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第0183話 鵠沼文化人百選 その006 小泉 鐵

プロフィール

 小泉 鐵(こいずみ まがね 1886(明治19)年12月10日生-1954(昭和29)年12月6日没)
 旧制会津中学を1905(明治38)年に卒業。第一高等学校に進学後、児島喜久雄と知り合う。東京帝國大學哲學科を中退し、はじめ第二次「新思潮」に参加するが、武者小路実篤に共鳴し、1911(明治44)年より「白樺」の同人となって翻訳、感想、小説、戯曲などで幅広く活躍した。
 1913(大正2)年ポールゴーガンの「ノア・ノア」を翻訳し、1918(大正7)年には戯曲「アダムとイヴ」を翻訳した。
 他に、「自分達二人」「三つの勝利」などの著書がある。
 その様な著作のほか、編集業務にも力を尽くし、縁の下の力持ちとして「白樺」を支えた。
 「白樺」廃刊後、1925(大正5)年単身台湾に渡り、台湾原住民の人類学的調査をしたことは彼の大きな業績であった。

鵠沼とのゆかり

 1914(大正3)年から1916(大正5)年までの2年間、鵠沼納屋(貸別荘を多くもっていた山口紋蔵宅らしい)に居住し、雑誌「白樺」の編集をした。
 小泉は1916(大正5)年11月に鵠沼を去ったことになっており、1918~1920年には毎夏逗子の新宿に暮らしている。
 武者小路実篤記念館アーカイヴのリストには1922(大正11)年8月14日付で相州鵠沼納屋より宮崎縣児湯郡木城村石河内の武者小路實篤宛書簡が発信されており、同館が所蔵しているというから、そのあたりには、あるいは関東大震災あたりまで納屋に住んでいた可能性もある。

小泉 鐵 鵠沼関係年表
    
西暦 和暦 記                        事
1911 明治44 1 26 小泉 鐵(マガネ 1886-1954)、『白樺』同人となる
1914 大正 3 11 2 小泉 鐵、鵠沼納屋に移住して『白樺』編集にあたる
1915 大正 4 8 15 歌人=木下利玄(1886-1925)、武者小路実篤宅に寄り、長与善郎・小泉鐵・岸田劉生らにも会う
1916 大正 5 11   小泉 鐵、鵠沼を去る
1918 大正 7 7 17 逗子の新宿2108番地に転地する。9月下旬までの予定であった
1919 大正 8 9 14 逗子の新宿に転地する。11月半ばに帰京する
1920 大正 9 7 26 逗子新宿の藤田方に転地する。9月中旬に帰京する
1922 大正11 8 14 小泉 鐵、相州鵠沼納屋より宮崎縣児湯郡木城村石河内の武者小路實篤宛書簡発信
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼ゆかりの文化人』(2007)
 
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