HOME 政治・軍事 経済・産業 自然・災害 文化・芸術 教育・宗教 社会・開発


第0068話 藤澤宿の助郷村

助郷とは

 藤沢は1601(慶長6)年に江戸から5番目の東海道の宿場が置かれた。後に戸塚宿が追加され東海道6番目の宿場となる。藤沢は東海道五十三次整備以前から遊行寺の門前町であり、後北条時代は小田原城と支城の江戸城、八王子城をつなぐ街道の分岐点だった。
  遊行寺の東側に江戸側の見附(江戸方見附)があり、現在の小田急江ノ島線を越えた西側あたりに京都側の見附(上方見附)があった。この範囲が藤沢宿である。 境川に架かる大鋸(だいぎり)橋(現遊行寺橋)を境に、江戸側(左岸)の大鋸町(後に西富町が分立)は鎌倉郡、京都側(右岸)の大久保町、坂戸町は高座郡に属した。
 1594(慶長元)年、徳川将軍家の宿泊施設「藤沢御殿」が建てられた。現在の藤沢公民館と藤沢市民病院の間にあり、東西106間、南北62間の広さだったという。表御門は南側、裏御門は東側にあった。徳川家康、秀忠、家光と30回近く利用されている。1682(天和2)年まで設置。以後廃された。現在でも御殿橋、陣屋小路、陣屋橋などの地名が残る。
 1694(元禄 7)年9月、鵠沼村他43か村が藤沢宿の助郷(すけごう)村に確定した。これはいわゆる「定助郷(じょうすけごう)」の数であり、これ以外に寒川方面の5か村が代助郷になったらしい。
 助郷は、労働課役の一形態で、江戸時代に徳川幕府が諸街道の宿場の保護、および、人足や馬の補充を目的として、宿場周辺の村落に課した賦役のことをいう。 初めは臨時で行われる人馬徴発であったが、参勤交代など交通需要の増大に連れ、助郷制度として恒常化した。
 助郷の賦役は、宿場近隣の村々に多大な負担を強いた。藤沢宿に関しては、次のような記録が残っている。
 1771(明和 8)年       藤沢宿助郷村々、助郷軽減願を提出
 1786(天明 6)年3月24日 藤沢宿助郷49か村、助郷役正人馬差出の免除及び前年の上納金返済を代官所へ願書提出
 1834(天保 5)年12月   藤沢宿問屋と定助郷組22か村、人馬賃銭の授受・人馬の割付を巡り争論

 1871(明治 4)年12月、東海道各宿の助郷は廃止された。

助郷村鵠沼

 藤沢宿に隣接する鵠沼村は、助郷の負担は他の村々よりも厳しかったに違いない。
 引地川には土橋が掛かっており、出水のたびに壊れたので、1786(天明 6)閏10月、その普請を稲荷・大庭・羽鳥各村とともに請け負うことになった[引地橋組合儀定証文之事]。1803(享和 3)年4月には、架け替え工事が終了した翌月の出水で流失するという笑えない事件も記録されている。
 宿場には様々な情報や文化が流入する。また、様々な文化人の活動が見られた。こういったものは隣村の鵠沼には即座に伝えられた。
 万福寺墓地には、藤沢宿の旅籠「大磯屋」を営んでいた猪飼家の墓地があり、中には飯盛女の墓もあるという。
 藤沢宿の永勝寺墓地にある「小松屋」の墓には飯盛女の墓が39基あり、市教委の解説板が建てられているが、万福寺には特に解説はない。.
 藤沢宿大鋸町では、飯盛女のいない宿場がさびれたため、1861(万延 2)年宿民のためとして1旅籍屋2名の飯盛女を置く許可を役人から得たという。当時藤沢宿には、旅籠が49軒あり、このうち飯盛女を抱えたのは29軒だった。
藤澤宿・助郷のデータ
宿場町     助郷村
宿高 1,559石8斗4升     郡名 村名 助郷高 郡名 村名 助郷高
人口 4,089人     鎌倉郡 川名村   281 高座郡 稲荷村 189
家数 919軒     鎌倉郡 手広村 385 高座郡 大庭村 606
  鎌倉郡大鋸町 368石3斗6升9合 鎌倉郡 弥勒寺村 250 高座郡 折戸村 234
構成町 高座郡大久保町 543石7斗5升3合 鎌倉郡 小塚村   274 高座郡 鵠沼村 605
  高座郡坂戸町 647石7斗1升8合 鎌倉郡 高谷村   146 高座郡 羽鳥村 240
本陣 1   鎌倉郡 渡内村   91 高座郡 俣野村 436
脇本陣 1   鎌倉郡 柄沢村  182 高座郡 亀井野村 52
旅籠屋 45   鎌倉郡 下俣野村 220 高座郡 下飯田村 173
問屋場 2   鎌倉郡 上俣野村 281 高座郡 遠藤村 576
      鎌倉郡 玉縄村 980 高座郡 茅ヶ崎村 763
      鎌倉郡 上町屋村 218 高座郡 堤村 385
      鎌倉郡 寺分村 254 高座郡 円行村 177
      鎌倉郡 常盤村 263 高座郡 今田村 75
      鎌倉郡 梶原村 430 高座郡 石川村 196
      鎌倉郡 津村 251 高座郡 辻堂村 265
      鎌倉郡 腰越村 241 高座郡 小和田村 330
      鎌倉郡 片瀬村 196 高座郡 甘沼村 118
      鎌倉郡 笛田村 463 高座郡 矢畑村 386
      鎌倉郡 小袋谷村 367 高座郡 菱沼村 190
      鎌倉郡 台村 648 高座郡 室田村 130
      鎌倉郡 山崎村  752 高座郡 高田村 182
      鎌倉郡 宮前村 188 高座郡 赤羽根村 471
天保14(1843)年「東海道宿村大概帳」より    享保10(1725)年「東海道藤沢宿助郷帳」より     
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考サイト]
 
BACK TOP NEXT