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鵠沼商業組合『藤沢市史』によると、1930(昭和5)年5月5日、鵠沼商業組合設立とある。この組合が鵠沼地区全域を対象としたものか、鵠沼海岸の《鵠栄会》の前身にあたるものかは未調査だが、この時代商店街と呼べるほど商店が並んでいたのは、旧東海道筋の引地・車田と鵠沼海岸程度のもので、鵠沼駅周辺と別荘地中心部や橘通りも数軒程度、本鵠沼駅周辺も少し離れた林屋くらいだったという。あとは第0117話で紹介した万屋が散在していた。現在判明している1930(昭和5)年頃までに出店した店舗名の主立ったものを列挙しよう。
鵠沼海岸駅周辺が駅前商店街らしい雰囲気になって来るのは、小田急開通後数年経ってからで、そのころまでは一木通りは畑だった。 本鵠沼駅周辺はさらに牧歌的で、第0222話で紹介した田中ヘ尚が、拙宅と同番地の鵠沼2442に転居してきた1936(昭和11)年になっても、次のような状態だった。 「驛から左に折れて東にむかふと商店街になつてゐたが、店舗はまばらの、空地のある閑散とした通りで、田舎道といつた方がよかつた。その通りがしばらくつづいて十字路に出ると、商店はそこで盡きて、その先はいづれの方向も畑か住宅になつてゐた。」 今でも普通の駅ならパチンコ屋か銀行がありそうな場所に材木屋があるし、戦後しばらくは駅前広場のすぐそばは養鶏場で、イタチが出没するという場所だった。 | ||||||
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