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第0080話 鵠沼の馬頭観音

 鵠沼地区のことに江戸時代以前から集落が形成されていた「本村」と呼ばれる地区の路傍には、道祖神、庚申塔、馬頭観世音、地蔵尊、各種供養塔などの石造物が見られる。
 それらのうち、馬頭観音は寛政から昭和初期に建てられた。今回は馬頭観音について述べてみよう。

馬頭観音とは

 そもそもは仏教の六観音の一つであり、さらに遡るとヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身ともいう。観音像としては珍しく憤怒相で表され、頭上に白馬の頭部を戴く。
 これが路傍に祀られるようになったのは、家畜の守護神と考えられたからであり、同時に道路の安全を願う意味もあったからだろう。牛馬の供養のために祀られたともいう。

鵠沼の馬頭観音

 鵠沼の路傍に馬頭観音が祀られるようになったのは、現存最古の中原の辻の1797(寛政 9)年のものであり、江戸時代後半になってから馬頭観音信仰が盛んになったと考えられる。
 その分布は比較的中央部にかたまっており、原、仲東、堀川に集中している。ことに、一箇所に2〜3基が重なって祀られている場所が3箇所もあるのは面白い。
 地蔵尊と共に路傍の石仏だが、馬頭観音像は小堂に祀られる場合が多く、地蔵尊と混同して、赤い頭巾やよだれかけを着けていることがよくある(同様のことが弘法大師像の場合にも見られる)。
 本眞寺門前の小田急線踏切脇にあるものは、かつて門前の角にあったものが移されたと思われるが、小田急も線路敷に置いたままにしてあるのは、交通安全のお守りとして邪険に扱えなかったためだろうか。
 石上地区の2基は、かつて路傍にあったものを移したと考えられるが、そもそもどこにあったかは不明である。
鵠沼地区の馬頭観音      
西暦 和暦 地       番 所 在 地 形    態
1919 大正 8 4 18 鵠沼神明2-4-20地先 宮ノ前 自然形文字塔、86cm
  不詳     鵠沼神明2-4-24地先 宮ノ前 馬頭観音坐像丸彫、74cm、堂内
1816 文化13 4 4 本鵠沼2-4-32地先 仲東三叉路(JA裏) 馬頭観音立像浮彫、63cm
1921 大正10 12 13 本鵠沼2-4-32地先 仲東三叉路(JA裏) 文字塔、53cm遺失
1923 大正12 2 4 本鵠沼2-4-32地先 仲東三叉路(JA裏) 文字塔、46cm
1886 明治19     本鵠沼2-8-16地先 仲東の辻 文字塔、遺失
1896 明治29 11 24 本鵠沼2-8-16地先 仲東の辻 文字塔、44cm
1797 寛政 9     本鵠沼2-15-24地先 中原の辻 馬頭観音立像丸彫、103cm、堂内
1836 天保 7 7 本鵠沼3-3-32地先 馬頭観音立像浮彫、54cm、堂内
1799 寛政11 9 26 本鵠沼3-16-13地先 小田急江ノ島線線路脇 文字塔、55cm
1930 昭和 5 9   本鵠沼5-10-21地先 苅田稲荷境内 文字塔、35cm
1860 万延 1 3 18 鵠沼石上1-11 鵠沼石上通り砥上公園内 文字塔、63cm
1882 明治15     鵠沼石上3-1-24 石上稲荷神社境内 文字塔、79cm
1895 明治28 10 鵠沼海岸7-5-18地先 堀川岐れ道 文字塔、77cm
1925 大正14 4 20 鵠沼海岸7-5-18地先 堀川岐れ道 文字塔、63cm
  不詳     鵠沼海岸7-15-15 仲原家生垣 文字塔、44cm
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤沢市教育委員会:『藤沢市文化財調査報告書』第15集(1980)
[参考サイト]
 
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