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岸田麗子今から90年ほど前、鵠沼には後に日本一有名になる少女が住んでいた。岸田劉生(きしだ りゅうせい 1891-1929)の長女=岸田麗子(1914-1962)である。恐らく義務教育を終えた日本人なら、美術の教科書などで「麗子像」を見たことがあることだろう。 一人の女の子の肖像が執拗と思われるほど繰り返し描かれた例は他にない。 岸田劉生の名を知らなくとも、「麗子像」を知らない日本人はほとんどいない。 岸田麗子は1914年、父・岸田劉生、母・蓁(しげる)の長女として渋谷区山谷に生まれた。麗子が生まれた時、劉生は日記に「美しくなれ、丈夫に育て。俺達はきつと御前を生涯愛してやる」(1914.4.10)と記した。「美しくなれ」ということから麗子と命名した。生まれて間もない麗子を描いた『REIKO』という墨絵があり、いわば初の「麗子像」である。 1917(大正 6)年2月22日に岸田劉生一家は、鵠沼の佐藤別荘(現鵠沼松が岡3-23)に移住した。6月24日に松本別荘(現鵠沼松が岡4-7-10)に移る前の仮住まいであった。この佐藤別荘時代に描かれた『林檎持てる麗子』という水彩画がある。これが鵠沼で描かれた「麗子像」の第一号であろう。 鵠沼の「麗子像」しかし、展覧会に出品されるような作品として描かれたのは、第6回草土社展に展示された『麗子五歳之像」(油彩)であり、これが「麗子像」第1号ということになっている。ある美術史家の調査によれば、現存する劉生の「麗子像」は50点に上るという。下の一覧は、鵠沼を語る会の伊藤節堂氏が1985(昭和60)年に調査されたものに若干追加したものだが、劉生の日記に書かれたものなどから類推すると、全部で少なくとも70点以上の「麗子像」が描かれたのではないかという。以後、震災や戦災で遺失したものも多く、今日記念展などで見られるのは、伊藤節堂氏の一覧表にある程度のものである。 鵠沼を離れてから描かれたのは、6点ほどだから、「麗子像」のほとんどは鵠沼で描かれたことになる。 それらのうち、油彩の代表作を並べてみた。 |
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学齢に達した岸田麗子は、鎌倉師範附属小學校に入学し、尋常3年生まで通学した。 1923(大正12)年6月3日(日)の読売新聞婦人欄子供のページには、モデルとしての麗子を紹介した記事が掲載されている。それによると、麗子は「学問はあまりお好きでなく、学校から帰ってお父様のご用のない時は絵ばかり描いています」とある。 |
鵠沼の「麗子像」 |
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西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 画 題 | 画法 | 大きさ | 備 考 | 所 蔵 |
1914 | 大正 3 | REIKO | 墨 | 19.6×13.6 | ||||
1917 | 大正 6 | 4 | 15 | 林檎持てる麗子 | 水彩 | 22.2×17.5 | ||
1918 | 大正 7 | 10 | 8 | 麗子五歳之像 | 油彩 | 45.3×38.0 | 第6回草土社展 | 東京国立近代美術館 |
1918 | 大正 7 | 秋 | 麗子之像 | コンテ | 30.4×23.2 | 笠間日動美術館 | ||
1919 | 大正 8 | 3 | 7 | 麗子六歳之像(毛糸の肩掛) | 水彩 | 41.4×32.0 | 個展 | 東京国立近代美術館 |
1919 | 大正 8 | 麗子六歳之像 | 木炭淡彩 | 37.7×28 | ||||
1919 | 大正 8 | 3 | 19 | 麗子像 | 木炭淡彩 | 37.2×27.8 | 左向き、リンゴを持つ | メナード美術館 |
1919 | 大正 8 | 4 | 21 | 麗子像 | コンテ | 37.0×30.0 | 右向き毛糸の肩掛 | 天一美術館 |
1919 | 大正 8 | 8 | 23 | 麗子坐像(絞りの着物) | 油彩 | 72.5×60.4 | 第7回草土社展 | ポーラ美術館 |
1919 | 大正 8 | 麗子像 | 素描淡彩 | 第7回草土社展 | ||||
1919 | 大正 8 | 麗子 | 素描淡彩 | |||||
1920 | 大正 9 | 1 | 28 | 麗子坐像 | 水彩 | 33.2×46.5 | 左手に京人形持つ | ブリヂストン美術館 |
1920 | 大正 9 | 2 | 3 | 麗子坐像 | 水彩 | 33.0×45.0 | 両手を膝におく | ポーラ美術館 |
1920 | 大正 9 | 2 | 28 | 麗子之像 | 素描淡彩 | 37.6×27.6 | 水彩素画個展 | |
1920 | 大正 9 | 麗子立像 | 水彩 | 水彩素画個展 | 天一美術館 | |||
1920 | 大正 9 | 麗子坐像(麗子肖像) | 素描淡彩 | 水彩素画個展 | ||||
1920 | 大正 9 | 8 | 31 | 麗子裸像 | 水彩 | 49.5×33.0 | 第8回草土社展 | 個人 |
1920 | 大正 9 | 肩掛け麗子(麗子坐像) | 素描淡彩 | ウッドワン美術館 | ||||
1920 | 大正 9 | 麗子微笑之立像 | 素描淡彩 | メナード美術館 | ||||
1921 | 大正10 | 4 | 3 | 童女像(麗子花もてる) | 水彩 | 50.8×34.3 | 第2回流逸荘個展 | 個人 |
1921 | 大正10 | 8 | 31 | 麗子洋装之像 | クレヨン水彩 | 47.0×32.0 | 下関市立美術館 | |
1921 | 大正10 | 9 | 17 | 麗子洋装之図 | 油彩 | 第3回帝展 | 豊田市美術館 | |
1921 | 大正10 | 9 | 27 | 麗子八才洋装之像 | 油彩 | 53.4×45.8 | ||
1921 | 大正10 | 9 | 30 | 麗子洋装之図 | 水彩 | 51.0×34.0 | ||
1921 | 大正10 | 10 | 4 | 麗子像 | コンテ水彩 | 44.8×34.4 | ||
1921 | 大正10 | 10 | 15 | 麗子微笑[重文][切手] | 油彩 | 44.5×36.8 | 第2回流逸荘個展 | 東京国立博物館 |
1921 | 大正10 | 11 | 1 | 紫色毛糸洋服着たる麗子坐像 | 水彩 | 51.4×34.6 | 第2回流逸荘個展 | メナード美術館 |
1921 | 大正10 | 麗子八才之像 | 油彩 | 39.5×34.0 | ||||
1922 | 大正11 | 1 | 13 | 麗子立像(未完) | 油彩 | 58.5×43.2 | 下関市立美術館 | |
1922 | 大正11 | 2 | 20 | 麗子住吉詣之立像[切手] | 油彩 | 80.3×60.5 | 野島邸個展 | 個人 |
1922 | 大正11 | 3 | 21 | 二人麗子飾髪図 | 油彩 | 90.7×72.6 | 野島邸個展 | 泉屋博古館 |
1922 | 大正11 | 3 | 30 | 麗子微笑 | 水彩 | 32.6×24.6 | メナード美術館 | |
1922 | 大正11 | 麗子微笑 | 水彩 | 32.0×23.0 | 野島邸個展 | 上原近代美術館 | ||
1922 | 大正11 | 麗子微笑(麗子肖像) | 油彩 | 天一美術館 | ||||
1922 | 大正11 | 5 | 30 | 麗子像 | 水彩 | 4号大 | ブリヂストン美術館 | |
1922 | 大正11 | 11 | 2 | 麗子之像(麗子正面肖像) | 油彩 | 44.8×37.3 | 第9回草土社展 | |
1922 | 大正11 | 4 | 22 | 野童女像(麗子嬉笑図) | 油彩 | 65.0×53.0 | 大正11・5・20 加筆 | 神奈川県立近代美術館 |
1923 | 大正12 | 1 | 28 | 麗子弾弦図 | 油彩 | 41.0×32.0 | 野島邸個展 | 京都国立近代美術館 |
1923 | 大正12 | 4 | 15 | 童女図(麗子立像) | 油彩 | 第1回春陽会展 | 神奈川県立近代美術館 | |
鵠沼を去ってからもなお6点の「麗子像」が描かれている |
E-Mail: |
鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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