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それらのうち、馬頭観音は寛政から昭和初期に建てられた。今回は馬頭観音について述べてみよう。 馬頭観音とはそもそもは仏教の六観音の一つであり、さらに遡るとヒンドゥー教のヴィシュヌ神の化身ともいう。観音像としては珍しく憤怒相で表され、頭上に白馬の頭部を戴く。これが路傍に祀られるようになったのは、家畜の守護神と考えられたからであり、同時に道路の安全を願う意味もあったからだろう。牛馬の供養のために祀られたともいう。 鵠沼の馬頭観音鵠沼の路傍に馬頭観音が祀られるようになったのは、現存最古の中原の辻の1797(寛政 9)年のものであり、江戸時代後半になってから馬頭観音信仰が盛んになったと考えられる。その分布は比較的中央部にかたまっており、原、仲東、堀川に集中している。ことに、一箇所に2〜3基が重なって祀られている場所が3箇所もあるのは面白い。 地蔵尊と共に路傍の石仏だが、馬頭観音像は小堂に祀られる場合が多く、地蔵尊と混同して、赤い頭巾やよだれかけを着けていることがよくある(同様のことが弘法大師像の場合にも見られる)。 本眞寺門前の小田急線踏切脇にあるものは、かつて門前の角にあったものが移されたと思われるが、小田急も線路敷に置いたままにしてあるのは、交通安全のお守りとして邪険に扱えなかったためだろうか。 石上地区の2基は、かつて路傍にあったものを移したと考えられるが、そもそもどこにあったかは不明である。
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