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第0091話 鶏肋温故

鶏肋温故

 『鶏肋温故(けいろくおんこ)』は、1843(天保13)年、平野道治(富屋(ふおく)。1779-1849。相模州藤沢宿の旅籠「ひらのや」の主人。狂歌もこのみ,本街道駅路鈴成と号した)編輯になる藤澤宿周辺の地誌である。鵠沼村に関しては、次の記述がある。『我棲里』よりもさらに藤沢宿中心であり、鵠沼村に関する記述は少ない。
西の土居
 西の土居は台町ニ在、此処迄宿内十二町十七間の内也、是より松並木北側三百九十四間(四百十三間也)石名坂入口也、南の側並木九十四間(七十五間也)ニして終る、其先キ鵠沼上村と云
 但し右両側風早ニ家居数多アリ又宇車田ニ家居アリ都て藤沢宿坂戸町となり
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[引用文献]
  • 平野道治:『鶏肋温故』(1843)
 
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