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第0332話 一木通り

一木與十郎町長の名から

 前項で紹介した中岡耕地整理が行われた結果、「中岡耕地整理紀功碑」に記されている「一丈五尺の本道南北に通じ、数条の支路東西に分つ」とある「一丈五尺の本道」がメインルートになった。これが「一木通り」である。
 鵠沼松が岡の一〜三丁目は「鵠沼海岸別荘地」として明治中期から開発が進められたが、そのメインルートは必ずしも正確な直線道路ではなく、正確な間隔で平行してもいない。江ノ電開通後に整備された「海岸通り」はかなり正確な直線道路になってはいるが。
 これらに対し、「一木通り」はかなり正確な直線道路である。一丈五尺すなわち4.5mの道幅は、現在の自動車時代にはかなり狭い。もともとは東側に側溝があったのだが、1964(昭和39)年に暗渠化され、その分だけ広くなった
 「一木通り」の名は、鵠沼中岡耕地整理組合の組合長であり、藤澤町長だった一木與十郎に因むことはある程度知られている。ただ、「一木邸の前を通るから」と思っておられる方が多い。一木與十郎邸は小田急線熊倉通り踏切の北東にあり、一木通りには面していなかった。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 竹中英輔:「一木通り草莽記」『鵠沼』第80号(2000)
 
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