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第0296話 鵠沼商業組合設立

鵠沼商業組合

 『藤沢市史』によると、1930(昭和5)年5月5日、鵠沼商業組合設立とある。この組合が鵠沼地区全域を対象としたものか、鵠沼海岸の《鵠栄会》の前身にあたるものかは未調査だが、この時代商店街と呼べるほど商店が並んでいたのは、旧東海道筋の引地・車田と鵠沼海岸程度のもので、鵠沼駅周辺と別荘地中心部や橘通りも数軒程度、本鵠沼駅周辺も少し離れた林屋くらいだったという。あとは第0117話で紹介した万屋が散在していた。
 現在判明している1930(昭和5)年頃までに出店した店舗名の主立ったものを列挙しよう。
  • 旧東海道筋:小林理髪店、みつはし酒店、藤居タバコ店
  • 藤澤駅南口周辺:森井油店本店、綾部自転車店
  • 橘通り・花沢町:高田米店、飯田屋、山村米店、八百久、小塚屋、魚忠、笹屋
  • 本村の万屋:竹内商店、小坂酒店
  • 本鵠沼駅周辺:相澤土地、林屋商店、魚兼本店、宮崎ランドリー
  • 江ノ電鵠沼駅周辺:ながい、山上商店、長洋服店、稲葉屋
  • 別荘地中心部:高木建具店、天金
  • 東屋付近:有田商店、小林理髪店、亀屋御菓子司、富久屋、湘南瓦斯、浜野牛乳店、江電舎
  • 鵠沼海岸駅以西:長谷川豆腐店、八百力商店、斉藤百貨店、番場米店、山口屋酒店、カルガン、山上商店、丸政料理店、
 小田急開通直後は鵠沼海岸駅は松林の中の駅といった感じで、先ず通りの角に丸政料理店が出店し、ランドマークのような状態だったらしい。鵠沼海岸駅そのものが鵠沼海岸別荘地の南西隅のような位置づけで、別荘地の中心軸であった中通りと東屋正門を結ぶ位置にあった有田商店周辺が商店街らしい雰囲気を持っていた。
 鵠沼海岸駅周辺が駅前商店街らしい雰囲気になって来るのは、小田急開通後数年経ってからで、そのころまでは一木通りは畑だった。
 本鵠沼駅周辺はさらに牧歌的で、第0222話で紹介した田中ヘ尚が、拙宅と同番地の鵠沼2442に転居してきた1936(昭和11)年になっても、次のような状態だった。
 「驛から左に折れて東にむかふと商店街になつてゐたが、店舗はまばらの、空地のある閑散とした通りで、田舎道といつた方がよかつた。その通りがしばらくつづいて十字路に出ると、商店はそこで盡きて、その先はいづれの方向も畑か住宅になつてゐた。」
 今でも普通の駅ならパチンコ屋か銀行がありそうな場所に材木屋があるし、戦後しばらくは駅前広場のすぐそばは養鶏場で、イタチが出没するという場所だった。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤沢市:『藤沢市史年表』
  • 特集 鵠沼海岸商店街100年の歴史:『鵠沼』第81号(2000)
  • 高木和男:『鵠沼海岸百年の歴史』(1981)
 
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