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第0306話 海の家直行バス

鐵道省海の家直行バス

 1931(昭和6)年8月1日の鐵道省海の家開業に会わせて藤澤駅南口から鐵道省海の家への直行バスが運行されたと、加藤徳右衛門:『現在の藤澤』にある。
 この記事では、片道料金が5銭だったこと位しか判らないが、当時を記憶しておられる方々の記憶などを綴り合わせ、以下のようにまとめてみた。
  • 営業会社は恐らく《江之島自動車》(1931(昭和6)年10月、《藤澤自動車》に統合)
  • 区間は藤澤駅(南口)~鐵道省海の家入り口(《片帆橋》北詰)
  • 経路は藤澤駅~橘通り~高瀬通り~熊倉通り~鵠沼銀座通り~東仲通り~鐵道省海の家入り口
  • 料金は片道5銭
 要するに現在ミニバス《こまわりくん》が運行している江ノ電バス㈱高根線の元祖のようなものだったらしい。
 鵠沼地区のバス路線は、第0199話で紹介した1918(大正 7)年7月1日か翌年7月1日の藤沢―片瀬間の乗合自動車(江之島自動車)運転開始が最初である。あるいは旧東海道や中學通りにもバスが運行した可能性が考えられるが、記録が見当たらない。いずれにせよ、前者は鵠沼地区の北東偶、後者は鵠沼地区の北辺の路線であり、地区の中央部を走ったバスは、この藤澤駅~鐵道省海の家直行バスが最初の記録である。
 この路線について調べてみて、まだ判らない諸点を列記しよう。
  • この路線は夏季のみの運行だったか。最初から通年運行だったか。
  • 夏季のみの運行だったとしたら、いつから通年運行になったか
 また、第0298話で触れたように、広田弘毅が首相に就任した(1936(昭和11)年3月5日)頃、藤沢駅南口より高瀬通り、宮崎通りを経て上岡から山口通りに入り、通称海岸通り(江ノ電鵠沼駅から海岸へ向かう道)の大曲の四つ角のところまで一時期バスが走っていた。
 多くの方々の記憶では、戦時中は木炭バスが使用され、しばしば故障して、商店街の人たちが後押しに苦労したらしい。 《藤澤自動車》鵠沼海岸線としては1944(昭和19)年まで運行していた。この年は戦時統合により《藤澤自動車》は《神奈川中央乗合自動車》となった。統合と同時に鵠沼海岸線が廃止(休業?)となったことも考えられる。
 1949(昭和24)年)6月20日、江ノ島電気鉄道(直後に江ノ島鎌倉観光㈱に改称)が神奈川中央乗合自動車から路線を譲受し、路線バス事業を再開した。同社は1951(昭和26)年 7月 9日に乗合自動車鵠沼海岸線の運行を再開した。
 これ以降については後に別項を立てる予定だが、1959(昭和34)年3月10日に江ノ島電鉄バス、鵠沼線の高根~鵠沼海岸間廃止→高根線となった。
 なお、蛇足を付け加えると、現在《高根バスターミナル》が置かれている場所の旧小字名は下鰯であって、高根ではない。このために誤解を生ずる恐れがある。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 加藤徳右衛門:『現在の藤澤』(1933)
 
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