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第0084話 相模國準四國八十八箇所

 昭和初期まで、春になると、満開の桃畑や菜の花畑の中を、遠くに雪の残る丹沢や富士を望みながら、編み笠をかぶり、持鈴を響かせて御詠歌を唱えながら歩く「お遍路さん」の姿を見かけたという。

四国八十八箇所

 お遍路さんというと、四国八十八箇所巡礼を指すが、これは、一生に一度というような大事業である。
 弘法大師=空海の入寂(835(承和2)年)後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。これが四国遍路の原型とされる。時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地などが加わり、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が実行した。室町時代には僧侶の遍路が盛んになる。
 今日のような僧侶だけでなく民衆の信徒が巡礼する「四国八十八箇所」が確定するのは江戸時代初期とされる。江戸中期になると、全国各地で四国を模してそれぞれの地域の主に真言宗寺院を巡礼する風習が生まれる。四国八十八箇所霊場の「お砂」を戴いて祀り、それを巡礼参拝することにより、四国に行ったのと同様な御利益(りやく)が得られるとした。それらは「新四国八十八箇所」あるいは「準四国八十八箇所」と呼ばれることもあり、元来の四国のものを「本四国」という。うち関東地方では十数系統が設けられた。

相模國準四國八十八箇所

 堀川の豪農、淺場太郎右衛門は、4回も高野山登山を行うなど、熱心な真言宗信徒だが、下総四国八十八箇所札所を巡礼し、地元でも同様なものをつくることを発願した。彼は1806(文化 2)年に志半ばで他界し、その遺志は息子の淺場太郎右衛門(同家当主の名は太郎右衛門として継がれた)に引き継がれた。
 息子の淺場太郎右衛門は、父他界の翌年普門寺住職=善応密師に相談し、相模國準四國八十八箇所の創設に取りかった。
 普門寺の善応密師は、大東にあった同寺の観音堂庵主=浄心を四国八十八か所に遣わし、砂を持ち帰らせる
 淺場太郎右衛門は、弘法大師の坐像を制作し、東は鎌倉の寺分、西は寒川町に至る88か所に浄心の持ち帰った砂と共に安置した。基本的には真言宗寺院に置かれたが、浄土宗や天台宗寺院の場合もある。ことに鵠沼村では路傍の地蔵堂に併置されている場合が見られる。これについては次項で解説する。
 弘法大師坐像は表情や大きさはまちまちで、複数の石工が制作したと思われる。右手に五鈷杵(ごこしょ)を握り、胸前で手首を内にひねって甲を胸に着ける。左手には数珠を握り、左足の太腿に置く。台石正面には沓と水差しが彫られるのが原則で、側面に施主や制作年が彫られる。かなり多くの場合、台石がなかったり、取り替えられたり、風化摩耗が激しく、あるいは側面が覗けないので、制作年が判明しない。判明するものはほとんどが1819(文政2)年から1821(文政4)年の造立で、極めて短期間に造られたことが判る。施主には個人名や講中名が見られる。すなわち、これらの大師像は、淺場太郎右衛門が独力で造ったのではなく、多くの設置寺院の檀徒や村人が共同出資をしたのではあるまいか。
 巡礼というのは、番号の付いた札所を順に巡る。「本四国」の場合は阿波(徳島県)→土佐(高知県)→伊豫(愛媛県)→讃岐(香川県)と、ほぼ一筆書き状に巡る。他の「新四国」の場合もほぼ同様だが、相模國準四國八十八箇所の場合は札所の番号と位置には脈絡がない。全くてんでんばらばらである。だから、札所番号順に「巡礼」しようとすると大変なことになる。第1番は大鋸の感応院で、ここから東に向かい、現在の鎌倉市から藤沢市南部、茅ヶ崎市、寒川町、藤沢市北部と横浜市泉区を巡り、最後は鵠沼の普門寺を第88番結願(けちがん)札所としている。当時の路程案内によると「道法合十九里八丁十二間 但し三十六丁一里」とある。すなわち、全行程約80kmで、通常これを4日で巡ったという。
 一方、淺場太郎右衛門は、札所に相応した御詠歌も作成した。「本四国」の八十八ヶ所の御詠歌は、それぞれの札所で作ったとされるが、太郎右衛門は、それをおそらく一人で作ったのである。
 太郎右衛門は、先代の17回忌を期して1821(文政4)年3月に普門寺境内に大師石像と大師堂を建立した。おそらくこれが最終段階ではなかったかと思われる。
 こうして、創設に取りかかってから20年あまりの歳月が流れ、この大事業を成し遂げた1827(文政10)年8月30日、淺場太郎右衛門は他界した。
 その後、この巡礼は湘南の年中行事の一つとして受け継がれた。しかし、明治の廃仏毀釈でかなりの寺院が廃寺になった。その際に別の寺院に併置されたり、村落共同墓地に移された例も多く見られる。

「鵠沼を語る会」の調査

 「鵠沼を語る会」は、2010年3月発行の会誌が第100号を迎えるにあたり、その記念号にふさわしい2009年度の年間事業を、この「相模國準四國八十八箇所」の現状の悉皆調査に定めた。会員を4班に分け、22か所ずつを巡って調査したのである。その結果、88か所のうち不明だったのは2か所に過ぎないことが判明した。この札所巡りという風習が絶えて久しいが、大師像はそれぞれの地域で大切に扱われているのだ。
 会では、平成22年度藤沢市公益的市民活動助成事業に応募し、会誌『鵠沼』第100号を「100号記念特集[相模国準四国八十八ヶ所]藤沢市公益的市民活動助成事業」として刊行した。また市民向けに『相模国準四国八十八ヶ所めぐりガイドブック』を刊行することが出来、完売した。さらにその全部を会のホームページで公開した。
 「相模國準四國八十八箇所」の詳細は、このホームページを参照されたい。
相模國準四國八十八箇所 鵠沼関連年表    
西暦 和暦 記                        事
1743 寛保 3 6 10 鵠沼村智光房・普門寺・浅場太郎右衛門ら7名、高野山に登山
1769 明和 6     普門寺の後藤仏師の作阿弥陀如来立像体内の『四国中奉納大乗妙典日本廻国霊場』作られる
1771 明和 8 8 24 鵠沼村浅場太郎右衛門、高野山に登山
1773 安永 2 3 19 鵠沼村普門寺・浅場太郎右衛門ら7名、高野山に登山
1799 寛政11 1 23 鵠沼村浅場太郎右衛門ら4名、高野山に登山
1803 享和 3 ウ1 3 鵠沼村浅場太郎右衛門ら6名、高野山に登山
1806 文化 2     先代浅場太郎右衛門(堀川。相模準四国八十八箇所の創設発願者)、志半ばで没
1806 文化 3     浅場太郎右衛門、普門寺住職に相談し相模準四国八十八か所の創設に取りかかる
1812 文化 9 2 8 鵠沼村太郎右衛門・藤右衛門の両名、高野山に登山
1817 文化14     普門寺善応密師、大東観音堂庵主浄心を四国八十八か所に遣わし、砂を持ち帰る
1820 文政 3 6 法照寺境内の第48番札所弘法大師石像(坐像丸彫)、造立
1820 文政 3 6 浜道地蔵堂の第25番札所弘法大師像(坐像丸彫)、造立
1820 文政 3 6 浅場邸内の準四国八十八箇所霊場第56番札所弘法大師像(坐像丸彫)、造立
1820 文政 3     苅田稲荷の第41番札所弘法大師像(坐像丸彫)、造立
1821 文政 4 初春  『四国霊場奉写当地八十八箇所 下高座郡鵠沼の郷 原ノ舎主人誌す』、刊行
1821 文政 4 3   浅場太郎右衛門、普門寺境内に弘法大師石像と大師堂建立
1822 文政 5 6   『新四国八十八箇所』刊行
1822 文政 5 10 28 普門寺の海心法師墓碑、造立
1822 文政 5     『相模国準四国八十八箇所』、刊行
1822 文政 5     『再版新四国八十八ヶ所』、刊行
1827 文政10 1   原地蔵堂の準四国八十八箇所弘法大師像(坐像丸彫)霊場第5番札所標柱、造立
1827 文政10 3 1 光明真言講、浅場太郎右衛門の言葉を彫つた供養塔を普門寺境内に造立
1827 文政10 8 30 浅場太郎右衛門、没(光明院阿室見照居士)
1827 文政10 9   浅場邸内の準四国八十八箇所霊場第56番札所標柱、造立
1828 文政11 8   苅田稲荷脇の準四国八十八箇所霊場第41番札所標柱、造立
1831 天保 2 3 浜道の弘法大師堂供養塔(文字塔。札所標石)、造立
1833 天保 4 6 12 普門寺住職=権大僧都上人宥實阿遮梨、入寂。(本鵠沼5-2の笠塔婆型墓碑)
1834 天保 5 3   法照寺境内の準札所道標、造立
1943 昭和18     日本精工拡張で、東毘沙門堂準四国第63番大師像を鵠沼墓地内熄シ家墓所に移動
1964 昭和39     真柴敬典:『相模国準四国八十八ヶ所開創の考証と詠歌』、刊行
1974 昭和49 3 31 丸山久子:「弘法大師 新八十八ヶ所の霊場とその御詠歌」『藤沢民俗文化』8号、刊行
1975 昭和50     樋田豊宏:「相模国準四国八十八ヶ所について」『藤沢市史研究』6号、刊行
1976 昭和51 6 17 法照寺境内の相模国準四国八十八か所供養塔、造立
1983 昭和58 6   〜1986年5月、川島弘之:「相模国新四国八十八ヶ所めぐり」『湘南よみうり』に連載
1983 昭和58     三木洋:『相模国準四国八十八箇所―弘法大師石像をめぐりて―』、刊行
1993 平成 5     樋田豊宏:『相模国準四国八十八ヶ所参観のしおり』、刊行
1995 平成 7     関根善之助、普門寺境内に大師堂建立、寄進
1997 平成 9     圭室文雄:「相模国準四国八十八か所」『寒川町史』第10巻 別編5章4節、刊行
1999 平成11     山崎直人:『湘南さがみ空海石像八十八ヶ札所』、刊行
2004 平成16     樋田豊宏:『相模国準四国八十八ヶ所』、刊行
2007 平成19     生涯学習大学かわせみ学園講座『相模国準四国八十八ヶ所を巡る』開講。講師:橋本周也
2008 平成20 9 27 鵠沼を語る会、公民館共催講座「江戸時代 鵠沼村庶民の弘法大師信仰」講師:圭室文雄、開催
2009 平成21 9   〜2010年1月、鵠沼を語る会、2009年度事業として相模国準四国八十八ヶ所を実地調査
2009 平成21 11 7 〜8、鵠沼を語る会、鵠沼地区公民館まつりで『鵠沼村の相模国準四国八十八ヶ所札所』を展示
2010 平成22 4 30 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』100号刊行(特集[相模国準四国八十八ヶ所])
2010 平成22 5 31 鵠沼を語る会、『相模国準四国八十八ヶ所めぐりガイドブック』を刊行
2010 平成22 11 13 文書館主催歴史講演会『江戸時代相模人の霊場信仰』で相模国準四国八十八箇所を報告
2011 平成23 1 27 鵠沼公民館講座『相模国準四国八十八ヶ所』開催。講師:鵠沼を語る会
2011 平成23 2 3 鵠沼公民館講座『相模国準四国八十八ヶ所』鵠沼地区内実地見学会。案内:鵠沼を語る会
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼』第100号(2010)
[参考サイト]
 
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