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髙松内科醫院から髙松病院に第0181話で紹介したように、1913(大正2)年に、第0033話で紹介した鵠沼きっての名家=髙松家の本家筋向かいに、初代藤澤町長=髙松良夫の長男=髙松貞夫が《髙松内科醫院》を開設した。第0160話で紹介した1906(明治39)年開設の《鵠沼海濱医院》が、鵠沼で最初の近代的医療施設ということになる。《鵠沼海濱医院》はいわば鵠沼の南端にあったが、《髙松内科醫院》は当時の鵠沼の人口分布重心にあった。 《髙松内科醫院》は関東大震災で倒壊し、再建を機に1925(大正14)年にX線科・理学療法科を備えた鵠沼唯一の病院《髙松病院》となり、翌年には鵠沼海岸に分院を開設するが、分院は1939(昭和14)年に廃止された。 本院の方は1927(昭和2)年に伝染病棟(地元では避病院と呼んでいたと記憶する)を併設し、小規模ながら本格的な総合病院の様相を持っていた。 大戦中、軍需工場として拡張した日本精工に譲渡され、《日精病院》となるのである。《日精病院》は1949(昭和24)年に鵠沼から日本精工藤沢工場北側に移転し、以来、2004(平成16)年6月に鵠沼石上3-3-6に医療法人篠原湘南クリニック 《クローバーホスピタル》が開業するまで鵠沼には病院がなくなった。 1957(昭和32)年、髙松本家に隣接するかつての髙松病院の向かい側に《宮川内科・小児科》が開業し、現在は産婦人科を主体に内科・小児科(《加藤小児科》)を併設する形で、本鵠沼における医療の伝統が守られている。産婦人科だけに入院病室はあるが、法的には診療所であって、病院ではない。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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