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第0156話 鵠沼文化人百選 その003 颯田本眞尼

 今年=2011年は、3月11日14時46分、三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)、深さ約24kmを震源とする、マグニチュード=9.0という未曾有の強度の「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」によって起きた「東日本大震災」、さらに国際原子力事象評価尺度(INES)の「レベル7」に相当する「東京電力福島第一原子力発電所事故」によって、永く記憶されるべき年になった。これらにより、極めて多くの犠牲者、行方不明者、被災者、また、強制転居者が出て、世界中の眼が被災地に注がれ、義援金、救援物資、救援活動などが寄せられた。

颯田本眞尼

 内外から多くの人々が被災地のためにヴォランティア活動をされてきている。
 鵠沼海岸3-12に「慈教庵」を創建した颯田本眞尼は、こうした被災地救済へのヴォランティア活動の先駆けとして、生涯を財施のために捧げた人物である。
 その詳細については、藤吉慈海:『颯田本真尼の生涯』に詳しい。
 本眞尼がこうした活動を始めるきっかけになったのは、1890(明治23)年に住職をしていた愛知県の徳雲寺が津波で浸水したことらしい。
 1896(明治29)年6月の「明治三陸地震」大津波の被災者救恤のため正法会員代理として衣類その他施与のため出張したことが本眞尼の活動を世に知らしめる結果となった。
 また、鵠沼の慈教庵も1923(大正12)年の大正関東地震による津波で被災した。
 よくよく津波に縁の深い尼さんである。
 自らも熱心に学んだが、一方では、弟子には厳しい指導者だったという。
 「尼寺さん」こと本眞寺の尼さんたちも、口々に「本眞尼は厳しかった」と述懐されるのを私も耳にしたことがある。

颯田本眞尼略年譜
西暦 和暦 記                        事
1845 弘化 2 11 28 堀田本眞尼、愛知県幡豆那吉田町の場田清左衛門の長女として誕生。幼名「リツ」
 1856 安政 3 9 1 愛知県碧海郡旭村(現碧南市)において得度。横須賀村東城真珠庵に入る 
1862 文久 2 1   貞照院高橋天然和上に就き律学を修める 
1862 文久 2 2 7 愛知県吉田町に慈教庵(徳雲寺の旧称)を創建し、住職となる 
1863 文久 3 不臥念仏を修す
1864 元治元 不臥念仏を修す
1865 慶応元     愛知県幡豆郡寺津村(現西尾市)瑞松庵主実英尼に就いて宗学律義を修める
1866 慶応 2   実英尼に就いて宗学律義を修める
1877 明治10 5 9 徳雲寺の寺号公称許可
1877 明治10 7 13 浄土宗官長大僧正養鸕徹定上人より教道職補を申し付けられる
1879 明治12 8 15 愛知県令により徳雲寺住職を任命される
1879 明治12 12 28 真珠庵兼務住職継続を命じられる
1880 明治13 4   総本山知恩院門主より慈教講社長を申し付けられる
1880 明治13 8 5 徳雲寺建立の件で総本山より賞詞を受ける
1880 明治13 12 23 信源講百口加入信徒勧奨の件で総本山より賞詞を受ける
1881 明治14 12 28 大本山黒谷金戒光明寺法主獅子吼観定上人に就いて宗戒両派を相承
1882 明治15 7   徳雲寺本堂建立を発願
1883 明治16 9   徳雲寺本堂竣工。久我誓円尼公を屈請し入仏式を挙行
1883 明治16 12 25 徳雲寺本堂建立の件で総本山より賞詞並びに金2000匹を下付される
1885 明治18     貞照院戒幢和上に就き計同沙弥戒を受ける
1887 明治20     浄土宗官長より教師補を命じられる
1889 明治22 7 20 浄土宗官長日野霊瑞上人より幡豆郡西尾町寄近天然寺兼務住職を命じられる
1890 明治23 6 5 総本山常念仏勧募の件で知恩院門主より大師絵伝一軸並びに門主真筆を下付
1890 明治23 8 17 津波のため徳雲寺浸水。死者400余名。志運和上と共に救恤に務める
1891 明治24 11   岐阜県下震災に際し、志運和上の信者より勧募した衣類220梱を岐阜・大垣の被災者に施与
1892 明治25 1 2 岐阜県笠松町・竹ヶ鼻町震災被害者1300戸へ衣類等施与
1895 明治28 5 21 山形県飽海郡坂田町震災救助として私財100円、各地篤志者寄付の18梱を1100戸に施与
1895 明治28 7 4 仙台市篤志者よりの380梱罹災者へ施与するため再び坂田へ出張
1895 明治28 12   坂田町の被害が甚だしい各家へ各地より勧簿の衣類35梱を施与のため出張
1896 明治29 6   明治三陸地震大津波の被災者救恤のため正法会員代理として衣類その他施与のため出張
1897 明治30 6   山形県東田川郡手向村大火災救助のため出張
1899 明治32 4 14 浄土宗官長野上運海上人より寄近天然寺兼務住職継続を命じられる
1899 明治32 4 23 静岡県磐田郡掛塚町・白羽大火災救助として衣類等15梱(802点)を300戸へ施与のため出張
1899 明治32 6 2 真珠庵兼務住職を命じられる
1899 明治32 7   白石町火災罹災者救助のため衣類等施与のため出張 
1899 明治32 9 4 浄土宗官長野上運海上人より権少僧都を命じられる
1899 明治32 11 19 長野県下伊那郡根羽村火災救助のため衣類等7梱を95家族に施与のため出張
1899 明治32 12 18 名古屋忠魂堂事務勧募係を命じられる
1900 明治33 12 7 静岡県志太郡島田町大火災罹災者140戸への衣類等7梱施与のため出張
1901 明治34 12 20 総本山知恩院門跡より阿弥陀堂再建事務賛襄の件につき賞状を受ける 
1901 明治34 12 24 神奈川県小田原町火災救恤のため衣類等35梱を200余戸へ施与のため出張
1901 明治34 12 28 神奈川県足柄下郡酒匂村火災90戸へ衣類等施与のため出張
1903 明治36 9   布教拡張・日清戦争戦死病没者追悼のため鵠沼村に浄土宗説教所を建立し慈教庵と号す
1906 明治39 12 27 真珠庵兼務住職継続を1909年12月28日まで命じられる
1907 明治40 5 静岡県田方郡伊東町火災に際し181戸へ衣類等を施与
1907 明治40 6 16 寄近天然寺兼務住職を1910年1月15日まで命じられる
1907 明治40 12   北海道函館市大火災罹災者450戸へ衣類等25梱施与に出張
1908 明治41 6 18 函館市大火災窮民3600戸へ手拭600反、衣類等50梱施与のため出張
1909 明治42 12 28 真珠庵兼務住職継続を命じられる
1910 明治43 6 3 青森市大火災罹災民救恤のため衣類15梱を窮民350戸へ施与に出張
1910 明治43 11 29 青森市へ第2回目の施与として手拭650反、袋1100、衣類68梱を3750戸へ賑恤のため出張
1911 明治44 4 10 青森市へ第3回目の施与として、衣類等10梱を火災罹災者250戸へ賑恤のため出張
1911 明治44 6 12 寄近天然寺兼務住職継続を命じられる
1911 明治44 12 13 山形市火災窮民救恤のため衣類等32梱を800戸へ施与のため出張
1911 明治44 12 17 山形県最上郡新庄町火災罹災者100戸へ衣類等4梱施与のため出張
1912 大正元 12 11 静岡県田方郡伊東町火災罹災者100戸へ衣類等施与のため出張
1913 大正 2 12 24 静岡県沼津町火災窮民2000戸へ手拭300反、衣類28梱施与のため出張
1914 大正 3 7 29 鹿児島県桜島噴火移住民1600戸へ衣類56梱、手拭630反施与のため出張
1914 大正 3 10   青森県下飢饉のため窮民救助として東津軽郡奥田町350戸へ金250円他衣類施与のため出張 
1914 大正 3 11 19 鹿児島県桜島噴火罹災移住民肝属郡内4か所500戸へ衣類等25梱施与のため出張
1915 大正 4 4 10 静岡県伊東町火災に付き150戸へ衣類等7梱を施与のため出張 
1915 大正 4 11 7 宮城県本吉郡気仙沼町大火罹災者1600戸へ衣類等施与のため出張
1916 大正 5 1 25 岩手県磐井郡薄衣村火災罹災民103戸へ衣類等施与のため出張
1916 大正 5 2 17 浄土宗管長山下現有上人より輔教に任じられる
1916 大正 5 11 18 宮城県伊具郡角田町火災罹災民250戸へ衣類等施与のため出張
1916 大正 5 11 20 青森県上北郡野辺地町大火災救恤のため衣類等施与に出張
1917 大正 6 3   三重県阿漕村及び家城火災躍災者101戸へ衣類等施与のため出張
1917 大正 6 4 21 秋田県能代港242戸の火災罹災者へ衣類等施与のため出張
1917 大正 6 7 3 新潟県古志郡黒条村火災罹災者50戸へ衣類その他を施与
1917 大正 6 7 5 新潟県古志郡上川西村槇下火災罹災者20戸へ衣類等を施与のため出張
1917 大正 6 7 12 新潟県三島郡出雲崎罹災者200戸へ衣類等施与のため出張
1917 大正 6 10 17 青森県南津軽郡大鰐村火災罹災者160戸へ衣類等施与のため出張
1917 大正 6 12 13 青森県1市3力村550戸(中津軽郡和植村50戸)の火災罹災者賑恤のため衣類等施与に出張
1918 大正 7 1 新潟県中蒲原郡亀田村へ泉谷儀三郎氏よりの金1,000円也を施与のため出張
1918 大正 7 3 4 佐賀県東松浦部名護屋村馬渡島38戸火災救恤のため出張
1918 大正 7 5 29 神奈川県三浦郡三崎町358戸へ火災罹災者救恤のため衣類等施与のため出張
1918 大正 7 6 兵庫県船井郡笹木村罹災者へ衣類等施与のため出張
1919 大正 8 11 8 兵庫県城崎町内川村罹災者救恤のため衣類等施与のため出張
1919 大正 8     佐賀県東松浦郡名護屋村馬渡島の仏教徒へ阿弥陀如来尊像100体を施与
1920 大正 9 1 29 神奈川県真鶴町へ火災被害者350戸救助のため衣類等施与に出張
1920 大正 9 5 27 福井県南粂郡南杣山町上別野火災罹災者救助のため衣類等施与に出張
1920 大正 9 6 22 新潟県北蒲原郡亀代町罹災者救助のため衣類等施与に出張
1920 大正 9 10 26 鹿児島県百島村罹災者救助のため衣輝等施与に出張
1920 大正 9 10 27 神奈川県足柄下郡小田原町大火災罹災者500戸へ衣類等を施与
1920 大正 9 11 25 長野県上高井郡仁礼村火災救恤のため衣類等施与に出張
1920 大正 9 12 16 兵庫県美方郡関町火災罹災者救恤のため衣類等施与に出張
1921 大正10 4 19 徳島県那賀郡羽ノ浦町大火災救助のため衣類等施与に出張
1921 大正10 4 20 鳥取県東伯郡讃津村火災救助のため衣類等を施与
1921 大正10 5 10 福井県吉田郡浄法寺村大火災100戸へ衣類等施与に出張
1921 大正10 5 24 静岡県志太郡焼津町火災救助のため衣類等を施与
1921 大正10 6 5 福島県石城郡内の郷村火災救助のため衣類等施与に出張
1921 大正10 11 5 福井県吉田郡浄法寺村大火災60戸へ衣類等施与に出張
1921 大正10 11 28 青森県東津軽郡今別村火災救助のため104戸へ衣類等施与に出張
1921 大正10 12 6 函館市火災救助のため400戸へ衣類等施与に出張
1921 大正10 12 12 秋田県秋田郡五城目町罹災者260戸へ衣類等施与に出張
1922 大正11 1 29 鹿児島県東桜島噴火罹災者救助のため衣類等施与に出張
1922 大正11 2 28 青森県東津軽郡油川町罹災者救助のため衣類等施与に出張
1922 大正11 3 26 秋田県南秋田郡土崎港町火災のため救助
1922 大正11 3 30 第二回目の福島県石城郡内の郷村火災救助に衣類等施与に出張
1922 大正11 6 17 静岡県田方郡土肥村大火災救助のため衣類等施与に出張
1922 大正11 8 島根県簸川郡佐香村大字坂浦大火災救助のため衣類等70梱施与に出張
1922 大正11 8 浄土宗吉水会三河支部を設けるや、推されて初代支部長となる
1922 大正11 11 29 第二回目の秋田県南秋田郡土崎港町火災のため救助
1923 大正12 3 29 長野県下伊那郡飯田町大火災救助のため衣類等施与に出張
1923 大正12 5 16 新潟市沼垂町外500余戸へ智山尼を代理として衣類等施与に出張させる
1923 大正12 9 1 慈教庵、大正関東地震のため倒壊。津波の引き波で流失
1923 大正12 12   腰越200余戸、鎌倉500戸火災罷災者救助のため布団衣類など施与に智山尼を代理出張させる
1924 大正13 1   颯田本眞尼、関東大震災で倒壊した慈教庵を現在の本眞寺の位置に移し、仮本堂を建立
1924 大正13     神奈川県足柄下郡小田原町1000戸の被害者へ衣類等施与に出張
1924 大正13     この頃より軽度の中風症にかかる
1924 大正13 3   浄土宗開宗750年記念大法要に知恩院に登嶺
1924 大正13 3 15 高座郡藤沢町震災窮民救助のため衣類等を施与
1925 大正14 7 2 浄土宗管長山下現有上人より権大僧都に叙せられる
1926 大正15 1 11 愛知県自治会長山脇春樹より社会事菜家として表彰せられ金20円を拝領
1927 昭和 2 1   慈教庵に於て食事進まず水と葡萄とを用うるのみ
1927 昭和 2 11 6 慈教庵境内に矢吹慶郎、泉谷氏発起となり地蔵尊の銅像を建立し、開眼供義
1927 昭和 2 11 10 愛知県吉田町徳雲寺に帰る
1928 昭和 3 8 8 慈教庵開山=颯田本眞尼(1845-1928)、夜12時徳雲寺に於て入寂 享年84
1935 昭和10 4 慈教庵(後に本眞寺)本堂完成
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 塩沢 務:「颯田本真尼と鵠沼慈教庵」『鵠沼』44号(1988)
  • 藤吉慈海:『颯田本真尼の生涯』春秋社(1991)
 
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