HOME 政治・軍事 経済・産業 自然・災害 文化・芸術 教育・宗教 社会・開発


第0280話 小田急鵠沼本町驛

賀来神社石段脇の道標

 江ノ電鵠沼駅西口の石畳坂を登ると、突き当たりに2008年12月に藤沢市第一号として設置された藤沢市安全・安心ステーション(民間交番)がある。ここはかつて人力車のたまり場だったらしい。戦後、地元町内会が町内会のクラブ兼賀来神社社務所として建物を造り、一部は1973(昭和48)年度までは、神奈川県警の鵠沼交番として使用されていた。その後、空き交番であったものを、地元の自治(町内)会が防犯活動の拠点施設として現在まで使用していたもので、この施設を改装し新たに安全・安心ステーションとした。
 この建物の左手には2004(平成16)年に建てられたサーフボード型道祖神があり、その先に賀来神社境内に登る脇の石段がある。賀来神社の玉石垣は二段になっているが、その中段、石垣の左手にコンクリート製四角柱の道標がある。道路側の面には、上に左を指す矢印が彫られ、「藤ヶ谷橋ヲ経テ海岸」と彫られ、石段側の面には上に右を指す矢印が彫られ、「小田急鵠沼本町驛」とある。反対側には「上に右を指す矢印が彫られ、「江之島電停前ヲ経テ」とあり、その下の文字は砂に潜って読めない。裏面には「昭和三年御大典記念」と彫られている。
 すなわち、この道標は小田急江ノ島線が開通する1929(昭和4)年より前に建てられたもので、その段階では駅名が確定していなかったのだろう。
 小田急線はかなり後発的な私鉄だったから、先に開通した鉄道がメインの地名を駅名にしていた場合、混同を避けるために別の駅名にせざるを得なかった。その方法としては二つのケースが見られる。一つ目の例は「本厚木」である。先に相模線「厚木駅(これは厚木市でなく海老名市側にある)」があったため、「こっちが本当の厚木だゾ」ということからつけられた駅名だろう。もう一つの例は「藤沢本町」である。元来の東海道藤澤宿から離れた位置に国鉄の「藤沢駅」があったため、より旧藤澤宿に近いということで「藤沢本町」としたものだろう。
 鵠沼の場合、江ノ電「鵠沼」電停は、鵠沼地区の東端に開設されたため、より「本村」に近い小田急の駅名をどうするかを考えたときに、恐らく「本鵠沼」と「鵠沼本町」との二案が候補に挙がったのではあるまいか。最終的には「本鵠沼」に決まったわけだが、この道標を建てるときにはまだ決まっていなかったものと考えられる。
 また、この道標はもともとこの位置に建てられたものではなかろう。恐らく海岸通りと本鵠沼駅方向との分岐点、現在レンタル駐車場になっている三叉路に置かれたものと思う。
 ついでに紹介すると、これと同時期に建てられたと思われる尖塔角柱型の道標が本鵠沼4-6-19の關根家の庭先に転がっていたが、昨年、同家が石垣を直したときに、石垣の外側の原の道祖神の脇に建て直された。建て直すときに白く塗り、文字を黒い塗料で書いたが、塗料が悪かったらしく、滲んで読みづらくなってしまったのは残念である。これには右面に「至ル東 本鵠沼駅 四丁」、正面に「至ル南 堀川町ヲ経テ鵠沼海岸十八丁浜道」とある。
 この關根家には戦時中、私の名付け親、集落地理学の泰斗、綿貫勇彦駒澤大學教授が疎開しておられた。.
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
 
BACK TOP NEXT