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第0308話 湘南瓦斯

昭和一桁のインフラ整備

 関東大震災の復興が一段落した昭和一桁の時代は、あらゆる面でインフラストラクチャーの整備が進み、生活の近代化が図られた時代だった。
 関東大震災は鵠沼にとって別荘地から定住住宅地へのきっかけを与え、小田急江ノ島線の開通や東海道線の電化がそれを促した。
 神奈川県の主導で鵠沼海岸の観光開発も進められたが、それはまた滞在型観光地から日帰り型観光地への変貌も意味していた。
 人力車から自動車への転換は幅広く屈曲の少ない道路を必要とし、これまでにも話題にしてきたように、「新道」の開通も相次いだ。但し道路の舗装は昭和二桁になって旧東海道と湘南遊歩道路が舗装されたのみで、戦後もしばらくは砂利道と水たまりに悩まされたものである。
 生活面でのインフラは、鵠沼地区は他地区より比較的早めに整備が進んだ。
  • 医院:1906(明治39)年、埼玉県吹上出身の医師=福田良平、伊東将行の招聘で東屋近くに鵠沼海浜医院を開く
  • 郵便:1907(明治40)年 1月1日に鵠沼郵便局、鵠沼下岡6642(鵠沼海岸2-8-26)に開設
  • 電気:江ノ電発電所からの提供で1908(明治41)年2月5日または1909(明治42)年4月に家庭用は夜間のみの供給
  • 電話:1920(大正 9)年8月1日に電話開設
などが震災前に整備されたインフラである。震災後については、下に年表にまとめておいた。
震災〜終戦期の鵠沼地区インフラ整備年表    
西暦 和暦 記                        事
1923 大正12     医師=熄シ貞夫、震災で倒壊した熄シ内科医院を再建し、病院に発展開業
1925 大正14 5   高瀬彌一らによる鵠沼新道開通
1926 大正15 3 13 鵠沼の高瀬彌一が発起人となり江之島水道鰍創立(資本金125,000円)
1926 大正15 11 26 鵠沼電話増設工事開始
1926 大正15 12 14 鵠沼川袋の高瀬彌一邸の井戸を水源とする江之島水道通水式
1926 大正15     熄シ病院、鵠沼6703に分院を開設
1927 昭和 2 5 4 片瀬−鵠沼間の鵠沼新道開通(片瀬県道南半)
1927 昭和 2 5   一本松踏切から南下する新道(大東道)竣工
1928 昭和 3 2   江之島水道梶A玉川水道と提携、湘南水道鰍ニして事業を拡張
1929 昭和 4 4 1 小田原急行鉄道江ノ島線開通。本鵠沼・鵠沼海岸駅開設。「直通」の停車駅となる
1930 昭和 5     湘南水道梶A村岡村奥田の伏流水を水源に鎌倉町への給水を計画。内務省に許可申請
1931 昭和 6 7 27 鉄道省「海の家」完成、脱衣室・浴室・食堂等が整備される
1931 昭和 6 8 1 藤沢駅から「海の家」まで直通バス運行開始。藤沢駅から片道5銭
1931 昭和 6 9 17 湘南瓦斯梶A鵠沼7408で創業
1931 昭和 6 9 21 県道片瀬−大磯線(川口村片瀬龍口寺前−中郡大磯町郵便局前)工事着手
1931 昭和 6 9 23 県道藤沢停車場・江の島線の改修工事着手
1933 昭和 8 3 30 県営水道、湘南水道鰍合併
1933 昭和 8 4 1 我が国最初の広域水道としての県営水道を設置。藤沢営業所、開設
1935 昭和10 7 27 湘南海岸道路(湘南大橋を除く区間)開通。「渚橋」「鵠沼橋」落成、渡り初め
1936 昭和11 3 30 鵠沼郵便局、鵠沼下岡6653番地(鵠沼海岸 2-7-3)に新築・移転
1936 昭和11 7   鵠沼堀川より辻堂仲町日ノ出町に至る延長1792mの町道鵠沼道路が竣工
1936 昭和11 8 31 県道片瀬−大磯線(湘南海岸公園道路)工事竣工
1936 昭和11     県道藤沢停車場・江の島線改修工事、着工
1937 昭和12 8   花沢町下水敷設、竣工
1937 昭和12     この頃まで鵠沼の電気は夕方5時に通電して、朝7時に遮断する方式だった
1939 昭和14     熄シ病院、分院を廃止
1940 昭和15   県道藤沢停車場・江の島線改修工事完成
1940 昭和15 7 6 寺門 忠、藤沢橘通郵便局開局
1944 昭和19     熄シ病院、日本精工に譲渡、日精病院(院長:畑 正世)となる
1944 昭和19     4郵便局、藤沢郵便局に統合
1945 昭和20     湘南瓦斯梶A東京瓦斯(現東京ガス)に合併

湘南瓦斯株式会社

 都市ガスについては、1931(昭和6)年9月17日に湘南瓦斯梶A鵠沼7408で創業とある。
 この会社は1945(昭和20)年に東京瓦斯(現東京ガス)に合併したことは判明したが、それ以外のことは未調査である。当時どれぐらいの家庭が都市ガスを利用したか、全くデータがないが、恐らく大金持ちしか利用しなかったのではあるまいか。戦後しばらくはだいたいの家庭で薪炭を利用していたと記憶する。灯油の利用は大正時代にはあったことが岸田劉生が鵠沼を去る和辻哲郎から石油ストーブを譲り受けたという記録から判明する。
 余談だが、現在横須賀市で営業する湘南瓦斯鰍ヘ、三菱系のプロパンガス元売りで、鵠沼で操業した湘南瓦斯鰍ニは全く関係がない。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤沢市:『藤沢市史年表』
 
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