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第0114話 明治初期の鵠沼村の農家

皇国地誌

 1879(明治12)年2月に刊行された『皇国地誌鵠沼村誌』には、田=66町、畑=219町とある。
 戸数は平民297戸とあるのみで、職業は明確でない。大部分が第一次産業従事者であったであろうから、平均所有耕地面積は1町歩程度であったと考えられる。

明治初期の鵠沼村の農家

 有賀密夫:「明治初期の鵠沼村」『わが住む里』第43〜45号(1992〜1994)によれば、一握りの富農層と大多数の貧農層に二分されていたようである。平均所有耕地面積は1町歩程度であったとしても、1町歩以上の土地所有者は、30戸弱に過ぎず、10石以上の生産者は16戸だった。残りの大部分は1〜3反程度の土地所有者が多く、その大部分は自小作農だったと思われ、生産も4石以下で、1石以下の戸数が94戸と最も多い。1石以下ということは、自家消費分にも不足するという階層である。
 当時の鵠沼村の大地主は原の淺場太郎右衛門、宿庭の關根傳左衞門、苅田の齋藤六左衞門、仲東の熄シ祐重が抜きん出ていた。
鵠沼地区明治時代農業年表    
西暦 和暦 記                        事
1879 明治12 2   鵠沼村、田=66町、畑=219町[皇国地誌村誌]
1897 明治30     高座郡農会結成
1900 明治33 4   鵠沼村に鵠沼肥料設立
1900 明治33 10 8 鵠沼村農会、設立(会長=斎藤弥五右衛門、代表者=山上三之助)
1905 明治38 6   鵠沼村関根万蔵ほか2名、水車設置願を県知事に提出・認可される
1906 明治39     鵠沼地区の甘藷収穫高=90万貫、繭生産高=1,528石、牛=12頭、馬=20頭、豚=52頭、家禽=2,400羽
1908 明治41 4 1 藤沢町農会、結成
1909 明治42 11   藤沢町外二箇村(六会村、大正村)連合耕地整地組合、発足。水田、河川の整理が進む
1910 明治43     県立農事試験場蚕業部(後に原蚕種試験場)、鵠沼横須賀(現日本精工敷地)に設立
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 有賀密夫:「明治初期の鵠沼村」『わが住む里』第43〜45号(1992〜1994)
 
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