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高座郡畜産組合、結成『藤沢市史』第三巻には、1925(大正14)年に高座郡畜産組合が結成されたと出てくる。この時代は、関東大震災の復興が官民挙げて取り組まれていた頃である。このような慌ただしい時代に畜産組合のような新しい組織形成が何故行われたのか、若干疑問を持っていた。 最近、競馬史関係のサイトに以下のような記述があるのを見受けた。これが案外その理由かも知れない。 これはあくまでも私の推測である。 藤澤競馬場「神奈川県相模湾北西沖を震源として発生したマグニチュード7.9の大正関東地震により高座郡藤澤町も4000余戸が倒壊する地震災害を受けた。復興資金の捻出の一つとして藤澤町に馬場が建設され、1927(昭和2)年神奈川県畜産連合会により地方競馬規則に基づく藤沢競馬が開催された。その後、小田原急行鉄道(現:小田急電鉄)江ノ島線が開通し、競馬場も活気にあふれた。しかし、当時の地方競馬規則では県内に競馬場は2か所以内しか認められず、人々の多く集まる川崎大師に神奈川県畜産組合により 新たな競馬場(大師競馬場)建設の計画にともない1932(昭和7)年秋開催をもって藤澤競馬場は閉鎖とする。」※藤澤競馬場が短期間で閉鎖されたのは、世界恐慌によると耳にしたことがある。地方競馬規則によるものであるとは知らなかった。 なお、藤澤競馬場は、現在の藤沢市民病院あたりから藤沢バイパスの北側にあったことは、『大藤澤町復興地圖』に掲載されている。上記サイトには「現在、跡地には聖園女学院がある」とあるが、これは藤澤カントリークラブ(ゴルフ場)のことである。 | ||||||
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