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今から100年前、すなわち明治末から大正初期の鵠沼は、まだまだ自他共に許す片田舎に過ぎなかった。
幼少時から鵠沼で育った内藤千代子が、『女學世界』8巻15号の懸賞日記文に『田舎住ひの處女日記』を応募し、3等に入選して賞金10円を獲得した1908(明治41)年頃から、岸田劉生が地元の少女をモデルに『村娘於松』を描いた1921(大正10)年頃までの時代である。 鉄道開通を契機に始まった日本初の大型別荘分譲地開発「鵠沼海岸別荘地」が、江ノ電の開通によって軌道に乗った頃に当たる。別荘分譲地の1区画は、1町歩=3000坪を単位に分譲された。1区画全体を使って広大な別荘を構える華族や富豪もあったが、区画を細分して貸別荘を経営する例も見られた。夏季のシーズンには高い家賃も、オフシーズンには安くなり、若者にも借りやすかったという。 こうした貸家や貸別荘に滞在した若者は、大きく3つのグループがあった。時にはお互いに交流しながら、切磋琢磨し合い、若者らしい新しい文化を生み出し、発信したのである。 白樺派1907年10月、志賀直哉と武者小路実篤は東屋において文芸誌「白樺」の発刊を相談した。後に武者小路実篤は短期間貸別荘を借りて生活し、同人の小泉鐵は鵠沼納屋の農家山口紋蔵宅の離れに借家して白樺の編集に携わる。すなわち鵠沼は白樺派揺籃の地といえるのである。白樺派は、学習院出身の若者十数人が、1908年から月2円を拠出し、雑誌刊行の準備を整え、1910年に刊行した雑誌『白樺』を中心にして起こった文芸思潮で、理想主義・人道主義・個人主義的な作品を制作、発表すると共に西欧の芸術に対しても目を開き、紹介した。画家岸田劉生は、その影響を強く受けた一人で、後に雑誌『白樺』の装幀にも携わった。白樺派活動の中心は、主要メンバーの一人であった柳宗悦(むねよし)別荘のある千葉県我孫子に志賀直哉と武者小路実篤が居を移したことにより、そこが拠点となる。 大正教養派江ノ電が開通した頃、鵠沼駅北方の砂丘一帯を所有し、豪邸を構えた高瀬家の離れに1911年秋から翌春にかけて滞在したのが、東京帝国大学文科大学哲学科在学中の和辻哲郎である。帝大文科大学の後輩で高瀬家の長男である高瀬弥一の薦めにより、鵠沼の静かな環境の中で卒業論文を仕上げるのが目的であった。論文を書き上げた和辻は、高瀬家の長女、照に求婚し、結婚する。1914年、和辻の先輩にあたる阿部次郎が高瀬家の離れに住むようになり、翌年は安倍能成が、さらにその翌年から和辻哲郎夫妻も別の離れに住んだ。彼らの鵠沼暮らしは1918年までであったが、時折「例の会」と称する牛鍋を囲んで談論する催しを、友人で夏目漱石門下の小宮豊隆や森田草平らを招いて開き、ここから「大正教養主義」と呼ばれる思潮が生まれた。 草土社フュウザン会解散後、草土社を立ち上げた画家岸田劉生は、肺尖カタルの療養のために1917(大正6)年鵠沼の貸別荘佐藤別荘、松本別荘に借家して、その最盛期を暮らした。彼の代表作として知られる「麗子像」は、そのほとんどが鵠沼時代に描かれたものである。草土社に属する椿貞雄や横堀角次郎ら若手画家たちも劉生を慕って鵠沼での借家生活を始めたし、岡崎精郎、棟方寅雄、中川一政のように劉生宅の食客になるものもいた。彼らの多くは1922年に結成された春陽会にも加盟し、草土社消滅後も春陽会で活躍した。このようにして、文学の白樺派、美術の草土社、思潮の大正教養主義という大正デモクラシーのもとでの新しい自由な文化が鵠沼から発信された。その担い手はいずれも20代から30代前半の青年の集団であったこと、貸別荘などの貸家に住んだことが特色である。しかし彼らが鵠沼に永住することはなかった。 今回、この項ではそれらの概観を紹介するにとどめるが、いずれそれぞれ別項を立てて詳述する予定である。 |
白樺派 | 大正教養派 | 草土社 | ||||||||
西暦 | 武者小路実篤 | 志賀直哉 | 小泉 鉄 | 和辻哲郎 | 阿部次郎 | 安倍能成 | 林 達夫 | 岸田劉生 | 椿 貞雄 | 横堀角次郎 |
1907 | 東屋で白樺発刊を相談 | |||||||||
1908 | ||||||||||
1909 | 東屋に滞在 | |||||||||
1910 | 東屋に滞在 | 東屋に来遊 | ||||||||
1911 | 鵠沼館で昼食 | 鵠沼に遊ぶ | 高瀬邸滞在 | |||||||
1912 | ||||||||||
1913 | 東屋で越年 | 高瀬邸 離れ |
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1914 | 芳藤園 | 山口紋蔵宅 離れ |
高瀬邸 離れ |
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1915 | 川元別荘 | 高瀬邸 離れ |
武者小路訪問 | |||||||
1916 | 和辻哲郎訪問 | 八軒別荘 | ||||||||
1917 | 鵠沼行を著す | 佐藤別荘→ | ||||||||
1918 | 松本別荘 | |||||||||
1919 | ||||||||||
1920 | 劉生宅を訪問 | |||||||||
1921 | 高瀬邸に滞在 | 中屋別荘 | ||||||||
1922 | 劉生宅を訪問 | 四軒別荘 | 中屋の2階 | |||||||
1923 | 林別荘 |
E-Mail: |
鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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