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プロフィール高木和男(たかぎ かずお 1909(明治42)年-2004(平成16)年5月26日)は医学博士 栄養学 相模女子大学湘南中學(1期生)から横濱高等工業専門學校(横浜国大工学部の前身)応用化學科を卒業し、自らの喘息・アレルギー克服もあって栄養学に取り組んだ。東京市衛生試験所、労働科学研究所を経て相模女子大学で教鞭を執る。戦後の食糧難の時代に、有志の栄養士で民主栄養協会を組織し、社会学・労働科学と栄養学を関連づけた。 鵠沼とのゆかり幼少期、喘息治療のため1918(大正7)年夏に鵠沼海岸1-15-1に転地療養し、翌々年秋には定住して、終生をここで過ごした。1921(大正10)年に開校した湘南中學の1期生で、中学時代に関東大震災を経験した。横濱高等工業専門學校1年生の時に鵠沼海岸で蜃気楼現象を撮影、芥川龍之介晩年の名作『蜃気楼』にヒントを与えた。 「鵠沼を語る会」の古くからの会員で、1995(平成7)年から2期4年間会長に就任、その後顧問となった。 2000年11月にはNPO法人湘南栄養指導センターを設立。 2004(平成16)年5月26日、3月に亡くなった千恵子夫人の後を追うように他界。遺言で自宅は「高木ふれあい荘」となった。 |
高木和男 鵠沼関係年譜 | ||||
西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 記 事 |
1909 | 明治42 | 東京木場にて生まれる | ||
1918 | 大正 7 | 夏 | 喘息療養のため一時鵠沼に移住 | |
1920 | 大正 9 | 秋 | 鵠沼海岸の別荘に定住 | |
1921 | 大正10 | 4 | 20 | 縣立湘南中學校開校。一期生として入学 |
1926 | 大正15 | 4 | 横濱工業専門學校に進学 | |
1926 | 大正15 | 10 | 2 | 鵠沼海岸の蜃気楼を撮影 |
1926 | 大正15 | 10 | 27 | 横浜貿易新聞、鵠沼海岸で蜃気楼が見られると報道 |
1926 | 大正15 | 10 | 28 | 東京朝日新聞に鵠沼海岸で蜃気楼が見られると報道、評判になる |
1927 | 昭和 2 | 3 | 芥川龍之介、『婦人公論』に小品『蜃気楼』を発表。 | |
1979 | 昭和54 | 5 | 鵠沼を語る会に入会 | |
1979 | 昭和54 | 12 | 13 | 「大震災前後からの鵠沼海岸(一)」鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』8号 |
1980 | 昭和55 | 1 | 31 | 「大震災前後からの鵠沼海岸(二)」『鵠沼』9号 |
1980 | 昭和55 | 6 | 19 | 「大震災前後からの鵠沼海岸(三)」『鵠沼』10号 |
1981 | 昭和56 | 1 | 15 | 「大震災前後からの鵠沼海岸(四)」『鵠沼』11号 |
1981 | 昭和56 | 4 | 10 | 『鵠沼海岸百年の歴史』(菜根出版)刊行 |
1982 | 昭和57 | 10 | 1 | 『鵠沼海岸百年の歴史増補補正版』(菜根出版)刊行 |
1990 | 平成 2 | 11 | 13 | 「記憶の鵠沼海岸(震災前)」『鵠沼』56号 |
1993 | 平成 5 | 6 | 『踏み拓いた峠道―葉山又三郎とふゆ子の記録』(菜根出版)刊行 | |
1994 | 平成 6 | 9 | 9 | 自宅・屋敷を藤沢市に寄贈を申し出(8/31)、受理される |
1995 | 平成 7 | 5 | 鵠沼を語る会会長に就任 | |
1995 | 平成 7 | 10 | 下 | 大分市に賀来神社訪問 |
1996 | 平成 8 | 9 | 17 | 「鵠沼の古道「蘆花が歩いた道」」『鵠沼』74号 |
1996 | 平成 8 | 10 | 1 | 会誌『鵠沼』合本・第1集を発行(代表者) |
1997 | 平成 9 | 9 | 30 | 「大分賀来神社訪問記」「松岡静雄先生が海軍をやめられた事情について」『鵠沼』75号 |
1998 | 平成10 | 9 | 30 | 「忘れてはいけない吉田さんの功績」『鵠沼』77号 |
1999 | 平成11 | 5 | 11 | 鵠沼を語る会会長を退任。顧問に就任 |
1999 | 平成11 | 12 | 14 | 例会で講話「関東大震災の経験と日本をめぐる大地震」 |
2000 | 平成12 | 2 | 8 | 久保医療文化賞受賞。鵠沼を語る会から記念品贈呈 |
2000 | 平成12 | 11 | 2 | 特定非営利活動法人 湘南栄養指導センター(鵠沼海岸1-15-29 代表:高木和夫)、認可 |
2000 | 平成12 | 12 | 19 | 高木千恵子、例会で講話「なぎさクラブについて」 |
2001 | 平成13 | 3 | 31 | 「講演 なぎさクラブの思い出」:高木千恵子『鵠沼』82号 |
2004 | 平成16 | 3 | 23 | 高木千恵子、自宅にて没 |
2004 | 平成16 | 5 | 26 | 高木和男(1909-2004、鵠沼海岸1-15-1)、聖テレジア病院にて没。享年95 |
2005 | 平成17 | 5 | 26 | 旧高木和男邸、「高木ふれあい荘」としてオープン |
2006 | 平成18 | 4 | 1 | ボランティアセンター「ささえ」(北島令司センター長)、高木ふれあい荘に開所 |
E-Mail: |
鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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