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第0231話 劉生と災害

 大正期の災害については既に第0221話で紹介したところだが、『岸田劉生全集』の日記を読み返してみて、生の眼でとらえた災害については興味深いものがあるので、ここに紹介する。関東大震災については別項を立てる。

1920(大正9)年秋の大雨

  1920(大正9)年9月29日(水)、朝から雨だった。この日は武者小路実篤夫妻が朝早々に岸田劉生宅を訪れた。久々に歓談するうちに雨は激しさを増した。午後には愛弟子の椿貞雄も来て話はさらに弾み、そのうちに新潮社の中根駒十郎が訪れ、『カチカチ山』に武者小路の『地蔵と鬼』を加えた本を出版する話を持ち込んだ。
 夕方の5時頃、鎌倉大町の長與善郎(『白樺』同人の作家。劉生とも家族ぐるみで親交)宅へ向かう武者小路夫妻を江ノ電鵠沼停車場へ送り、帰途、八軒別荘の椿宅に寄った。
 翌9月30日(木)、朝から大雨だったが、昨日約束してあったので、11時頃劉生は蓁(しげる)夫人を伴って鎌倉の長與善郎宅に向かった。あいにく長與夫妻と武者小路夫妻は園池公致(きんゆき『白樺』同人の作家。劉生とも親交)宅を訪問していて留守。寿司などとってもらって待っているうちに外出していた一行が戻ってきた。
 5時頃長與宅を辞して大町まで来たら、滑川は溢れそうで下水から出水した水が道路を流れていた。江ノ電に乗って長谷まで来たところで、極楽寺方面で崖崩れがあったため電車は不通。長與宅に泊めてもらおうと大町まで戻ったら、出水で不可能。再び長谷まで引き返し、老舗旅館《三橋》に宿泊する。
 翌10月1日(金)は快晴になった。9時頃宿を引き払って、江ノ電は不通なので俥で大町まで来たら、出水で通行止め。車を捨てて長與宅へ向かう。武者小路夫妻も上京できず滞在していた。
 午後4時頃汽車(横須賀線のことなのだなァ)が復旧したので大船に向かい、折良く来た国府津行きの東海道線に乗ることができた。
 藤沢駅に着いたら、江ノ電は石上付近の出水のため不通で、人が溢れている。ようやく俥を雇って「旧道」を通って鵠沼へ戻る。第0195話の新道は、江ノ電沿いなので、当然通れなかったのである。「旧道」を安場の所(現在のマリンロードから公民館方面に向かう角)まで来たら、松本別荘の自宅へ通ずる道は俥が通れないほど崩れていて、俥を道に置いて車夫が灯を持って水で河のようになった道を送ってくれた。家に着いたのは7時頃。

1921(大正10)年秋の大雨

  これについては、読み返しが進んでいないので、後で追記する予定。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 岸田劉生:『岸田劉生全集』第五巻(1979)
 
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