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第0235話 鵠沼文化人百選 その021 江口朴郎

プロフィール

  江口朴郎 (えぐち ぼくろう 1911-1989)は国際政治史学者 文学博士 東京大学教授  佐賀県出身
 湘南中學→一高を経て東京帝國大學文學部西洋史學科卒業。同大学院に進む。1934年、外務省嘱託。1941年、姫路高等学校教授。1947年第一高等学校→東京大学→法政大学→津田塾大学の教授を歴任、歴史学研究会委員長、日本学術会議委員、国際関係研究所長を務める傍ら、多くの著書を著し、歴史学の叢書・全集の編纂を手がけた。
 一方、原水禁運動をはじめ、平和運動・社会運動にも積極的に関わり、いわゆる行動派知識人の代表格でもあった。

鵠沼とのゆかり

  少年時代から鵠沼川袋(鵠沼桜が岡1-1-7)に住み、戦時中は姫路高等学校に着任していた。戦後鵠沼の最高地点、新田山(鵠沼橘2-5-12)に帰り、一高→東京大学教授となる。この頃、湘南高校生時代の江藤 淳・石原慎太郎・葉山 峻らが出入りしていたというエピソードもある(江藤 淳は夫人の従兄弟)。
 膨大な蔵書は、藤沢市民図書館に寄贈され、《江口朴郎文庫》として湘南大庭市民図書館で保管・公開されている。
 鵠沼山万福寺本堂右手の墓地に眠る。

江口朴郎 鵠沼関係年表    
西暦 和暦 記                        事
1923 大正12 8 31 後の歴史学者=江口朴郎(1911-1989)、鵠沼川袋2486(鵠沼桜が岡1-1-7)髙瀨住宅に転居
1924 大正13 4   神奈川縣立湘南中學校に進学
1929 昭和 4 4   第一高等學校に進学
1932 昭和 7 4   東京帝國大學文學部西洋史學科に進学
1936 昭和11 4   同大学院に進む
1941 昭和16 4   姫路高等学校着任のため鵠沼より姫路市に転居
1947 昭和22 5   姫路市より鵠沼に戻る。鵠沼橘2-5-12に住む。第一高等学校教授となる
1953 昭和28     東京大学教授となる
1971 昭和46     定年退官ののち法政大学教授、津田塾大学教授を歴任
1989 平成 1 3 15 歴史学者=江口朴郎(1911-1989)、鵠沼橘2-5-12にて没。享年77。墓所:鵠沼万福寺
1996 平成 8     遺族の江口久子夫人、旧蔵書を一括して藤沢市民総合図書館に寄贈
2000 平成12     《江口朴郎文庫》藤沢市湘南大庭市民図書館で公開
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼ゆかりの文化人』(2007)
 
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