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第0279話 魚附海岸砂防林

御大典記念魚附海岸砂防造林地界標

 昨年、県立湘南海岸公園の砂防林の手入れが行われた結果、中央入口の東側の砂防林の中にコンクリート製の細長い尖塔型四角柱の標識(中央写真)が姿を現した。大分風化が激しいが、表面には「御大典記念魚附海岸砂防造林地界標」と刻まれている。この界標は、かつては180mおきに建てられていたものだという。探せばいくらか残っているのかも知れないが、砂防林の中なので極めて見つけにくい。現在存在が明確なのは、鵠沼ではこの1本だけである。茅ヶ崎市柳島海岸にもあるという話を聞いた。
 湘南海岸における砂防林植栽の開始は、神奈川県藤沢土木事務所のホームページによると、「大正9年 海岸地域の土地開墾を目的として地盤保護のための植栽(120ha)が開始されました。」ということである。
 恐らくこの植栽は、1923(大正12)年の関東大震災復興に県土木が総力を挙げて取り組まざるを得なかったために一時中断を余儀なくされたことであろう。
 一方、この震災をもたらした大正関東地震による地盤隆起は、鵠沼付近で90cmと想定され、大幅な海退により砂浜の面積が拡大した。震災を機に別荘地から定住住宅地へと変貌しようとしていた湘南海岸一帯では、飛砂の害に悩まされることとなり、以前に増して砂防林の必要性が叫ばれたに違いない。
 1927(昭和2)年、神奈川県は茅ヶ崎の小和田に《海岸砂防事務所》を設置、翌1928年京都で開催される御大典(昭和天皇即位式)をきっかけに、その記念事業の一環として境川河口から花水川河口に至る180万haの葦簀の防砂柵に護られたクロマツ植栽を行い、《御大典記念魚附海岸砂防造林地》と名付けた。
 この事業は1928(昭和3)年度から1933(昭和8)年度までの5か年計画で実施された。しかし、さらに事業は続けられ、一応の完成を見たのは1940(昭和15)年のことだった。
 太平洋戦争突入により茅ヶ崎の小和田の《海岸砂防事務所》は1942(昭和17)年に閉鎖された。
 この事務所は、戦後の1946(昭和21)年2月1日、《湘南海岸砂防事務所》と改称して鵠沼海岸に再開された。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

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