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第0063話 普門寺再開基

 普門寺は密巌山 遍照院と号し、高野山真言宗。もとは藤沢大鋸の感応院末寺だった。1528(享禄元)年5月、良元僧都が唐土ヶ原に 草創したことは第0053話に記した。

普門寺の建立由来

 1617(元和3年)3月、元朝阿闍梨(あじゃり)が本尊不動明王を勧請し 砥上ヶ原の現所に再開基した。
 中興は善龍、1676(延宝4)年2月20日に入寂。現本堂は中興開基生田浄耕第52世が発願、建立し、慶応2年にこれを起し 明治11年5月に遷座の式をあげた。
 本尊は草創のとき十一面観音菩薩だった。この仏像は、大東の観音堂に安置され、のち廃堂になり、いまは大東公民館に安置されている。普門寺の普門はこの観音経の「普門品(ふもんぼん)」に由来している。現在の本尊不動明王 は江戸時代に鎌倉扇ガ谷の仏師後藤氏によって作られた。後藤氏の子孫は現在鎌倉彫をしている。
 普門寺の現住職は川島弘之師(鵠沼を語る会会員)で第56代目になる。川島家は先々代から。53世は 中村真禅住職で、南多摩郡南村小川の友井与惣左衛門の三男だった。横浜の港北区新羽町の古刹西方寺の住職されたこともあった。普門寺から横浜の金沢の名刹 称名寺に移り、その後伊豆韮山の北条時政の菩提寺である願成就院の住職になった。現在その孫である小崎祥道が住職をしている。
 52世の生田浄耕住職までが独身だった。江戸青山五十人町の吉井正左衛門の三男で1859(安政6)年に当寺の住職になっている。今日の普門寺の基礎を築いた中興の祖であり、大変な活動をした。明治29年には感応院再建落成を しているが、その時には当院の兼務住職をしていたことが過去帳に記してある。明治31年7月17日64歳で入寂している。

普門寺の仏像、仏画

 本尊不動明王の脇に金剛界(智恵・男性原理)と胎蔵界(慈悲・女性原理)の大日如来を安置。ともに江戸時代、鎌倉扇谷の後藤仏師の作である。同人作の阿弥陀如来立像の体内から、1765(明和2)年の『大乗妙典奉納帳』、1769(明和6)年の『四国中奉納大乗妙典日本廻国霊場』が出てきた。これによると、相模、伊豆、西国、伊勢、四国とかなり広範囲に巡礼していたことがわかる。願主は鵠沼の渡辺万右衛門とある。その他に弘法大師像、愛染明王像。仏画は平安までさかのぼるのではないかという両界曼茶羅、かなり古いという愛染明王、兆殿司作の不動明王等がある。
 梵鐘は寛政3年(1791)造だが、大平洋戦争に供出し、現在のものは昭和49年造である。

高野山登山と相模國準四國八十八箇所

 普門寺は真言宗の開祖空海(弘法大師)に対する信仰上の行動として、高野山への巡礼と相模国準四国八十八箇所の巡礼に力を入れたことは特筆すべきである。
 この件については別項を立てて詳説する予定である。
江戸時代の普門寺年表
西暦 和暦  記             事
1528 享禄 1 5 良元僧都が唐土ヶ原に創建。本尊は十一面観音菩薩[寺伝]
1617 元和 3 3   元朝阿闍梨が本尊不動明王を勧請し 砥上ヶ原の現所に再開基
1617 元和 3 6 12 宥資上人、入寂
1676 延宝 4 2 20 中興=善龍入寂。(この頃までに中興)
1689 元禄 2 7 15 本鵠沼5-2普門寺歴代墓所の五輪塔、造立
1694 元禄 7 本鵠沼5-2普門寺歴代墓所の無縫塔、造立
1702 元禄15 8 18 第35代=法印大僧都受元、入寂。(本鵠沼5-2の巨大五輪塔)
1723 享保 8 2 22 鵠沼村普門寺と村民檀徒5名、高野山に登山[以降の登山記録は別項に]
1724 享保 9 4 28 法印権大僧都元昭、入寂。本鵠沼5-2普門寺歴代墓所の無縫塔に埋葬
1753 宝暦 3 8 半鐘が作られる。施主は同村の観音・地蔵・光明真言・庚申の各講中
1758 宝暦 8 3 境内の庚申塔(青面金剛像・日月三猿邪鬼像)、造立
1765 明和 2 鎌倉扇谷の後藤仏師の作阿弥陀如来立像体内の『大乗妙典奉納帳』作られる
1768 明和 5 5 1 法印旭應覚、入寂。本鵠沼5-2普門寺歴代墓所に無縫塔、造立
1769 明和 6 後藤仏師作阿弥陀如来立像体内の『四国中奉納大乗妙典日本廻国霊場』作られる
1772 安永 1 6 鵠沼村万福寺と同村普門寺との間に争論発生
1791 寛政 3 11 梵鐘鋳造(東都鋳工=西村和泉守藤原時政、発願主:阿遮梨智英→太平洋戦争に供出)
1792 寛政 4 3 27 闍梨法印澄英不生、入寂。本鵠沼5-2普門寺歴代墓所に無縫塔、造立
1806 文化 3 浅場太郎右衛門、普門寺住職に相談し相模國準四國八十八箇所の創設に取りかかる
1822 文政 5 10 28 海心法師墓碑、造立
1827 文政10 2 境内の庚申塔(青面金剛像・日月三猿像)、造立
1827 文政10 3 21 光明真言三千三百万遍供養塔、造立
1859 安政 6 1 3 阿遮梨浄光法師覚浄、入寂。本鵠沼5-2普門寺歴代墓所の重頭角柱型墓碑、造立
1859 安政 6 生田浄耕(江戸青山五十人町の吉井正左衛門の三男)、普門寺の52世住職になる
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

 [引用文献]
  • 川島弘之:「普門寺について」『鵠沼』第35号(1987)
 
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