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第0064話 鵠沼の道祖神

 鵠沼地区のことに江戸時代以前から集落が形成されていた「本村」と呼ばれる地区の路傍には、道祖神、庚申塔、馬頭観世音、地蔵尊、各種供養塔などの石造物が見られる。
 それらのうち、道祖神は最も早期から建てられた。今回は道祖神について述べてみよう。

道祖神とは

 道祖神は猿田彦をまつったものという。そのご利益とは道案内の神となったり、交通の安全、国土の守護や五穀豊穣、商売繁盛(とくに水商売)、厄除祈願、夫婦和合、安産、長寿祈願等々に信仰が篤い。道祖神はほかに塞の神(さえのかみ)、衢の神(ちまたのかみ)とも称され、性格の複雑な神である。古くは双体神の男女像が普通だったが、近年は文字塔が多い。  鵠沼の道祖神は、双体神の男女像のものは、鑑賞用にされたものか4体ほどが亡失してしまい、上村の昭和58年に作られたものを含め4体しか残ってない。神明から海岸へかけて、引地、車田、上村、宮ノ前、宿庭、清水、苅田、仲東、中原、石上、原、堀川、納屋、藤ヶ谷、海岸町内会に道祖神が存在する。大東、新田は存在の記録はあるが現在は行方不明である。文字を彫った道祖神塔が多く、皇大神宮一の鳥居脇のものだけは「道陸神(どうろくじん)」と彫ってある。
道祖神まつり=どんど焼き
 道祖神まつりの日程は、例年、1月14日が位置づけられてきた。近年はサラリーマン家庭が増えたために、平日の参加が難しいとして、前後の日曜日、あるいは成人の日に行う町内が増えている。
 飾付けは、正月の飾り物、松、注連縄、神様の古い札、書き初め、五色の紙に「奉納道祖神」と書き、枝に飾り付けて、神酒、野菜、果物等を供え厄除祈願をする。道祖神の前は各家庭の御飾りで山のようになる。
 火祭りのことを「さいとやき」、「せえとやき」、「どんどやき」、「だんごやき」と呼ぶ。火祭りの火に当ると風邪をひかないとか、正月2日書き初めが天高く上ると習字が上手になるともいわれている。
 三色団子を三叉枝に串刺しにして焼いて食べると1年間健康に過ごせると伝えられている。枝先に小さな団子や繭玉さして家の中の神棚に飾る。
 鵠沼地域でさいとやきの行事の際に道祖神塔やそれに代わる石を火の中に投げて「道祖神が丸焼けだ」といつて正月の福笑い行事とか、道祖神が氏子の災難を一身に引受けて炎につつまれる、といわれている。一年間平穏無事を祈念する。さいとやきを境に日常生活に戻る。
 鵠沼は人家が多くなり、道祖神の火祭りを行う町内も3、4か所と聞いている。

村落共同体と道祖神

 私の恩師、日本近代地誌学の泰斗、田中啓爾博士の造語に「初象(しょしょう)」、「顕象(けんしょう)」、「残象(ざんしょう)」というものがある。その地域で見られ始めた事象を初象、顕著に見られる事象を顕象、かつてはよく見られたが、現在はその名残が見られる過ぎない事象を残象と名付けたのである。.
 鵠沼地区における道祖神は、残象の典型例といえる。この他にも各種の講、屋敷稲荷、土蔵など、いくつかの残象の例が挙げられる。これらは、大庭御厨の時代から1000年近い伝統を持つ半農半漁村鵠沼で培われてきた村落共同体の象徴である。1960年代の高度経済成長期から、ここ50年ほどで急速に衰退し、都市化の波に飲み込まれようとしている。
 道祖神が文化財として残っても、どんど焼きが行われなくなれば、鵠沼1000年の伝統が終焉を迎えることになる。
鵠沼地区の道祖神       (太字は双体道祖神斜体は現在所在不明
西暦 和暦 町内 所 在 地 形 態 備 考
1855 安政 2 1   引地 鵠沼神明4-11-17 引地町内会館脇 火成岩 円頭型文字塔  
1831 天保 2 1 引地 鵠沼神明4-8-17地先 火成岩自然形文字塔  
  不詳     車田 鵠沼神明5-6-1 白旗稲荷境内 双体神像  
1789 寛政 1 11 上村 鵠沼神明4-3-1地先 上村稲荷前 双体神像 祠内 風化
1983 昭和58 11 上村 鵠沼神明4-3-1地先 上村稲荷前 火成岩雛弁光背型双体 祠内 (3代目)
1689 元禄 2 1 宮ノ前 鵠沼神明2-10-5 皇大神宮鳥居脇 道陸神文字塔 (廃棄建替)
1841 天保12 9 宮ノ前 鵠沼神明2-10-5 皇大神宮鳥居脇 安山岩尖頭角柱型文字塔 道陸神 (2代目)
2000 平成12 3   宮ノ前 鵠沼神明2-10-5 皇大神宮鳥居脇 道陸神文字塔 道陸神 (3代目)
1852 嘉永 5 1   宮ノ前 鵠沼神明2-5-19地先 安山岩平頭角柱型文字塔  
1897 明治30 1 宮ノ前 鵠沼神明2-5-19地先 文字塔 破損
1840 天保11 9 宿庭 鵠沼神明2-1-27地先 砂岩製蓮弁光背型双体 再建(2代目)
1967 昭和42   清水 本鵠沼5-7-15地先 火成岩平頭角柱型文字塔  
  不詳     苅田 本鵠沼5-11-1地先 砂岩蓮弁光背型双体  
1721 享保 6   大東 本鵠沼2-14-32地先 安山岩蓮弁光背型双体 (遺失盗難?)
1909 明治42 1 14 仲東 本鵠沼2-7-17地先 茂兵衛の辻 火成岩尖頭角柱型文字塔  
1903 明治36 1 中原 本鵠沼2-10-18地先 本鵠沼駅前 火成岩尖頭角柱型文字塔 中原氏子中
1678 延宝 6   本鵠沼2-17-16地先 安山岩平頭角柱型文字塔  
1959 昭和34 1   本鵠沼4-6-19地先 原の辻 火成岩尖頭角柱型文字塔 原氏子
1751 寛延 4 1 堀川 鵠沼海岸6- 安山岩尖頭平柱型文字塔 浅場太郎左衛門
1987 昭和62 11 12 堀川 鵠沼海岸6-7-1地先 安山岩尖頭平柱型文字塔 移転
1773 安永 2 11 納屋 鵠沼海岸7-16-17地先 納屋の辻 安山岩蓮弁光背型双体 醒井氏(遺失盗難)
1856 安政 3 11 納屋 鵠沼海岸7-16-17地先 納屋の辻 双体神像 (遺失盗難?)
1971 昭和46 1 14 納屋 鵠沼海岸7-16-17地先 納屋の辻 火成岩尖頭角柱型文字塔 鵠沼納屋一同
1779 安永 8 9   新田 鵠沼橘2-14-9地先 安山岩蓮弁光背型双体 甚五工門現在不明
1863 文久 3 1 石上 鵠沼石上1-11 砥上公園内 火成岩尖頭角柱型文字塔  
1917 大正 6 10 1 石上 鵠沼石上3-1-24 石上稲荷社境内 火成岩自然形文字塔 宮沢みつ
1933 昭和 8 8   鵠沼海岸 鵠沼海岸1-16地先 肥上道 根府川石目然形文字塔 (廃棄建替)
1988 昭和63     鵠沼海岸 鵠沼海岸1-16地先 肥上道 花崗岩尖頭平柱型文字塔 再建(2代目)
1930 昭和 5 1 14 鵠沼海岸 鵠沼海岸2-17-24地先 紀功碑脇 安山岩平頭角柱型文字塔  
1626 寛永 3     鵠沼海濱 鵠沼海岸4- (鵠沼地区最古) 文字塔 (現在不明)
1750 寛延 3 1 鵠沼海濱 鵠沼海岸4-3-23 文字塔 (現在不明)
  不詳     藤ヶ谷 鵠沼藤が谷3-10 賀来神社境内 火成岩円頭型文字塔 破損 鵠沼海濱
2004 平成16 8 18 藤ヶ谷 鵠沼藤が谷3-10地先 賀来神社脇 花崗岩サーフボード型文字塔  
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:「特集道祖神」『鵠沼』第40号(1988)
  • 藤沢市教育委員会:『藤沢市文化財調査報告書』第15集(1980)
[参考サイト]
 
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