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大震災と東屋関東大震災は湘南随一の大旅館に発展していた東屋を全壊させた。広大な庭池には津波がザブザブと侵入したが、そこでとどまり、倒壊家屋を押し流すほどではなかったという。女将の長谷川タカをはじめ、従業員、滞在客の被災の記録は見当たらない。 支配人の長谷川欽一は、1922(大正11)年、従兄弟の長谷川路可の後を追うようにフランスに留学。音楽評論家を目指してソルボンヌ大学入学準備で語学研修中に関東大震災が勃発した。倒壊した東屋を復興させるために帰国した。 東屋再興帰国した欽一を中心として東屋は震災の翌1924年には再建され開業した。二階建てで、二棟の棟続きの離れの他に茅葺きの独立した「亭(チン)」と呼ぶ独立した離れを三棟持つ以前にも増して豪壮な建築である。各客室は以前よりも面積を増し。42畳敷きの大広間を持つ。それまでの海水浴客や保養客、文士の長期滞在型から、藤沢町の賓館として、宴会などにも適するような配慮がなされている。 庭池は狭くなったが、芝生の面積を拡げ、南には2面の本格的な硬式テニスコートを設けた。また、ビリヤード室を設け、後ほどダンスホールも増設している。これらはハイカラ好みの欽一の趣味からであろう。 ※東屋と並ぶ鵠沼海岸の旅館《中屋》も1924年には復興、開業している。 | ||||||
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