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第0070話 法照寺中興

法心寺創建

 「皇国地誌」によれば、1661(寛文元)年、「浄土宗知恩院派鵠沼善光山天龍院法照寺のもととなる一庵(法心寺)が僧龍保により創建」とある。同時に本尊の木像十一面観世音菩薩立像と木像円光(法然)・善導両大師坐像が造立された。
 この一庵がどこに建てられたかは明確ではない。現在、法照寺には元禄時代の供養塔が3基遺るが、弥釈禅定尼仏像、弥釈禅定尼仏像、清輪信女仏像と、いずれも尼僧のものであり、初期は尼寺と思われる。
 ところが、「新編相模國風土記稿」によれば、1717(享保 2)年4月4日に「法照寺開山=直為、没(浄蓮社欣誉長圓真為)」とあり、これまでに法照寺として創建されたことになる。 

善光山天龍院法照寺として中興

 「皇国地誌」によれば、1703(元禄16)年5月、「法照寺、欣誉により中興再建され、善光山天龍院法照寺(浄土宗)と号す」とある。欣誉はその翌年、1704(宝永元)年に入寂している。
法照寺年表
西暦 和暦 事                      項
1661 寛文 1 浄土宗知恩院派鵠沼善光山天龍院法照寺前身の一庵(法心寺)が僧龍保により創建
1661 寛文 1 法照寺本尊=木像十一面観世音菩薩立像/木像円光(法然)・善導両大師坐像、造立
1694 元禄 7 6 24 法照寺境内の妙受信女仏像供養塔、造立
1697 元禄10 9 10 法照寺境内の弥釈禅定尼仏像供養塔、造立
1698 元禄11 7 25 法照寺境内の妙了禅定尼仏像供養塔、造立
1702 元禄15 5 23 法照寺境内の清輪信女仏像供養塔、造立
1703 元禄16 5 法照寺、欣誉により中興再建され、善光山天龍院法照寺(浄土宗)と号す[皇国地誌]
1704 宝永 1 僧=欣誉、入寂
1717 享保 2 4 4 法照寺開山=直為、没(浄蓮社欣誉長圓真為)。これまでに創建[新編相模國風土記稿]
1720 享保 5 3 18 法照寺7代に法蓮社覺上人眞?詫念和尚
1723 享保 8 2 22 鵠沼村普門寺・法照寺・小林森右衛門ら5名、高野山に登山
1775 安永 4 9 法照寺本尊=木像阿弥陀如来立像、造立
1789 天明 9 1 2 法照寺10代に妙蓮社観譽察榮相海和尚
1811 文化 8 6 18 法照寺境内の禅尼妙光仏像供養塔、造立
1820 文政 3 6 法照寺境内の相模国準四国八十八箇所弘法大師石像、造立
1879 明治12 法照寺15代=中村快道、入寂
1923 大正12 9 1 関東大震災で堂宇倒壊。以後1990年まで本堂なし
1928 昭和 3   法照寺18代=岡本貫宝、入寂
1936 昭和11 12 日本精工鵠沼工場、鵠沼横須賀に新設。敷地予定地内の路傍石造物を境内に移設
1949 昭和24 法照寺20代=宮沢善正、入寂
1950 昭和25 1 1 法照寺21代=川瀬法圓(専蓮社称誉法圓)、入寂
1976 昭和51 6 17 法照寺境内の相模国準四国八十八か所供養塔、造立
1990 平成 2     義圓上人、大震災以来観音堂を仮本堂にしていた善光山天龍院法照寺の本堂を再建起工
1992 平成 4 4   法照寺、本堂新築完成
1993 平成 5 1 1 法照寺23代=正蓮社君誉盛空義圓、入寂
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 有賀密夫:「法照寺について」『我が住む里―有賀密夫遺稿集』(1987)
 
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