|
1882(明治15)年頃から鵠沼村を含む近代測量法に基づく地図が相次いで刊行された。 神奈川縣下相模國高坐郡鵠沼村縮切圖一つは『神奈川縣下相模國高坐郡鵠沼村縮切圖』(齋藤權左衛門編輯;菰田顕令縮圖 - 明治15年8月 銅版 1冊(15丁と全圖1葉) 29.1×21.0cm 叙言 明治十五年七月下浣)というものである。これは1873(明治 6)年7月28日に布告された「地租改正条例」(私的土地所有権を前提にした定額金納地租3%が課せられる) を受けて制作された区画図で、小字毎に区切った15葉の地図と全図1葉からなる。長方形の図画に収まるように作られているため、各図の方位が一様ではない。1873(明治 6)年5月1日に施行された「区・番組制」小字・番地の制定に基づいた番地の区分が読み取れる。 参謀本部陸軍部測量局、二万分一迅速圖「藤澤驛」もう一つは陸軍によって1882(明治15)年に測量され、翌年に刊行された二万分一迅速圖「藤澤驛」である。第0002話および第0107話では、この図に土地利用を着色したものを紹介した。 明治政府は、1880(明治13)年に陸軍卿・山縣有朋によって地図作成が命じられた。限られた予算と時間の中で作成しなければならなかったため、基準点測量を省いた方式が採られた。地図は基本的に1/20,000の縮尺で作成されているが皇居周辺や小田原は1/5,000の縮尺図も作成されている。合計で921枚に上る迅速地図は1886年(明治19年)に完成した。そのうち『藤澤驛』に鵠沼村の全域が含まれる。※藤澤驛とは藤沢宿のことであって、鉄道の駅ではない。 この図では鉄道のところに平行線が記入されているが、鉄道開通は1887(明治20)年のことであるから、これは予定線である。 この図は現在復刻版が刊行されており、書店で購入することができる。
|