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第0297話 大藤澤復興市街圖

大藤澤復興市街圖

 「大藤澤復興市街圖」は1930(昭和5)年に藤澤町が刊行した多色刷りの手書き地図である。手書きであるだけに正確さは期待できないが、多くの情報が盛り込まれていて興味深い。「復興」とは、もちろん関東大震災からの復興である。現在、藤沢市文書館から復刻版が刊行されているが、網目をかけた写真版なので残念ながら若干明瞭さを欠く。
 この図を読図して主に鵠沼地区について気付いた特徴を列挙しよう。
  1. 鵠沼神明
    • 集落名は引地、車田、上村、宮ノ前、宿庭が記入されているが、車田は東海道の北側にある。
    • 小字名は長塚、西宮腰、横須賀のみで、内田、南宮腰、花立の記入がない。
    • 神社は赤枠白地に赤字で皇大神宮のみが神社名が記入されているが、鳥居記号はない。赤い鳥居記号のみ記入されているのは橋本稲荷と白旗稲荷である。
    • 寺院は萬福寺、空乗寺が卍記号と共に記入されている。法照寺は寺院名も卍記号も見られない。
    • 黒枠白地に黒文字が記入されているのは主要施設名と思われる。縣立湘南中學校、その脇に工務所、関根邸(皇大神宮の東)の他、天理教北藤沢宣教所(六本松)が見られる
    • 赤い〒記号はポストと思われるが、引地にある。
    • 赤い○の中に火の記号は火の見櫓か防火用水を表すと思われるが、引地(東海道の北側)、上村、宮ノ前に見られる。
    • 道路名などとしては中学通り、引地橋が見られる。
    • 赤枠白地に赤字で記入されているのは名所旧跡らしい。皇大神宮、首塚、奈須野原、毘沙門堂が記入されている。
    • 赤○に白抜き文字は「藤沢八景」らしい。「神明宮暁烏」とある。
  2. 本鵠沼
    • 集落名は清水、苅田、中東、大東、原。
    • 小字名は中井のみが記入されている。
    • 神社は鳥居記号もない。
    • 寺院は赤枠白地に赤字で普門寺があるが卍記号はない。赤卍記号と大東観音がある。
    • 主要施設名としては鵠沼小學校、斎藤保邸が見られる。
    • 〒記号は斎藤保邸の向かいに見られる。
    • 火の見櫓は清水、宿庭(普門寺裏)、大東、中東、原と各集落にある。
    • 道路名などとしては大東通り、原町通り、清水橋があり、他の橋名はない。また、大東通りより西方に記念碑記号と共に新道記念碑と記載されている。
    • 名所旧跡は普門寺の他に馬くぐり場というのが大東南方に記載されている。
  3. 藤沢駅南部(鵠沼花沢町・鵠沼橘・鵠沼石上・鵠沼東+南藤沢)
    • 集落名は新田、石上の他に花沢町、日ノ出町がある。
    • 小字名は見られない。
    • 神社・寺院はないが、赤枠白地に赤字で天理教高座分教会が江ノ電藤沢駅南方にある。
    • 主要施設名は国鉄藤沢駅が灰色地に白抜きで、小田急藤沢駅が赤枠白地に赤字で表現されており、江ノ電の駅は赤字で藤沢駅、いしがみ、たかすなが記入されている。藤沢駅に接して黒枠白地に黒文字で江島自動車本社、駅南方に自動車庫、駅南東方に東京醸造株式会社が見られるが、駅南西方にあったといわれる片倉製糸(カタン工場)、私立湘南実科(家政)女学校は見られない。その他では橘通り沿いに関野雑貨店、加藤肉店、小山道光邸、石上通り沿いに柏屋酒店,、高砂駅の脇に髙橋商店が見られる。また、枠で囲っていないが、新田山の南方というか高瀬住宅地の西方、後に秩父宮別邸になる一角の裏手に「駐在所」と記載されている。この駐在所は戦後、1960年代までは存在していた。私はてっきり秩父宮別邸警護のために設けられた駐在所だと思い込んでいたが、1930(昭和5)年には既に存在していたのである。このあたりは安藤寛邸をはじめ、大きな住宅はあったが、特段のVIPは住んでおらず、なぜこんな辺鄙な場所に駐在所を設けたのか不思議である。
    • 〒記号は藤沢駅前にある。
    • 火の見櫓は橘通りと石上に見られる。
    • 道路名としては橘通りと高瀬通りのみで、橘通りには一丁目から七丁目の区分がある。江ノ島道の片瀬川の橋の名は山本橋のままである。
    • 名所旧跡としては、現在の鵠沼中学校のあたりに「砥上ヶ原」の記載がある。
  4. 川袋周辺(鵠沼桜が岡・鵠沼藤が谷)
    • 集落名は宮崎町、山口町が見られる。
    • 小字名は川袋、上岡、上藤ヶ谷、中藤ヶ谷が見られ、高座・鎌倉郡境は描かれていない。
    • 神社は黒枠白地に黒文字で賀来神社が鳥居記号と共に記載されている。寺院はない。
    • 主要施設名は黒枠白地に黒文字で高砂駅南東に秋元製氷所、賀来神社裏手に隈川邸とある他、枠なしの黒文字で高砂駅南西に「湘南水道水源地」、中藤ヶ谷に「三越保養所」、賀来神社境内に「開拓碑」とある。
    • 〒記号は賀来神社脇にあるが、火の見櫓はない。
    • 道路名としては高瀬通(りの字はない)のみである。江ノ電の駅名として赤字でかわぶくろ、やなぎこうじ、ふじがや、くげぬまがあり、小田急の駅名として赤字で本鵠沼駅がある。
    • 名所旧跡としては、現在の鵠沼桜が岡二丁目あたりに「瓦ヶ町」とある。これについては全く調べがついていない。ご存じの方があったら、是非お教え願いたい。
    • その他、目立つものとしてかなり大きな薄赤い●の中に黒字で「松島苑」とある。
  5. 鵠沼松が岡
    • 集落名はなく、小字名の中岡、下岡、下藤ヶ谷のみである。
    • 神社は新田宮の位置に黒字で「大神宮」と鳥居記号が見られる。寺院はない。
    • 主要施設名は黒枠白地に黒文字で轟邸、一木与十郎邸、小林養鶏場、鵠沼局、関根善太郎邸が見られ、枠なしの黒字で陽松園、駐在所(海岸通り中程)が記入されている。
    • 火の見櫓は鵠沼松が岡二丁目・三丁目境界の北部にあり、〒記号は当然鵠沼局のところにある。
    • 道路名としては熊倉通り西仲通りしか記入されていない。西仲通りはなぜか東仲通り(天金通り)として知られている道路の注記である。小田急の駅名として赤字で鵠沼海岸駅がある。
    • 名所旧跡としては、下藤ヶ谷の片瀬川に「紋十郎岸」とある。
  6. 鵠沼海岸
    • 集落名は堀川のみ。小字名は柳原、下鰯、上鰯のみである。
    • 神社は納屋南部に鳥居記号のみ見られる。寺院は慈教庵が卍記号と共に記入されている。
    • 主要施設名は黒枠白地に黒文字で文字がぼけて判読しづらいが「ササラノ〓〓堂」という記載が松岡静雄邸のところにある。《神楽舎(ささらのや)》のことであろう。枠なしの黒字では「鵠沼庵」、「有田金八商店」、さらに現高木ふれあい荘南方に文記号と「夏季林間學校」とある。東屋の位置には余りにも小さい文字で潰れているが、縦書き6行で「あづまや」「〓〓銀行」「ピンポン室」「〓〓〓〓」「撞球場」「海水浴〓〓」と記入されている。龍宮橋(橋名はない)の北側には海難供養碑、南側には砂防松造林とある。日の出橋の西側、現鵠沼海岸四丁目から辻堂東一帯は松島苑より広く薄赤で塗りつぶされ、「濱見山分譲地」と記入されている。その中に「キリスト教大〓〓村」と読める判読不能の記載が見られる。
    • 道路名はなく、橋の名は日の出橋の他に「くげぬまばし」が和泉橋のところに記されている。
    • 名所旧跡としては、引地川河口の両側に「海水浴場」とあり、河口の水の中に「プール」と記載されていることは第0262話で触れておいた。鵠沼海岸一丁目先に「蜃気楼」とあるが、第0267話の高木和男氏が写真撮影をした位置はもっと西方である。高座・鎌倉郡境附近には「砂丘」と記載されている。
    • 「蜃気楼」の西側には赤○に白抜き文字は「藤沢八景」らしい。「鵠沼海岸の明月」とある。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤澤町:大藤澤復興市街圖(1930)
 
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