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プロフィール松岡静雄 (まつおか しずお 1879-1936)は海軍軍人→民族学者・言語学者 兵庫県神崎郡福崎町南田原出身代々医者と儒学者を以て続いた松岡家の七男、いわゆる「松岡五兄弟」4番目として生まれた。幼少から聡明で、 小学校は殆ど登校せず、中学には2か月で退学し、独学で漢学を学んだが、急遽海軍兵学校を受験、卒業後日露戦争では千代田航海長として参戦した。 兵学校教官、オーストリア駐在武官を歴任。 第一次世界大戦では巡洋艦筑波の副長としてポナペ島を占領した。その後病を得て第一次大戦史の編纂に回り、大正7年に病気を理由に海軍を去った。退職後、 太平洋諸島開発の基本調査のため、 調査船「来嶋丸」を派遣したが、大震災のため頓挫した。 享年:59・墓所:日野公園墓地 最初の妻愛子(東京市長田尻稲次郎の次女)は結婚の翌年に病没し、二番目に神奈川県令野村靖の五女初子と結婚して一男三女を設けた。長男 磐木(1919-1995)は法政大学教授(経営学)である。 鵠沼とのゆかり鵠沼に来たのは震災直前で、当初納屋(なんや)の山口家の離れに住み、震災後鵠沼海岸7-18-14に神楽舎(ささらのや)と称する小庵を結んだ。震災時に遭難した東久邇宮家の王子師正王の遺体輸送に軍艦を回航させたり、47体の遺体の荼毘を指導したりとの逸話が残っている。神楽舎で南方語学・南方民族学・日本歴史に関する多くの著作を精力的に発表し続けた。神楽舎には辰野隆や吉野秀雄らが足繁く通ったという。家族に囲まれ鵠沼で没した。松岡五兄弟
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松岡静雄 鵠沼関係年譜 |
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西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 記 事 |
1918 | 大正 7 | 12 | 海軍軍人・民族学者=松岡静雄(1877-1936)、海軍を依願退職 | |
1923 | 大正12 | 夏 | 海軍大佐・民族学者=松岡静雄(1878-1936)、鵠沼の山口紋蔵の別棟に滞在 | |
1923 | 大正12 | 9 | 1 | 東久邇宮第二王子師正王、吉村家別荘で圧死→遺体を引取りに軍艦を鵠沼沖に廻航させる |
1923 | 大正12 | 9 | 関東大震災犠牲者の荼毘に際し、自警団・青年団を指導 | |
1923 | 大正12 | 末 | 鵠沼西海岸(鵠沼海岸7-18-14)に居を構え、《神楽舎(ささらのや)》と名付ける | |
1924 | 大正13 | 12 | 『爪畦史』を岩波書店から刊行 | |
1924 | 大正13 | 脳溢血で倒れる(47才) | ||
1925 | 大正14 | 3 | 『通俗文法講話』を国語書院から刊行 | |
1925 | 大正14 | 9 | 『中間階級の研究』を聚英閣から刊行 | |
1925 | 大正14 | 10 | 『太平洋民族誌』を岡書院から刊行 | |
1926 | 大正15 | 10 | 『チャモロ語の研究』を郷土研究社から刊行 | |
1926 | 大正15 | 12 | 『日本古族誌』を刀江書院から刊行 | |
1926 | 大正15 | 『日本言語学』を刀江書院から刊行 | ||
1927 | 昭和 2 | 7 | 『ミクロネシア民族誌』(岡書院)を刊行 | |
1927 | 昭和 2 | 『播磨風土記物語』を刀江書院から刊行 | ||
1928 | 昭和 3 | 4 | 『播常陸風土記物語』を刀江書院から刊行 | |
1928 | 昭和 3 | 5 | 『民族学より見たる東歌と防人歌』を大岡山書店から刊行 | |
1928 | 昭和 3 | 9 | 『中央カロリン語の研究』を郷土研究社から刊行 | |
1928 | 昭和 3 | 12 | 『日本国体本義』を日本国体本義編纂審議会から刊行 | |
1929 | 昭和 4 | 3 | 『日本古語大辞典』第1巻(語誌)を刀江書院から刊行 | |
1929 | 昭和 4 | 6 | 『マーシャル語の研究』を郷土研究社から刊行 | |
1929 | 昭和 4 | 12 | 『日本古語大辞典』第2巻(訓話)を刀江書院から刊行 | |
1930 | 昭和 5 | 3 | 『パラウ語の研究』を郷土研究社から発行 | |
1930 | 昭和 5 | 4 | 『中等学校に於ける国語研究並に教授法』を発行 | |
1930 | 昭和 5 | 7 | 『歌学』を新興学会出版部から発行 | |
1930 | 昭和 5 | 9 | 『紀記論究神代篇1創世記』を新興学会出版部から発行 | |
1930 | 昭和 5 | 10 | 『ボナペ語の研究』を郷土研究社から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 4 | 『紀記論究神代篇2諾冊二尊』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 5 | 『紀記論究神代篇3高天原』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 6 | 『紀記論究神代篇4出雲伝説』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 7 | 『紀記論究神代篇5国譲』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 8 | 『紀記論究神代篇6高千穂時代』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 8 | 『ヤップ語の研究』を郷土研究社から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 9 | 『紀記論究建国篇1神武天皇』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 11 | 『紀記論究建国篇2大和欠史時代』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | 12 | 『紀記論究建国篇3師木宮』を同文館から発行 | |
1931 | 昭和 6 | この頃、歌人=吉野秀雄(1902-1967)が松岡静雄の書斎神楽舎を足しげく訪問 | ||
1932 | 昭和 7 | 2 | 『紀記論究建国篇4日代官』を同文館から発行 | |
1932 | 昭和 7 | 4 | 『紀記論究建国篇5国内統一』を同文館から発行 | |
1932 | 昭和 7 | 6 | 『紀記論究建国篇6外藩帰伏』を同文館から発行 | |
1932 | 昭和 7 | 7 | 『伊予上代史考 伊曽乃神社』を郷土研究社から発行 | |
1932 | 昭和 7 | 9 | 『紀記論究外篇古代歌謡』(上)を同文館から発行 | |
1932 | 昭和 7 | 11 | 『紀記論究外篇古代歌謡』(下)を同文館から発行 | |
1933 | 昭和 8 | 9 | 『国語と民族思想』第1輯発行 | |
1934 | 昭和 9 | 2 | 『万葉集論究』第1輯を竜華社から発行 | |
1934 | 昭和 9 | 2 | 『国語と民族思想』第2輯発行 | |
1934 | 昭和 9 | 3 | 30 | 詩人=秋田雨雀(1883-1962)、松岡静雄宅で結核療養中の娘=千代子を見舞い、一泊 |
1934 | 昭和 9 | 5 | 『国語と民族思想』第3輯(国語教育是正号)発行 | |
1934 | 昭和 9 | 6 | 『万葉集論究』第2輯を竜華社から発行 | |
1934 | 昭和 9 | 9 | 『国語と民族思想』第4輯(上代思想研究号)発行 | |
1935 | 昭和10 | 1 | 『国語と民族思想』第5輯(文法研究号)発行 | |
1935 | 昭和10 | 1 | 『簡易文典』を発行、実費1部24銭 | |
1935 | 昭和10 | 3 | 『ミクロネシア語の綜合研究』を岩波書店から発行 | |
1935 | 昭和10 | 6 | 『有田縁歌と防人歌』を瑞穂書院から発行 | |
1935 | 昭和10 | 10 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第1輯発行 | |
1935 | 昭和10 | 11 | 21 | 松岡静雄家で湘南国語研究会の例会開催 |
1935 | 昭和10 | 11 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第2輯発行(会費30銭であった) | |
1935 | 昭和10 | 12 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第3輯発行 | |
1936 | 昭和11 | 1 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第4輯発行 | |
1936 | 昭和11 | 3 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第5輯発行 | |
1936 | 昭和11 | 4 | 15 | 秋田雨雀、鵠沼で結核療養中の娘=千代子を見舞い、松岡家で馳走になり、夜帰京 |
1936 | 昭和11 | 4 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第6輯発行(活字印刷となる) | |
1936 | 昭和11 | 5 | 9 | 病革る |
1936 | 昭和11 | 5 | 20 | 病室で写真を撮る |
1936 | 昭和11 | 5 | 23 | 民族学者=松岡静雄、午後0時55分 妻子門弟にかこまれて没 享年59 |
1936 | 昭和11 | 5 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第7輯発行 | |
1936 | 昭和11 | 6 | 『国体明徴上の一考察』を時事新報社から発行 | |
1936 | 昭和11 | 6 | 『神楽吉講堂湘南国語研究会誌』第8輯発行(黒わくのお知らせあり) | |
1936 | 昭和11 | 7 | 11 | 湘南国語研究の松岡静雄追悼会。記念撮影する |
1936 | 昭和11 | 7 | 『神楽舎講堂湘南国語研究会誌』第9輯発行 | |
1937 | 昭和12 | 5 | 30 | 松岡静雄先生之庵址碑、鵠沼海岸7-18-18に造立 |
1937 | 昭和12 | 12 | 『増補日本古語大辞典』を刀江書院から発行 | |
1937 | 昭和12 | 『新篇日本古語辞典』を刀江書院から発行 | ||
1938 | 昭和13 | 2 | 『神楽台黙語』を書物展望社から発行 | |
1938 | 昭和13 | 2 | 『日本固有民族信仰』を刀江書院から発行 | |
1939 | 昭和14 | 3 | 22 | 民俗学者=柳田國男、鵠沼に松岡静雄・冬樹(甥)の墓参に訪れる[定本年譜] |
1943 | 昭和18 | 松岡静雄著『ミクロネシア民族誌』岩波書店より再刊 | ||
1962 | 昭和37 | 3 | 『新篇日本古語辞典』再刊 | |
1975 | 昭和50 | 3 | 1 | 野口喜久子編『砂のいろ』 法政大学出版局より刊行 |
1984 | 昭和59 | 11 | 13 | 鵠沼を語る会、11月例会(講演)父松岡静雄を語る:野口喜久子(研究発表) |
1984 | 昭和59 | 11 | 13 | 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』23号刊行(神楽舎大人「松岡静雄年譜」:伊藤節堂・他) |
1990 | 平成 2 | 10 | 松岡磐木著『ひよどりの凪の海』刊行 |
E-Mail: |
鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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