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プロフィール和辻哲郎(わつじ てつろう 1889(明治22)年3月1日-1960(昭和35)年12月26日) 哲学者・倫理学者医家の次男として生まれる。姫路中学校を経て、第一高等学校へ入学。その後、東京帝國大學文科大學哲學科へ入学。卒業後は外遊し、哲学者ハイデガーに師事。帰国後東洋大学の教壇に立つ。はじめは西洋哲学を研究していたが、次第に日本の古美術や古代文化への関心が高まる。さらに、1925(大正14)年京都帝国大学文学部の倫理学講座に呼ばれたのを機に、仏教倫理思想史、西洋の倫理学等の研究をはじめる。 1934(昭和9)年に東京帝国大学文学部に就任し、1949年東大退官も日本倫理学会を創立(1950)するなど活躍し、文化勲章を受賞(1955)した。 鵠沼とのゆかり第0174話で紹介したように、1911(明治44)11月より後輩=髙瀬弥一の勧めで卒業論文執筆のために中藤ヶ谷の髙瀨邸に滞在。妹の髙瀬 照を見初めて結婚した。1915(大正4)年9月から1918(大正7)年3月まで髙瀨邸の離れに居住し、阿部次郎が同居した時期もある。隣家の安倍能成らの「例の会」に加わり、谷崎潤一郎・芥川龍之介・與謝野晶子ら文人との交流もあった。 髙瀬邸が川袋に移った後も、時折鵠沼を訪れている。 |
和辻哲郎 鵠沼関係年譜 |
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西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 記 事 |
1911 | 明治44 | 11 | ~1912.3、和辻哲郎(18891-1960)、卒業論文執筆のために中藤ヶ谷の高瀬邸に滞在 | |
1911 | 明治44 | 12 | 23 | 小説家=谷崎潤一郎、東屋から和辻哲郎宛に来訪を慫慂する手紙を使者に持参させる |
1912 | 明治45 | 2 | 13 | 小説家=谷崎潤一郎、「鴻の巣」で萱野二十一(郡虎彦)と連署で鵠沼の和辻宛葉書 |
1912 | 明治45 | 6 | 27 | 哲学者=和辻哲郎(1889-1960)、高瀬 照と京都平安神宮で結婚→東京馬込に新居を構える |
1915 | 大正 4 | 9 | 哲学者=和辻哲郎・照夫妻、照の実家の現鵠沼藤が谷の高瀬邸内に移住 | |
1915 | 大正 4 | 9 | 阿部次郎、単身で鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅に滞在 | |
1916 | 大正 5 | 3 | 20 | ~21、阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問 |
1916 | 大正 5 | 5 | 2 | ~5/20、哲学者・評論家=阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅に滞在 |
1916 | 大正 5 | 5 | 20 | 独文学者=小宮豊隆(1884~1966)、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎・安倍能成宅を訪問 |
1916 | 大正 5 | 7 | 26 | 阿部次郎、箱根で岩波茂雄と面会の帰途和辻哲郎宅に立ち寄り1泊 |
1916 | 大正 5 | 8 | 14 | ~15、阿部次郎、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問。安倍能成宅で夕食、小宮豊隆らと交流 |
1917 | 大正 6 | 1 | 10 | ~17、阿部次郎、中藤ヶ谷和辻哲郎宅に7日間滞在 |
1917 | 大正 6 | 1 | 22 | ~23、中藤ヶ谷安倍能成宅で「例の会」。阿部次郎・小宮豊隆・森田草平・和辻哲郎が集う |
1917 | 大正 6 | 4 | 21 | ~22、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅で「例の会」。雑誌『思潮(岩波)』同人結成について協議 |
1917 | 大正 6 | 5 | 31 | 谷崎潤一郎・芥川龍之介、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問 |
1917 | 大正 6 | 7 | 1 | ~2、阿部次郎、中藤ヶ谷和辻哲郎宅に1泊。翌日安倍能成宅に寄り岩波茂雄と交流 |
1917 | 大正 6 | 11 | 11 | ~12、鵠沼中藤ヶ谷和辻哲郎宅で「例の会」。阿部次郎ら集う |
1917 | 大正 6 | 11 | 23 | 三渓園で原善一郎の結婚披露。和辻哲郎、阿部次郎、安倍能成、芥川龍之介、矢代幸雄ら出席 |
1918 | 大正 7 | 1 | 26 | ~27、中藤ヶ谷安倍能成宅で「例の会」。阿部次郎・小宮豊隆・和辻哲郎が集う |
1918 | 大正 7 | 3 | 28 | 阿部次郎、中藤ヶ谷和辻哲郎宅を訪問 |
1918 | 大正 7 | 6 | 7 | 和辻哲郎・照夫妻、藤ヶ谷高瀬邸内より東京へ転居。阿部次郎も和辻哲郎宅を去る |
1924 | 大正13 | 7 | 下 | 和辻哲郎・照夫妻、子どもたちを連れて川袋高瀬家に2泊する |
1927 | 昭和 2 | 1 | 18 | ~20、和辻哲郎、高瀬家に泊まる |
1927 | 昭和 2 | 12 | 26 | ~1928/1.7、和辻哲郎、一家で鵠沼で越年(高瀬邸?) |
1960 | 昭和35 | 12 | 26 | 和辻哲郎、心筋梗塞のため東京都練馬区南町の自宅で没。享年71。 |
1966 | 昭和41 | 和辻照:『和辻哲郎とともに』新潮社、刊行 | ||
1968 | 昭和43 | 10 | 和辻照:『和辻哲郎の思ひ出』岩波書店、刊行 | |
1968 | 昭和43 | 和辻照:『七十八の賀』和辻照、刊行 | ||
1977 | 昭和52 | 5 | 和辻哲郎:『妻和辻照への手紙』講談社学術文庫、刊行 | |
1977 | 昭和52 | 6 | 和辻照、没 | |
1978 | 昭和53 | 6 | 和辻夏彦:『残照―和辻照遺稿集』和辻夏彦、刊行 | |
1979 | 昭和54 | 6 | 和辻照:『同行二人―歌集』和辻夏彦、刊行 | |
1987 | 昭和62 | 10 | 中央公論社、中公文庫として勝部真長『青春の和辻哲郎』を刊行 | |
1995 | 平成 7 | 4 | PHP研究所、PHP文庫として勝部真長『若き日の和辻哲郎』を刊行 |
E-Mail: |
鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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