HOME 政治・軍事 経済・産業 自然・災害 文化・芸術 教育・宗教 社会・開発


第0317話 鵠沼橋と渚橋

片瀬橋・渚橋・鵠沼橋の架橋

 第0307話で紹介したように、1931(昭和6)年8月26日、《湘南遊歩道路》の起工式が催行された。
 この工事は東から進められたらしく、着工から半年ほど経った翌1932(昭和7)年2月1日に「湘南遊歩道から江の島桟橋に通ずる片瀬川下流の新橋が完成する」と『橫濱貿易新報』に掲載されている。これが現在の《片瀬橋》だろう。
 続いて同年内に古川の《渚橋》と引地川の《鵠沼橋》の架橋が完成するのだが、これらの完成期日は判明していない。もっとも、これら3本の橋は道路工事のために架橋されたのであって、渡り初めは一般車両が茅ヶ崎まで通れるようになった1935(昭和10)年7月27日に行われた。
 《渚橋》は黄土色の煉瓦に縁の白い四角い窓が並んだツートンカラーのかなりモダンなデザインだった。これは国道134号の4車線化工事のため、1992(平成4)年3月に現在の橋に架け替えられるのだが、前の橋のデザインを踏襲した設計がなされた。
 《鵠沼橋》は橋頭に街灯を載せたかなり巨大な親柱が建っているのが目立つデザインだった。この橋は1990(平成2)年9月30日、台風20号の豪雨による増水で、下流側に並行していた自転車道用の《みどり橋》と共に大破した。折から計画されていた国道134号の4車線化工事のため、脇に仮橋を架けて架け替え工事が行われ、橋長54m、歩道付きの4車線橋になり、《みどり橋》は廃止された。《渚橋》と相前後して1992(平成4)年3月に完成した。架け替え工事に1年半を要したわけで、初代の《鵠沼橋》が1年足らずで完成していることを考えると、かなりスローペースだった。
 完成時に南東側の橋詰めに初代《鵠沼橋》の親柱が1本、記念のために残して建てられた。
 余談だが、国道134号には《渚橋》という橋がもう1本ある。逗子市の田越川に架かる橋長94m、幅11mの空色の橋で、こちらの方が有名である。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 加藤徳右衛門:『現在の藤澤』(1933)
 
BACK TOP NEXT