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髙松内科醫院現在鵠沼地区にはどれくらい病院があるかご存じだろうか。答えは一つ。2004(平成16)年6月、鵠沼石上3-3-6に開業した医療法人篠原湘南クリニック 《クローバーホスピタル》のみである。 仲東にあった《日精病院》が《日本精工診療所》として藤沢工場北側に移転して(いつの時点かは未調査)以来。鵠沼地区には診療所(開業医)は多いが、病院はかなり長い間存在しなかった。 《日精病院》の前身は《髙松病院》であり、さらにその前身が《髙松内科醫院》であった。 《髙松内科醫院》は、第0033話で紹介した鵠沼きっての名家=髙松家の本家筋向かいに、初代藤澤町長=髙松良夫の長男=髙松貞夫が1913(大正2)年に開設したものである。 第0160話で紹介した1906(明治39)年開設の《鵠沼海濱医院》が、鵠沼で最初の近代的医療施設ということになる。 《鵠沼海濱医院》はいわば鵠沼の南端にあったが、《髙松内科醫院》は当時の鵠沼の人口分布重心にあり、便利だったに違いない。 《髙松内科醫院》は関東大震災で倒壊し、再建を機に鵠沼唯一の病院《髙松病院》となり、1926(大正15)年には鵠沼海岸に分院を開設するが、分院は1939(昭和14)年に廃止された。 大戦中、軍需工場として拡張した日本精工に譲渡され、《日精病院》となるのである。《日精病院》は1949(昭和24)年に鵠沼から日本精工藤沢工場北側に移転し、鵠沼には病院がなくなった。 と思っていたら、『藤沢医史』に《鵠沼病院》の医師として1950年代に5名の医師名が列記されていることを発見した。この病院の来歴については、いまのところ全く不明である。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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