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第0157話 帆足可成句碑

 本日=2011年6月6日、鵠沼郷土資料展示室の時期展示の準備がスタートした。今回は私が提案したテーマなので、いつになく忙しい。
 展示のテーマは「鵠沼のモニュメントと路傍石造物」というもので、初日は6月15日(水)である。お楽しみに。
 ところで、鵠沼には文学碑が3基しかない。他に墓碑に句や歌が刻まれた例がいくつかある。江の島には、あの狭い島内に文学碑が20もある。鵠沼には、古くは鎌倉時代から訪れたり、滞在したり、居住したりした文人が多く、そこで生まれた文学作品も少なくないにも拘わらず、文学碑が3基というのは、余りにも寂しい。
 その3基のうち、最も古いのが帆足可成句碑である。

帆足可成句碑

設置場所 鵠沼藤が谷3-10(賀来神社境内)
設置時期 1904(明治37)年3月
設置者 伊東將行
制作者 書:三昧菴主人
形態 自然型 碑高175㎝ 幅95㎝ 火成岩(安山岩)
[碑面]
               可成
古からしの落ち行あとや
            水乃月
[碑陰]
君姓帆足名信松風庵可成其別號舊長府藩士仕至
陸軍一等軍吏正六位勲五等性風流嗜俳諧甚愛鵠
沼風景遂移寓本土有今日繁榮蓋君力居多焉明治
三十六年三月廿五日病歿歳五十有六頃友人伊東
將行等相謀將鐫其秀句於貞珉乞余揮毫乃書其由
    明治三十七年三月   三昧菴主人識

 君姓は帆足、名は信、松風庵可成は其の別号なり、旧長府藩士、仕えて陸軍一等軍吏正六位勲五等に至る、性風流にして俳諧を嗜む、甚だ鵠沼の風景を愛し、遂に寓を本土に移す、今日の繁栄有るは蓋し君が力居多ければなり、明治三十六年三月二十五日病歿す、齢五十有六、この頃友人伊東将行等相謀リ、将に其の秀句を貞珉(=碑) に鐫らんとして余に揮毫を乞う、乃ち其の由を書す
   明治三十七年三月           三昧菴主人識

 この句碑は、次項で紹介する賀来神社境内の参道を進み、右に折れ曲がるあたりの左奥に建っている。人の背丈ほどもあるかなり大きな碑だが、地味な存在である。
 設置された1904(明治37)年3月は、実は賀来神社遷宮の前年にあたるが、既に境内地は確保され、あるいは社殿の建築も始まっていたかも知れない。いずれにせよ、社殿より先にこの句碑が建てられた。
 帆足 信こと松風庵可成については、この碑陰の文章でしか調べることができなかったが、旧長府藩士で、陸軍一等軍吏正六位勲五等という職業軍人だったようだ。市井の俳人として俳諧を嗜んでいたが、どこかの句会の同人だったというような記録は見当たらない。伊東將行とは友人だったようで、この句碑も將行が建てた。
 撰文を書いた三昧菴主人とは如何なる人物であるかは、調べがついていない。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 伊藤節堂:「鵠沼碑文集 (4)帆足可成句碑」『鵠沼』6号(1979)
 
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