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第0017話 湘南3都市比較文化

 「湘南」の範囲はどこまでかという不毛の論議が昔から絶えないが、大磯の「著盡湘南清絶地」碑や明治期の逗子を紹介した徳冨蘆花はさておき、戦後、全国の若者に「湘南」を強く印象付け、あこがれの地としたきっかけは、1955(昭和30)年に発表された若き石原慎太郎の芥川賞小説『太陽の季節』であることに異論はなかろう。
 この作品は翌年日活で慎太郎の弟、石原裕次郎主演で映画化され、「太陽族」を生んだ。また、「慎太郎刈り」なるヘヤースタイルまで流行することになる。
 『太陽の季節』の舞台は逗子市であったが、1960年代に入った頃から「湘南」の範囲は茅ヶ崎市から鎌倉市の七里ガ浜にかけてと認識されるようになり、この範囲の海岸線から新しい若者文化が次々に生み出されるようになった。
 鎌倉市でも稲村ガ崎以東の「旧鎌倉」から逗子・葉山にかけては、功なり名遂げた「鎌倉文士」の活動範囲であり、「若者文化」よりもむしろ大人の世界である。
 たかだか14km足らずのこの海岸線で生まれた若者文化は、茅ヶ崎、藤沢、鎌倉の3市でかなり明確なジャンル分けができることに驚かされる。
 すなわち、茅ヶ崎では加山雄三からサザンオールスターズに至る「湘南サウンド」といわれる音楽文化が生まれた。
 藤沢、ことに鵠沼海岸ではサーフィンからビーチバレーなどの数多くのビーチスポーツ発祥の地となった。
 鎌倉、ことに七里ヶ浜では『俺たちの朝』以来、映画やテレビドラマ、コミックなどの映像文化が生まれた。
 これほどはっきり分かれるのには、いったいどういう理由があるのだろうか。

茅ヶ崎と湘南サウンド

 加山雄三は昨年で芸能生活50周年だそうだが、「湘南サウンド」は、彼の存在なしには語れない。
 いつの間にかその人気は親父の上原 謙を抜いた。何しろかつての「上原 謙通り」は、今や正式(?)に「加山雄三通り」というのだ。昨年7月1日、茅ヶ崎市は加山雄三に「市民栄誉賞」を贈ったが、当然のことである。
 上原 謙がいつから茅ヶ崎の住民になったかは調べがついていない。佐野周二、佐分利信(彼は鵠沼の住民だった)とともに「松竹三羽烏」と呼ばれていた頃だろうか。松竹は1936(昭和11)年、現代劇の撮影所を蒲田から大船に移した。以来、多くの映画人が湘南に住むようになる。
 加山は東京で生まれたが、市立茅ヶ崎小学校を卒業している。
 慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、直ちに東宝に入社、翌年には主演の「若大将シリーズ」がスタートし、森繁久弥の「社長シリーズ」、植木等の「無責任シリーズ」と共に東宝の看板シリーズとなった。
 また、歌手デビューもはたし、弾厚作の名(三浦半島在住の團 伊玖磨と、かつて茅ヶ崎に住んでいた山田耕筰の姓名を足して2で割ったもの)で作曲を行い、シンガーソングライターのはしり的存在であった。
 スキーや海を愛するスポーツマンで、海に関する歌が多く、「光進丸」という小型クルーザーを所有し、江の島の湘南港に停泊させていた(現在は伊豆に移動)。
 1965(昭和40)年に父親と共同出資で茅ヶ崎海岸に本格的なリゾートホテル「パシフィックホテル茅ヶ崎」を開設し、そこを舞台にライブ活動も行った。
 慶應高校の後輩で、茅ヶ崎に住むようになった加瀬邦彦の「ザ・ワイルドワンズ」結成に関わり(加山が名付け親)、「パシフィックホテル茅ヶ崎」のライブに加えた。
 このホテルでアルバイトをしていたのが茅ヶ崎在住の岩沢幸矢と岩沢二弓の兄弟である。彼らは1969(昭和44)にフォークデュオ「ブレッド&バター」を結成し、ライブにも加わった。
 同じくホテルでアルバイトし、併設ボーリング場の常連であった桑田佳祐は、大学生時代に結成したバンド「サザンオールスターズ」を1978(昭和53)年にメジャーデビューさせ、たちまち人気バンドの地位を占めた。桑田自身が作詞することが多い彼らの歌詞には地元茅ヶ崎を始め、通っていた鎌倉学園までの湘南の地名がちりばめられていることも特色のひとつである。もっとも、桑田は「湘南」の語は気に入らないらしく、ほとんど用いていない。
 ブレッド&バターが開いた「Cafeブレッド&バター」でコックとしてアルバイトをしていた宮手健雄(平塚生まれ、茅ヶ崎育ち、湘南学園高校卒)は、1984年に「浜辺のフォークシンガー=テミヤン」として歌手デビューした。
 と、この辺までが元来の「湘南サウンド」の担い手たちである。

鵠沼とビーチスポーツ

 片瀬東浜では明治初期から外国人による海水浴の記録がみられ、学習院の水練場が置かれたりした。鵠沼には鉄道開通を翌年に控えた1886(明治19)年、早くも海水浴場が開かれ、海岸には3軒の旅館が軒を連ねた。そこでは、単に海水に浴したり、水泳を楽しむだけでなく、「板子乗り」というボディボードの元祖のような波乗りが行われていたことは、少女時代から鵠沼で育った小説家、内藤千代子が紹介している。
 震災直後、「安全プール」が開業し、1937(昭和12)年には神奈川県が幻の東京オリンピックを機にプールを建設して、オリンピック返上により藤沢町に移管された。小田急開通により日帰りの海水浴場になった片瀬東浜と鵠沼海岸は、夏季増発列車や納涼電車が運行されるほど賑わうが、戦争激化により警察の許可を得た地元市民のみ泳げるという状態になる。
 戦後、市営プールは復活したが、1953(昭和28)年夏を以て海の家を経営していた商店街が撤退し、鵠沼海岸海水浴場は70年近い歴史を一旦閉じることになる。その代わりに急成長したのが片瀬西浜海水浴場である。戦前までの西浜は、地引網漁場として海水浴は地元別荘族が遊ぶぐらいで何の施設もなかったが、1947(昭和22)年、鎌倉郡片瀬町が藤沢市に合併したことを機に、早速江の島を中心とする片瀬地区の観光開発が取り組まれた。西浜にも海の家がぼちぼち建ち並ぶようになり、1950(昭和25)年には組合も結成される。
 その頃、西浜と鵠沼の間には旧引地川の河跡湖が残っていたりしたが、道路から砂浜に車を乗り入れることも可能だったので、神奈川県北部の米軍施設から休日になると米兵たちが浜辺でバーベキューやサーフィンを楽しむためにジープで乗り付けるようになり、地元では「GIビーチ」と呼ぶようになった。彼らがこの海岸を「マイアミ」と呼んだことから、後に藤沢市が「東洋のマイアミ」として売り出すきっかけになったと伝えられる。また、彼らをまねて手製のサーフボードに乗る地元少年も現れた。
 1954(昭和29)年、河跡湖の埋め立てや引地川河口の固定化工事が行われ、一時期「横浜ゴルフ場」が設けられたりしたが、片瀬川から引地川までの砂浜一帯は、県立湘南海岸公園として整備されることになった。
 それに伴って西浜の海水浴場は拡大し、1956年、片瀬西浜海水浴場は、鵠沼までを統合した「江の島海水浴場協同組合」を創立し、同海水浴場の警備員たちは、赤十字救急法救急員の資格を取得したライフセーバーが監視・救助活動を始めた。
 1957年、藤沢市は片瀬・鵠沼地区の海岸を「東洋のマイアミ」として売り出す。さらに、1959(昭和34)年3月5日 、藤沢市議会は藤沢市とマイアミビーチ市との姉妹都市関係締結を議決。「東洋のマイアミ」から「東洋のマイアミビーチ」へと改称した。
 1959年、米クラーク社が開発したFRP技術によりサーフィンが急速に普及する。米兵によって間もなく鵠沼海岸にも見られるようになり、湘南学園の佐賀兄弟などが米兵から技術を学んだ。これが日本における「レジェンドサーファー」といわれる人々である。1962年、彼らによって日本初のサーファー組織「サーフィング・シャークス」が鵠沼で誕生した。
 1961(昭和36)年4月1日、鵠沼海浜公園(引地川右岸)を供用開始し、同年7月20日、鵠沼海浜公園の藤沢市営鵠沼プールの経営を、小田急電鉄が引き継いで全面的に改良し、鵠沼プールガーデンとして開場した。
 1963年、西浜海水浴場のライフセーバーは、これも日本初の救助員組織「湘南ライフガードクラブ」を設立した。
 1964年は夏季オリンピック東京大会が開かれた年である。そのヨット会場として江の島が選ばれた。この年は、藤沢市への海水浴客が956万人をかぞえ、実に日本人の10分の1近くが一夏の間に藤沢で泳いだ計算になる。
 しかし、1969年に起こった大腸菌騒ぎ以来1970年代から1980年代にかけては比較的動きの少ない時代が続いた。
 1985年に神奈川県が策定した「湘南なぎさプラン」以来、新しい時代を迎えた。浜辺の活用である。
 その皮切りに第1回ビーチバレージャパンがあり、相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990(サーフ90)以来の県立湘南海岸公園大改修がある。これは、津波対策のためにこれまでの諸施設を撤去して公園全体をかさ上げし、東部を新江ノ島水族館を拠点とする文化ゾーン、西部をサーフビレッジを拠点とするスポーツゾーンに位置づけるものである。藤沢市はサーフビレッジ前の砂浜に全国初の「湘南鵠沼海岸常設コート」を設置した。
 これらを拠点にビーチバレーのみならず、スタントカイト、ビーチタッチフットボール、ビーチアルティメット(商品名をフリスビーというプラスティックの円盤による競技)、ビーチテニスや複合競技「ザ・ビーチ」の、いずれも国内初の大会が鵠沼海岸で開催された。
 このようなことを可能にした鵠沼海岸の環境条件には、どんなことが考えられるだろうか。他の海岸とどう違うか。
 第一に海底地形である。一口に「遠浅」というが、鵠沼海岸の海底は、潮干狩りに向くような干潮時には1kmも拡がるような傾斜でもなく、かといって急深でもない。海岸線に平行して最低2本の沿岸州(バー)が隠れている。ここで一斉に波頭が崩れ、波高と強さの条件が揃えば、見事なパイプラインを形成する。サーフィン向きの海底地形といえる。ただし、鵠沼海岸の波高は平常時は決して高くはない。従って初心者の練習用には最適である。ことに引地川河口付近では、時に厳しい離岸流が発生するので、注意しなければならない。
 次に砂浜の地形と組成である。鵠沼海岸の砂浜は以前と比べると狭くなってきたが、茅ヶ崎ほどではない。浜堤(バーム)上部の傾斜は極めて緩く、水平に近い。砂は供給源の相模川から離れているため、細かく、粒が揃っていて、礫が混じらない。
 また、交通アクセスがよい。都心からでも1時間圏にあり、気楽に日帰りできる。鉄道駅から徒歩で海岸に出られるし、駐車場も海水浴シーズンを除けば、ある程度完備している。

七里ガ浜と映像文化

 鎌倉市の七里ガ浜は、稲村ガ崎周辺は古くから別荘も散在する地だったが、他は結核療養所が目立ち、水田や牧場も残っていた。一時期、江ノ電の廃車を利用したキャンプ場が設けられたこともある。
 稲村ガ崎古戦場や日蓮雨乞い池がある位で、多くの観光客を呼び寄せるような観光ポイントにも恵まれず、いわば通過点に過ぎない場所である。ただ、風光には恵まれている。
 1960年代に入り、鎌倉市周辺では大型宅地開発が相次いでいたが、七里ガ浜では西武による開発が進められた。
 七里ガ浜一帯を一躍人気スポットにしたのは、日本テレビ系ドラマ『俺たちの朝』の大ヒットである。このドラマのおかげで当時廃線が危ぶまれていた江ノ電の乗客数が増加し、存続が決定したという。
 以後、映画やドラマ、コミック、さらにはテレビコマーシャルやカラオケのバックなど、さまざまな映像作品に七里ガ浜一帯が登場するようになる。
 これには、いったいどのような理由が考えられるだろうか。
 まず、風景が立体的なことである。「絵になる」風景といえようか。
 海岸線のすぐ裏にかなり急な丘陵斜面が迫り、浜の両端に小動岬、稲村ヶ崎の海蝕崖があって、浜を区切っている。
 文部省唱歌『鎌倉』の出だしに「七里ヶ浜の磯伝い」とあるように、ここの浜は単なる砂浜に見えるが、実は磯、すなわち岩石海岸なのである。大潮の干潮時には岩棚が海面に姿を出し、磯遊びの場にもなる。しかし、上級のサーフィンには向くが、海水浴には向かない。
 遠景としては、東に三浦半島、南に伊豆大島を望み、西には江の島を手前に、背後に伊豆箱根と富士山を望む。この西の風景は、江戸後期から多くの浮世絵にも描かれている。
 次に、江ノ電の存在である。今や日本で2番目に古いレトロな電車が、海岸線に沿ってトコトコ走る。ことに鎌倉高校前駅は、1997年、「関東の駅百選」に選ばれている。
 また、風光明媚な2校の県立高校の存在も見逃せない。フジテレビ系ドラマ『青い瞳の聖ライフ』やコミック『SLAM DUNK』のモデルとしてロケの場所を提供してきた。加えて鎌倉プリンスホテルもある。
 さらに、海に向かう坂道である。さまざまな映像シーンで坂道が利用されている。また、海に直接面する広い駐車場も利用されるケースが多い。

歌詞に出てくる湘南3都市

 下の表は1960年以降の湘南3都市の若者文化を比較するためにジャンルごとに色分けした年表である。
 下線が施してある空色の部分は、YouTubeなどの動画サイトにリンクしている。
 緑色の音楽文化は、主に3都市の地名が歌詞に含まれる歌を示すが、次のような明確な傾向が見られる。
  • 市の名称を含む歌の数は、茅ヶ崎市が極めて多く、鎌倉市がそれに次ぎ、藤沢市は極端に少ない。
  • 市の名称を含む歌のジャンルを見ると、鎌倉市は歌謡曲が多く、藤沢市は少数で、茅ヶ崎市は極端に少ない。
  • 藤沢市は市の名称は少ないが、江ノ島・鵠沼・辻堂など地区名が多い。鎌倉市がそれに次ぎ、茅ヶ崎市は地区名を含むものがほとんどない。
  • 鎌倉市は社寺の名、花の名、薪能などの行事で鎌倉を表す例が見られる。茅ヶ崎市は烏帽子岩、ホテルや店舗の建物や道路の名で茅ヶ崎を表す例が見られる。
  • 21世紀に入ってから曲名やバンド名に横文字を用いる例(レゲエ・ラップ・HIP-HOPなどに多い)が増えるが、何故か藤沢市に特に多い。
湘南3都市若者文化比較表   音楽文化  スポーツ文化  映像文化  漫画・ゲーム
西暦 茅ヶ崎市 藤沢市 鎌倉市
1960 加山雄三、東宝へ入社 第1回輸入車ショウ(外車ショー)  
1961 加山の若大将シリーズがスタート 「小田急鵠沼プールガーデン」開場   
1962   「サーフィングシャークス」結成  
1963   「湘南ライフガードクラブ」設立 東宝映画 黒澤明『天国と地獄』
七里ヶ浜海水プール・ゴルフ練習場開業
1964 サーフショップ「goddess」、創業 藤沢市への海水浴客が956万人に
江の島、東京五輪のヨット競技会場となる
 
1965 パシフィックホテル茅ヶ崎竣工
 加山:ブラック・サンド・ビーチ
砂防林が荒廃、国道より海側はほぼ全滅
「テッド」初の国産サーフボードを鵠沼でテストライド
 
1966 加瀬邦彦ザ・ワイルドワンズを結成
 加瀬:想い出の渚
  西武七里ヶ浜住宅地分譲開始
1967  加山:二人だけの海    
1968  加山:ある日渚に  
1969 岩沢兄弟ブレッド&バターを結成 大腸菌騒動→観光客数100万人台に激減
ちあきなおみ、歌手デビュー
松竹映画 中村登『日も月も』
1970 尾崎紀世彦、ソロデビュー 「湘南指導員協会」設立  
1971      
1972     日本テレビ系『おれは男だ!
1973  アン・ルイス:湘南の男たち    
1974    
1975  B&B:セーリング・オン・ボード   湘南道路鎌倉区間を無料開放
 さだまさし;縁切寺
1976 桑田佳祐サザンオールスターズを結成
 荒井由美:天気雨
  日本テレビ系俺たちの朝
鎌倉市立七里ガ浜小学校開校
1977     ヒデとロザンナ:さらば愛の季節  県立七里ガ浜高校、現在地へ移転(前年開校)
 山本譲二:湘南哀歌 
1978  加山:湘南 ひき潮加山雄三通り
日本テレビ系青春ド真中!
森田芳光『ライブイン茅ヶ崎』
 サザン:勝手にシンドバッド茅ヶ崎に背を向けて 
 加山:光進丸
 桜たまこ:江の島海岸
阿川泰子、歌手デビュー
 竹下景子:結婚してもいいですか 
1979  サザン:ラチエン通りのシスター
   
1980  加山:その日海からラプソディ   東宝映画 黒木和雄『夕暮まで』
1981  加山:海よ永遠に
 加瀬:白い水平線
 B&B:HOTEL PACIFIC湘南ガール

 太田裕美:恋のハーフムーン
白井貴子、歌手デビュー  
1982  サザン:チャコの海岸物語夏をあきらめて
 ラジオっ娘: 茅ヶ崎サンライズ
 堀ちえみ:潮風の少女
 石川秀美:ゆれて湘南 吉田聡『湘南爆走族
1983  加山:明日の海 ボディボードはじまる(鵠沼・辻堂)  
1984 テミヤンが歌手デビュー
 
B&B:引き潮カフェ
 サザン/長山洋子:シャボン 西岸良平『鎌倉ものがたり』
フジテレビ系青い瞳の聖ライフ

 森昌子:古都の春 
1985  サザン:Bye Bye My Love 神奈川県、「湘南なぎさプラン」を策定
吉田聡『ちょっとヨロシク!』
角川映画 澤井信一郎早春物語
 サザン:夕陽に別れを告げて~メリーゴーランド
1986     TBS系早春物語
鎌倉パブロバ記念館開館
1987  高田/川崎:私・湘南マタンゴ娘  第1回ビーチバレージャパン  
1988 吉田聡湘南グラフィティ
パシフィックホテル茅ヶ崎廃業
満田拓也『健太やります!』
 TUBE:Miss You 
平野俊弘/垣野内成美吸血姫美夕
フジテレビ系季節はずれの海岸物語
1989  TUBE:オ・ネ・ガ・イRADIO  全国初のビーチスタントカイト競技大会 TBS系『鎌倉ペンション物語』
 大月みやこ:女の舞 
 渡辺伸 ;鎌倉物語
1990  加瀬:こころ...湘南気分
 サザン:希望の轍
SURF90開催 東宝映画 桑田佳祐稲村ジェーン
井上雄彦SLAM DUNK
1991  B&B:君がいた夏
 TUBE:茅ヶ崎 Pipeline 
ビーチ・タッチ・フットボール世界初の大会
 TUBE:湘南My love
 
1992   「サーフビレッジ」完成 谷川史子『各駅停車』
1993  ダ・カーポ:湘南イン・ブルー
 Litz CO.:青い夏に身をまかせ
 サザン:江ノ島
テレビ朝日系湘南女子寮物語
 渡辺美里:さえない20代
 
1994  B&B: LONDON-PARIS-NEW YORK-湘南
 浜田省吾:こんな気持のまま
「湘南ライフガードクラブ」、「西浜サーフライフセービングクラブ」と改称 松竹映画 山田洋次『拝啓車寅次郎様』
北崎拓『なぎさMe公認』
1995   「湘南鵠沼海岸常設コート」設置
 
サザン:メリージェーンと琢磨仁
 北見恭子:こころ妻
鎌倉プリンスホテル開業
吉田聡『荒くれKNIGHT』
 高野幸子:鎌倉夫人 
1996 澤井健『SURF SIDE HIGH-SCHOOL』 松本大洋『ピンポン  鎌倉パヴロバ記念館閉鎖
 サザン:愛の言霊(Spiritual Message)
 浜田省吾:紫陽花のうた
1997    モダンチョキチョキズ:渚のエンジェル  小柳ルミ子:千年の恋 
1998  サザン:湘南SEPTEMBER 江の島、第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)のヨット競技会場に
 サザン:夜風のオン・ザ・ビーチ
TBS系『海まで5分』
 サザン:鎌倉物語/古戦場で濡れん坊は昭和のHero/悪魔の恋 
1999 茅ヶ崎海水浴場、「サザンビーチちがさき」と改称
 岡本真夜:海ヘLet's go!
 サニーデイ・サービス:江ノ島
  チェキッ娘:海へ行こう~Love Beach Love~
大地丙太郎/たかしたたかしまかせてイルか!
 DREAMS COME TRUE:夢で逢ってるから
2000  サザンHOTEL PACIFIC
テレビ東京『美・少女日記』
サザンオールスターズ 茅ヶ崎ライブ『あなただけの茅ヶ崎』
第1回EBASHI-CUP(江橋カップ)を開催
フィルム・シティ映画小沼勝 『NAGISA-なぎさ-』
三田紀房『甲子園へ行こう!』
 里見浩太朗:愛の行方
 サザン:通りゃんせ 
2001 松浦亜弥、歌手デビュー
 サザン:波乗りジョニー/PRIDEの唄~茅ヶ崎はありがとう~
 岡田淳一:茅ヶ崎ブルース
第1回ザ・ビーチ選手権大会
島根惠、弦楽合奏組曲『湘南鵠沼海岸の想い出』を発表
フジテレビ系『Fighting Girl』
2002   第1回ノルウェーフレンドシップ・ヨットレース
アスミック映画 曽利文彦『ピンポン』
 TUBE:江ノ島ブギウギ
 mach25:いつかの浜辺で
 RIP SLYME:Tokyo Classic     
小林尽『スクールランブル』
2003  テミヤン:プールサイド
 サザン:雨上がりにもう一度キスをして
 童子-T:In-mail feat.JUJU 
孫悟飯/チチ:心から濡れた二人
赤松健『陸上防衛隊まおちゃん』
浜崎あゆみ、海の家「RAINBOW HOUSE」を開設
 
 TUBE:Fujisawa Sunlight
 IZAM:秋桜
 TUBE:Don't Think, It's All Right
 elliott:木曜日の糸   
 MILKRUN:たとえば、こんなささやかな一日 
稲村ガ崎海水浴場、閉鎖
東宝映画 蜷川幸雄青の炎
NHK-BS2衛星アニメ劇場
ふたつのスピカ
日本テレビ系『ライオン先生』
吉田秋生『ラヴァーズ・キス』
 クレイジーケンバンド:せぷてんばぁ
 TUBE:はよつけ鎌倉 
 遊佐未森:Daisy / Daisy・桃色の雲は
2004  岡田淳一・柴田かおり;湘南ラブソング 西浜海水浴客300万人台に復活→日本一に フジテレビ系『ラストクリスマス』
アニメスクールランブル
志村貴子青い花
ゲーム『センチメンタルプレリュード
  湘南乃風:GOOD LIFE 
 サザン:君こそスターだ
2005  サザン:八月の詩(セレナード) 第一回ロングボード選手権大会
オフィスキタ映画 喜多一郎 『ライフ・オン・ザ・ロングボード

はっとりみつるケンコー全裸系水泳部 ウミショー
扇愛奈、歌手デビュー
 増田ジゴロウ:藤沢のうた
 クールファイブ:恋は終ったの
第1回鎌倉アルプス・トレイル・ランニング大会
ゲーム『ホワイトブレス ?絆?』

 森くるみ:雨の鎌倉 
 THC!!:鎌倉日和/夏のルールで
 世理奈:稲村ヶ崎 
2006  テミヤン:走れえぼし号 日本ビーチバレー発祥の地記念碑建立
 5050:真夏の鵠沼
 サザン:太陽に吠える!!
ワーナー映画 高橋伸之キャッチアウェーブ
吉田聡『荒くれKNIGHT』
2007 tvk『サンシャインデイズ』
 B&B:海岸へおいでよ
 PUFFY:ねじポーション
 INFINITY16:真夏のオリオン
 2525:サザンビーチ
河合克敏『とめはねっ! 鈴里高校書道部
第1回湘南国際マラソン大会
 B&B:夏の音符
 POSSIBILITY:Summer day 
  湘南乃風:睡蓮花 
テレビ朝日系『おいしいごはん 鎌倉・春日井米店』
TBS系『特急田中3号』
吉田秋生『海街diary 1 蝉時雨のやむ頃』
満田拓也『健太やります!』

  比気由美子:ひとり鎌倉 
  SoulJa:ここにいるよ feat.青山テルマ
 かぐや姫:湘南 夏
 相対性理論:LOVEずっきゅん
2008 日活映画GSワンダーランド
 ザ・タイツメン『海岸線のホテル』
 杉山;オメガトライブ:ROUTE 134
 Lead:Wicked Wicked☆SUMMER PARTY 
第1回鵠沼Beach Tennis オープン大会
 ASIAN KUNG-FU GENERATION:藤沢ルーザー・鵠沼サーフ江の島エスカー
 扇愛奈:ひねくれて藤沢
 POSSIBILITY:134-16 feat.PASSER
 Jackson vibe:SEASIDE RAIN 
フジテレビ系太陽と海の教室
 ASIAN KUNG-FU GENERATION:腰越クライベイビー・七里ヶ浜スカイウォーク稲村ジェーン極楽寺ハートブレイク・長谷サンズ・由比ヶ浜カイト・鎌倉グッドバイ
 レミオロメン:花火 
 真咲よう子:空蝉しぐれ 
 原田悠里:鎌倉の女 
 田川寿美:しゃくなげの雨 
 童子-T:Good Night 
2009 オフィスキタ映画海の上の君は、いつも笑顔。
ゴールデンボンバー:TSUNAMIのジョニー
 
湘南国際ビーチテニストーナメント
第1回ミニトン・スモールボート オープン選手権大会

岡井ハルコ『江の島ワイキキ食堂』
佐藤まさき『釣りチチ・渚』
 大光寺圭:私の水平線
 導楽:SUMMER BREEZE feat. MURDER ONE & HIGH-G
 D.W.ニコルズ:猫とギター 
 村田和人:少年サイダー
 杉山清貴:夏が来たね
 PUFFY:あなたとわたし
   
フジテレビ系『青い花』
2010 加山雄三に「市民栄誉賞」
松原&愛沢:雨のレクイエム
フジテレビ系列『流れ星』
「TUBEライブ・アラウンド・ シーサイド・バイブレーション

つじむらゆみこ、歌手デビュー

 TUBE:灼熱らぶ
 つじむらゆみこ:この街に生まれて
 YUI:es.car
 東京60WATTS:君と海へ 
 POSSIBILITY:サヨナラ 
 山嵐:Fellowship feat.JESSE & K
 村田和人:鎌倉散歩 
 土岐麻子:鎌倉 
 SPANK PAGE:不器用な情景 
2011  Tanaka-KOZO:茅ヶ崎Blues
 つじむらゆみこ:茅ヶ崎の風に吹かれて
湘南乃風:LETTER feat
東元俊也『湘南レスキュー部』
田中賢史『ふじまる日記』
 前川清:SEA SIDE WOMAN BLUES
 導楽:江ノ島デート
 湘南乃風:HEAT feat. RED RICE
 PUFFY:はるのうた 
 SEEDA:PG-18 feat. KARIBEL for MAJOR MUSIC
 Dl PMX:4 My CityIIfest宇多丸 
 TUBE:江の島シーキャンドル
 ガールズ・ING:嘘でしょ?〜七里ガ浜の七不思議〜 
 水森かおり:花の鎌倉 
 山本みゆき:雨の鎌倉 
2012  水田竜子:江ノ島ごころ フジテレビ系『最後から二番目の恋』
 長山洋子:雨おんな
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 内藤千代子:『生ひ立ちの記』(1914)
  • 藤沢市観光協会:『江の島海水浴場-開設100周年記念誌-』(1986)
 
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