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第0115話 海水浴場事始め

世界最古の海水浴場

 愛知県知多半島にある大野海水浴場(常滑市)は、「世界最古の海水浴場」を売りにしている。
 その根拠は、鎌倉時代初期に鴨長明が訪れ、「生魚の御あへもきよし酒もよし大野のゆあみ日数かさねむ」(新鮮な魚料理もおいしいし、お酒もおいしい。大野の汐湯治に来てついつい長期間滞在してしまった)と詠んでいるからだという。
 1923(大正12)年に建てられたという海水浴場の標識看板には、右面下部にこの歌が詠まれたのが大正12年より712年前であり、続けてヨーロッパ各地の海水浴場が開設されたのは何年前であるかが列挙されている。これは佐野重造が著した「大野町史」が出典だというが、鴨長明が大野で汐湯治をしたのが史実だとしても、それを以て海水浴場開設の根拠とするのは如何なものか。

ヨーロッパにおける海水浴場の開設

 健康のために海水に浴するという風習は、古代エジプト人のそれが旧約聖書「出エジプト記」に記されており、古代グレコローマン世界でも一般的だった。わが国においても記紀の時代から海水による禊ぎが行われると共に「 汐(潮・塩とも)湯治」の語が古くから識られている。
 レジャー、スポーツとしての波乗り(サーフィン)は、ポリネシアにおいて盛んに行われていたことは、キャプテン=クックが報告している。
 近代医学に基づき、それなりの療養施設を設けた「海水浴場」が設置されるのは、産業革命により中産階級(ブルジョワ)が社会をリードする18世紀中頃のイギリスからだった。
 記録によるヨーロッパ最古の海水浴場は、1740年、イングランド東部、北海沿岸のスカーバラだったといわれる。
 次いで1754年、イギリスの医師=リチャード=ラッセルが、イングランド南部ドーバー海峡に面するブライトンに海水療法療養所を開設し、大変有名になった。 1982(明治15)年、明治政府の使節団がこのブライトン海浜保養地を視察している。
 ドーバー海峡の対岸、ディエップにフランス最古の海水浴場が開設されたのは1767年で、ベルギー、オランダがこれに続く。
 1793年にはフリードリッヒ=フランツⅠ世がバルト海沿岸のハイリゲンダムにドイツ最古の海水浴場を設立した。19世紀には地中海に展開する。

明治初期、外国人の海水浴

 1858(安政5)年、江戸幕府は諸外国と修好通商条約締結した。この条約の中で外国人の行動範囲を横浜の場合は六郷川以西、開港場から10里以内に制限していた(鉄道開通後に箱根はお目こぼしとなる)。
 この横浜居留の外国人の行動を制限する居留地制度が撤廃されるのは、 1899(明治32)年7月17日のことである。
 江戸時代から観光地だった鎌倉・江の島はこの範囲に含まれていたため、明治維新以来、来遊する外国人も多く見られた。彼らの中には美しい海を見て海水浴を試みる者もあった。
 最古の記録は、フランスの法律家=ジョルジュ=ブスケの著した『日本見聞記Ⅰ』である。それによると、1872(明治 5)年8月に「カタシエ(片瀬)で夕食前に海水浴をする。翌日我々は馬に乗って6時に藤沢に着く」とある。 続いて1876(明治 9)年夏、フランスの東洋学者=エミール=ギメが片瀬の海で海水浴をしたが、電気クラゲに刺されて岸に戻ったという。
 米国の生物学者=エドワード=モース博士はシャミセンガイ研究のために江の島に臨海実験場を開設したが、1877(明治10)年8月11日の日記に「同行の帝国大学の外山教授や松村助手らと江の島の海で海水に浴す」とある。
 しかし、この地の海水浴場開設に大きな影響を与えたのは医師=エルヴィン=フォン=ベルツである。1879(明治12)年7月6日の『ベルツの日記』によれば、「海水浴場適地を探索するため横浜から馬車で江の島に来訪」し、翌年7月13日の日記には「鍋島侯爵の子ども2人を片瀬へ海水浴に送る」と出てくる。
 また、1883(明治16)年、暁星学校の教職員(アルフォンス=ヘンリック神父らフランス人・米国人・日本人)が片瀬で海水浴したという。これが片瀬とカトリックを結ぶ契機となった。

日本における海水浴場開設の幕開け

 東海道本線大磯駅の記念スタンプには「日本最古の海水浴場のある駅」とあり、大磯町もそのことを標榜している。神奈川県民の多くはそのように認識しているであろう。
 しかし、「日本最古の海水浴場」標榜するところは他にも複数存在するのである。
 編年順に列記してみよう。
■1880(明治13)年、沙美海岸(岡山県倉敷市)に医師=坂田侍園の薦めで、海水浴による療養施設の為の仮小屋が建設される。
■1881(明治14)年、富岡海岸(横浜市金沢区)に「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられる(これはジェームス・カーティス・ヘバーン=通称ヘボン博士の推奨により、外国人専用だったという)。
■1881(明治14)年、兵庫県須磨海岸にオランダ人医師W・ハイデンによって医療目的の海水浴場が設置される
■1881(明治14)年、医師だった後藤新平が愛知県千鳥ヶ浜に海水浴場を開く。
■1982(明治15)年、沙美海岸に本格的な海浜病院を建て、村営海水浴場開設。
■1982(明治15)年10月9日、三重県二見の立石浜、初代軍医総監=松本順によって日本最古の海水浴場として国に指定。
■1884(明治17)年、三重県二見の旧二見館前に海水浴場が移設され、二見館に海水温浴設備が設けられる。
■1885(明治18)年、内務省初代衛生局長=長与専齋のすすめにより鎌倉由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを東京横浜毎日新聞で広告。
■1885(明治18)年、初代軍医総監=松本順大磯町照ヶ崎海岸を海水浴場に認定。
 このように、瀬戸内海、伊勢湾、東京湾、そして相模湾で明治10年代に相次いで海水浴場が設立されたが、その多くが近代医学の導入に関するものであった。中でも松本順の名が2度出てくる。彼は初代軍医総監であり、ベルツと並んで海水浴場の父といえるだろう。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考サイト]
 
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