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第0333話 藤澤高等小學校


 5月15日(火)で鵠沼郷土資料展示室の第26回展示『鵠沼発祥の地=鵠沼神明・なつかしき学び舎=藤沢第一中学校』が終了した。この藤沢第一中学校の前身が藤澤高等小學校である。その誕生には紆余曲折があった。

高等科の統合

 藤澤町には1908(明治41)年の町制施行以来、藤澤・明治・鵠沼という3校の尋常高等小學校があった。これらの高等科を統合して藤澤高等小學校を創設しようという案が1931(昭和6)年12月の町議会に民政党5名から建議案として提出され、、可決された。これを受けて就任後間もない一木與十郎町長も了承して翌年1月の町議会に町側から高等小学校新設議案が提出され、可決されて、それぞれの学区を代表する議員からなる特別委員会が組織された。しかし、委員会での論議はまとまらず、町は一旦撤回せざるを得なかった。町側は撤回理由を説明したが、一部議員から特設高等小学校設置ノ件が提出されたがこれも撤回された。
 

西暦 和暦 記                        事
1931 昭和 6 10 3 一木與十郎、藤澤町長に当選する
1931 昭和 6 12   町会に民政党5名から高等小学校新設に関する建議案→可決
1932 昭和 7 1 20 高等小学校新設議案提出→可決→委員会付託→撤回
1932 昭和 7 2 15 町側が撤回理由説明→特設高等小学校設置ノ件、一部議員から提出→撤回
1932 昭和 7 3 29 町会に18名から高等小学校新設に関する建議再提案
1932 昭和 7 4 2 高等小学校新設に関する建議可決
1932 昭和 7 9   明治地区選出の調査委員、辞表を提出
1932 昭和 7 10 11 高等小学校ノ位置ヲ定ムル件提案(藤沢地区西横須賀の1町8反の畑地を用地とする)
1932 昭和 7 10 13 高等小学校ノ位置ヲ定ムル件、強行採決→議場大混乱
1932 昭和 7 12 県当局、一木町長に両派の歩み寄りを促す条件を提示
1933 昭和 8 2 25 高等小学校建設費を含む次年度予算案審議→紛糾 
1933 昭和 8 3 1 次年度予算案、強行採決→議場大混乱
1933 昭和 8 3 県当局、藤澤町からの記載申請\80,000を\60,000に切り下げて大蔵省に上申。敷地変更指示
1933 昭和 8 3 新設校推進派・反対派の協議会。用地を鵠沼地区の内田・長塚の1町7反に変更提案
1933 昭和 8 5 13 大蔵省、起債認可。\57,000に切り下げられる。内務・文部大臣からの高等小学校新設許可
1933 昭和 8 5 19 町会で高等小学校新設の諸議案可決
1933 昭和 8 6 工事請負業者決定。高等小学校新設工事、着工
1933 昭和 8 9 16 藤澤高等小學校、上棟式
1933 昭和 8 11 14 藤澤高等小學校(現藤沢第一中学校)開校式
1933 昭和 8 11 14 鵠沼尋常高等小學校の高等科が藤澤高等小學校に統合され、鵠沼尋常小學校と改称
1933 昭和 8 11 17 町会に都市計画法の適用申請について諮問→委員会通過
1934 昭和 9 2 引地川改修事業完成。『紀功碑』、鵠沼海岸2-17地先引地川河畔に造立。撰:一木與十郎
1934 昭和 9 3 1 一木與十郎、町長を辞任、町長の職務管掌として県属斎藤道金が来任
1934 昭和 9 5 8 6代藤沢町長に大野守衛就任
1940 昭和15     一木與十郎、没
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤沢市:『藤沢市史』第6巻(1977)
 
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