928)で、1897(明治30)年秋に東屋に滞在し、小説『くされ縁』を執筆している。彼は、そこで立ち働く女将が、硯友社が愛用していた神楽坂箪笥町の名料亭=《吉熊》の女中頭=長谷川ゑいであることに驚き、硯友社の仲間に知らせたのであろう。恐らくこれが、東屋が「文士宿」と呼ばれるきっかけだったと思われる。
 東屋開設のきっかけは、鐵道の開通と鵠沼海岸海水浴場の開設だった。ねらいは長期滞在型の海水浴客の受け入れと、オフシーズンには転地療養者の受け入れである。
 これは、伊東將行が埼玉県吹上出身の医師=福田良平を招聘し、東屋近くに「鵠沼海浜医院」を開設させたことによっても判る。この医院は、鵠沼村における最初の近代的な医療施設であった。
 江之島電氣鐵道が開通するまでは、藤澤停車場北口から1里近くの道のりを徒歩かせいぜい人力車を利用する方法しかなかったわけだから、かなり辺鄙な場所だったに違いない。あるいは、江の島に遊んだついでに、安くて静かな宿を求めて来た人がいたかも知れない。
 この辺鄙さと静けさが、落ち着いて執筆活動をしようという文士に愛された。
 世に「文士宿」を標榜する旅館は、花巻鉛温泉の「藤三(ふじさん)旅館」、青根温泉の「湯元不忘閣」、塩原温泉の「清琴楼」、九十九里浜の「一宮館」、茅ヶ崎の「茅ヶ崎館」(現当主は私の教え子)、箱根塔ノ沢の「一の湯」、「環翠楼」、湯河原温泉の「中西屋」、「伊藤屋」(ここの令嬢は、私の教え子だった)、「藤田屋」、奥湯河原の「加満田」、熱海温泉の「起雲閣」、湯ヶ島温泉の「白壁荘」、「湯川屋」、湯ヶ野温泉の「福田家」、軽井沢の「万平ホテル」、「つるや旅館」、「星野温泉」(我々の新婚旅行の宿)、上林温泉の「塵表閣」(高校時代に泊まった)、山田温泉の「藤井荘」、高山の「長瀬旅館」、金沢辰口温泉の「まつさき」、吉野の「桜花壇」、城崎温泉の「三木屋」、湯田温泉の「西村屋」、柳川の「御花」(祖母の親友の家。3年前に泊まった)など、枚挙にいとまがないが、そのほとんどは一人かせいぜい数人の文士が滞在し、執筆したというケースである。
 片瀬在住の作家=佐江衆一氏は、「日本近代文学の作家たちが同じ旅館に逗留して、作品を書き、また遊びもした一種の文壇サロンが半世紀もつづいた場所は、(東屋の)他にはないだろう。 」と書いておられる。
 明治時代に限って(大正以降は別項を立てる)東屋に止宿した文人を列挙してみよう。
  • 広津柳浪(1861-1928)
  • 小泉八雲(1850-1904 Lafcadio Hearn)
  • 齋藤緑雨(1867-1904)
  • 與謝野鉄幹(1873-1935)
  • 徳冨蘆花(1868-1927)
  • 馬場孤蝶(1869-1940)
  • 高山樗牛(1871-1902)
  • 武者小路実篤(1885-1976)
  • 志賀直哉(1883-1971)
  • 石橋思案(1867-1927)
  • 川上眉山(1869-1908)
  • 武内桂舟(1861-1942)
  • 巖谷小波(1870-1933)
  • 細川風谷(1867−1919)
  • 谷崎潤一郎(1886-1965)
  • 久保田万太郎(1889-1963)
明治時代の東屋関係年表    
西暦 和暦 記                        事
1892 明治25 11   伊東將行、行遊客の誘致策として貸別荘風の東屋建設
1897 明治30     旅館東屋新築。長谷川ゑい、この頃経営に参加か
1897 明治30   小説家=広津柳浪(1861-1928)、東屋に滞在。小説『くされ縁』を執筆。片瀬の水蔭宅に寄る
1898 明治31 8 20 『風俗画報』に、壮大な東屋のイラスト掲載。鵠沼は「皆茅屋にして閑雅愛すぺし」
1898 明治31   小説家=小泉八雲(1850-1904 Lafcadio Hearn)、家族と共に東屋に3週間滞在
1899 明治32 6   医学士=高嶋吉三郎、『海水浴・附録海水浴場略案内』刊行、片瀬・鵠沼海岸を紹介
1899 明治32 8 20 『江島・鵠沼・逗子・金沢名所図会』を東洋堂が発行
1900 明治33 10 23 〜1901/4/12。小説家=齋藤緑雨(1867-1904)、東屋に滞在。『日記』を残す
1901 明治34 1 18 歌人=與謝野鉄幹(1873-1935)、東屋に齋藤緑雨を訪ねる
1901 明治34 2 10 〜3月、徳冨蘆花(1868-1927)、『思出の記』取材で鵠沼に滞在し、東屋の齋藤緑雨を訪ねる
1901 明治34   小説家=馬場孤蝶(1869-1940)、東屋に滞在中の齋藤緑雨を訪ねる
1901 明治34 4 13 齋藤緑雨、東屋仲居金澤タケ(フミ)を伴い、鵠沼を後に小田原に発つ
1901 明治34     長谷川欽一、姉=榮を頼って東京から鵠沼村6642に転居(数え2歳)
1902 明治35 6   長谷川欽一、父の病没のため数え3歳で家督を継ぐ
1902 明治35 9 18 評論家=高山樗牛(1871-1902)、鎌倉の自宅から藤沢鵠沼に行き東屋に数日泊まる
1905 明治38 6 11 横浜貿易新報に東屋旅館の紹介記事(鵠沼海岸の旅館は東屋のみになる)
1906 明治39 4 6 小説家=武者小路実篤(1885-1976)、兄=公共と鵠沼に行き2泊する
1906 明治39 10 25 長谷川欽一、本籍を東京から鵠沼村6642に移す
1906 明治39 12 30 長谷川ゑい、戸主=長谷川欽一から分家。本籍は鵠沼村6642と変わらず
1906 明治39     埼玉県吹上出身の医師=福田良平、伊東將行の招聘で東屋近くに鵠沼海浜病院を開く
1907 明治40 1 1 鵠沼郵便局、鵠沼下岡6642(鵠沼海岸2-8-26)に開設(初代局長=浅場金兵衛)
1907 明治40 1   長谷川多嘉、戸主=長谷川欽一から分家。本籍を鵠沼村7365に独立
1907 明治40 10 18 武者小路実篤(〜23)、志賀直哉(〜26)と東屋に滞在して『白樺』発刊を相談
1908 明治41 5 23 硯友社一行(思案、眉山、桂舟、龜石、小波、程山、風谷、柳浪)、東屋へ旅行会
1909 明治42 3   医師=福田良平、長谷川ゑいの妹=蝶と結婚
1909 明治42   今井達夫(5歳)、父親の療養のため、両親と共に鵠沼「東屋旅館」の貸別荘で過ごす
1910 明治43 4   画家=長谷川路可(1897-1967)、暁星学校中学部に進学(寄宿舎に居住)
1911 明治44   小説家=志賀直哉(1883-1971)、鵠沼東屋に来遊
1911 明治44 12   小説家=谷崎潤一郎(1886-1965)、東屋に滞在して『悪魔』を執筆
1911 明治44 12 23 小説家=谷崎潤一郎、東屋から和辻哲郎宛に来訪を慫慂する手紙を使者に持参させる
1911 明治44 12   長谷川路可、年末年始帰省の際、東屋滞在中の谷崎潤一郎のもとに遊びに行く
1912 明治45 1   小説家=久保田万太郎(1889-1963)、東屋に投宿
1912 明治45 7   鵠沼海水浴場準備、伊東將行らが尽力、旅館「あづまや」などを増築
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 小山文雄:『個性きらめく』(1990)/『続個性きらめく』(2002)
  • 高三啓輔:『鵠沼・東屋旅館物語』(1997)
  • 『東屋記念碑』設置記念特集号:『鵠沼』第82号(2001)
  • 佐江衆一:「鵠沼の東屋旅館と芥川龍之介」『有鄰』第404号(2001)
 
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