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第0069話 近世の震災

 2011年3月11日14時46分、三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)、深さ約24kmを震源とする、マグニチュード=9.0の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生した。
 1923年9月1日の「大正関東地震」のマグニチュードが7.9とされているから、その約64倍のエネルギー量と計算され、如何に巨大な地震であるかが想像できるだろう。近代科学下の世界地震史上第4位になるという。
 この「鵠沼を巡る千一話」では、すでに第40話で中世の地震記録を紹介したが、そこでは「鎌倉時代に起きたマグニチュード=7以上の巨大地震は、1241年、1257年、1293年の3回ではないかと推測されている。」と記した。さらに下の年表には1498( 明応 7)年 8月25日の巨大地震、推定M=8.6。津波により大仏殿破壊、溺死者200余人。「明応地震」富士に噴煙と紹介した。以来、大仏殿は再建されていない。礎石だけが残されている。
 近代科学の時代になり、古記録を分析して大地震の規模を推測することがある程度の正確さで可能になり、『理科年表』などにも発表されている。
 今回の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」のマグニチュード=9.0という値が、未曾有のものであることがご理解頂けるだろうか。
 次に、江戸時代に起きた推定マグニチュード=8以上の、すなわち大正関東地震を凌駕する巨大地震を紹介しよう。

元禄大地震

 元禄大地震(げんろくだいじしん)とは、1703(元禄16)年11月23日 (旧暦)午前2時ごろ、関東地方を襲った大地震。震源は房総半島南端にあたる千葉県の野島崎と推定され、東経139.8度、北緯34.7度の地点にあたる。マグニチュードは8.1と推定されている。 1923(大正12)年の大正関東地震と同タイプの海溝型地震であり、震源分布図も類似することから関東大震災以前の関東地震であると考えられている。大規模な地盤変動を伴い、震源地にあたる南房総では海底平面が隆起して段丘を形成した元禄段丘が分布し、野島岬は沖合の小島から地続きの岬に変貌したという。 江戸時代中期の元禄から宝永年間は巨大地震が頻発した時期であり、前後の時期にも地震が多発している。

安政東南海地震

 1853(嘉永 6)年から1855(安政 2)年にかけて、巨大地震が頻発した。ことに、1854(安政元)年11月4日、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM=8.4という巨大地震が発生した。 この地震が発生した年は嘉永7年で、当時の瓦版や記録はすべて嘉永としているが、この地震の32時間後にはM=8.4と推定される安政南海地震が連続して発生し、さらに広範囲に被害をもたらせたため、この両地震から元号を嘉永から安政に改めた。年表上は安政となるため後に安政東海地震と呼ばれるようになった。
 その翌年の1855(安政 2)年には、2月に小田原を中心とする地震が起き、藤沢にも潰家が出ている。同年10月2日には「江戸安政大地震」(M=7.5震度5.9) が起き、藤沢宿にも潰家が多数出る。鵠沼の住民にとっては、この地震が最大と感じられたようで、有賀密夫氏の調査によれば、「集落構成からみると、一般にいわれている鶴沼新田とは、旧東原と旧来立花との境に立地する新田と、旧柳原以南の堀川に立地する棚川(納屋)との二地域に分かれていた。
 古老の一人は昔は新田のみに集落があったが、安政地震(1855)で被害を受け、その一部が移動し、現在見るように二集落を形成したと話していたが、現在それを裏付ける資料は見当らない。従って両集落は初めから別個の集落として成立したのではないかと考えられる。」と結論づけられている。
近世の関東南部の地震    
西暦 和暦 記                        事
1604 慶長 9 12 16 相模武蔵大地震。M=7.9。海浜溢溺死者多。26日武相二州又震 発酉昼俄闇(慶長地震)
1614 慶長19 10 25 伊豆を震源とする大地震。M=7.7 津波被害甚大。伊豆と小田原で被害大。津波による死者発生
1633 寛永10 3 1 伊豆を中心にM=7.0の大地震
1647 正保 4 武蔵相模両国大地震。M=6.5
1648 慶安 1 4 22 相模地震。M=7
1670 寛文10 6 5 相模地震(M=6.4震度5.0)
1697 元禄10 10 12 藤沢地域に地震(M=7.2震度6.9)
1703 元禄16 11 22 関東南部に大地震(M=8.1震度7.3)震源相模トラフ。津波、犬吠から下田まで発生(元禄大地震)
1782 天明 2 7 15 相模武蔵に地震(M=7.3震度6.5)。津波・山崩れ発生(天明小田原地震)
1812 文化 9 11 4 江戸及び近国大地震(M=6.6震度5.2)
1843 天保14 2 9 江戸から小田原大地震(M=7.5)
1853 嘉永 6 2 2 相模国大地震(M=6.5震度5.0)
1854 安政 1 11 5 諸国大地震(M=8.4震度5.4)(安政東海地震)
1855 安政 2 2 小田原中心に地震 藤沢にも潰家出る
1855 安政 2 10 2 江戸安政大地震(M=7.5震度5.9) 藤沢宿も潰家多数。→新田の一部住民、納屋に移住(伝)
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

 [参考文献]
  • 久保 尚雄:「災害(天災)略年表」『鵠沼』第22号(1984)
  • 震災年表(神奈川県内主に)「孝安年代一昭和5年」『鵠沼』第50号(1989)
  • 有賀密夫「近世の鵠沼村と新田開発」『わが住む里』第25号(1992)
  • 国立天文台:『理科年表』
 
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