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それらのうち、道祖神は最も早期から建てられた。今回は道祖神について述べてみよう。 道祖神とは道祖神は猿田彦をまつったものという。そのご利益とは道案内の神となったり、交通の安全、国土の守護や五穀豊穣、商売繁盛(とくに水商売)、厄除祈願、夫婦和合、安産、長寿祈願等々に信仰が篤い。道祖神はほかに塞の神(さえのかみ)、衢の神(ちまたのかみ)とも称され、性格の複雑な神である。古くは双体神の男女像が普通だったが、近年は文字塔が多い。 鵠沼の道祖神は、双体神の男女像のものは、鑑賞用にされたものか4体ほどが亡失してしまい、上村の昭和58年に作られたものを含め4体しか残ってない。神明から海岸へかけて、引地、車田、上村、宮ノ前、宿庭、清水、苅田、仲東、中原、石上、原、堀川、納屋、藤ヶ谷、海岸町内会に道祖神が存在する。大東、新田は存在の記録はあるが現在は行方不明である。文字を彫った道祖神塔が多く、皇大神宮一の鳥居脇のものだけは「道陸神(どうろくじん)」と彫ってある。道祖神まつり=どんど焼き 道祖神まつりの日程は、例年、1月14日が位置づけられてきた。近年はサラリーマン家庭が増えたために、平日の参加が難しいとして、前後の日曜日、あるいは成人の日に行う町内が増えている。 飾付けは、正月の飾り物、松、注連縄、神様の古い札、書き初め、五色の紙に「奉納道祖神」と書き、枝に飾り付けて、神酒、野菜、果物等を供え厄除祈願をする。道祖神の前は各家庭の御飾りで山のようになる。 火祭りのことを「さいとやき」、「せえとやき」、「どんどやき」、「だんごやき」と呼ぶ。火祭りの火に当ると風邪をひかないとか、正月2日書き初めが天高く上ると習字が上手になるともいわれている。 三色団子を三叉枝に串刺しにして焼いて食べると1年間健康に過ごせると伝えられている。枝先に小さな団子や繭玉さして家の中の神棚に飾る。 鵠沼地域でさいとやきの行事の際に道祖神塔やそれに代わる石を火の中に投げて「道祖神が丸焼けだ」といつて正月の福笑い行事とか、道祖神が氏子の災難を一身に引受けて炎につつまれる、といわれている。一年間平穏無事を祈念する。さいとやきを境に日常生活に戻る。 鵠沼は人家が多くなり、道祖神の火祭りを行う町内も3、4か所と聞いている。 村落共同体と道祖神私の恩師、日本近代地誌学の泰斗、田中啓爾博士の造語に「初象(しょしょう)」、「顕象(けんしょう)」、「残象(ざんしょう)」というものがある。その地域で見られ始めた事象を初象、顕著に見られる事象を顕象、かつてはよく見られたが、現在はその名残が見られる過ぎない事象を残象と名付けたのである。.鵠沼地区における道祖神は、残象の典型例といえる。この他にも各種の講、屋敷稲荷、土蔵など、いくつかの残象の例が挙げられる。これらは、大庭御厨の時代から1000年近い伝統を持つ半農半漁村鵠沼で培われてきた村落共同体の象徴である。1960年代の高度経済成長期から、ここ50年ほどで急速に衰退し、都市化の波に飲み込まれようとしている。 道祖神が文化財として残っても、どんど焼きが行われなくなれば、鵠沼1000年の伝統が終焉を迎えることになる。
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