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第0304話 鐵道省海の家

町有の元縣立原蠶種製造所を鐵道省東京鐵道局へ寄付

 第0282話で紹介したように、神奈川県は1927(昭和2)年10月2日、鵠沼の小字横須賀にあった縣立原蠶種製造所の藤沢より高座郡海老名村中新田への移転する方針を決定し、翌年移転。県はこの跡地を8,000円で藤澤町に払い下げた。
 藤澤町議会は、1931(昭和6)年5月11日、町有の元縣立原蠶種製造所を鐵道省東京鐵道局へ寄付し、鵠沼海岸に同局の《海の家》設置を促進することになった。
 その理由として、1929(昭和4)年に見られた次の三点を挙げておいた。
  • 4月1日 - 小田急江ノ島線の開通
  • 7月5日 - 官選第15代神奈川知事として山縣治郎(1881-1936)が就任。湘南-箱根を結ぶ国際観光地化を企画
  • 8月10日 - 鐵道省東京鐵道局、逗子海岸海水浴場に《鐵道省逗子海の家》を開設
 藤澤町から元縣立原蠶種製造所を寄付された鐵道省東京鐵道局が、この土地をどのような経緯で売却したのかは詳らかではないが、鵠沼地区分に関しては最終的に日本精工㈱の藤沢工場の用地になって今日に至っている。
 いずれにせよ鐵道省東京鐵道局は藤澤町の意を受けて、鵠沼海の家を1931(昭和6)年7月10日に起工し、同月27日に完工。8月1日には開業しているから、驚くべき超スピードといわざるを得ない。

鐵道省海の家

 「海の家」といっても、それまでのような葦簀張りや、今日のような夏2か月間の仮設建築ではなく、営業期間は夏だけだが、建物は恒久的な建築として建てられた。
 位置は、現在の県立湘南海岸公園《ちびっこ広場》あたりで、建築時点ではまだ《湘南遊歩道路》も着工直前だったし、引地川の河川改修も始まったばかりだった。引地川は砂浜に出てから東へ流れ、第0297話で紹介した『大藤澤復興市街圖』によれば、東仲通りを海に出た付近に河口があり、河口の両側に海水浴場があった。《海の家》は当初左岸に建てられた。《海の家》の北側には第0303話で紹介した堀川(古川)が流れており、《海の家》に向けて《片帆橋》が架けられていた。この橋は元来欄干もないいわゆる「ドンドン橋」だったが、《海の家》建設に際して欄干付きの恐らく自動車も渡れるようなものに架け替えられたのではなかろうか。
 設計図等は見たことがないが、戦後駐留軍が撮影した航空写真によれば、かなりの面積を持ったE字型の平面形を持つ母屋にT字型のテラスが附属した本格的木造建築で、大きな切り妻型の屋根(多分トタン葺き)に覆われていた。《片帆橋》を渡ったエントランス左手には、小さい別棟の入場券売り場が建てられていた。
 外観の写真は何枚か残っているが、内部の写真は少ない。その少ない内部写真によれば、入口は土間で簀の子が敷いてあり、床はかなり高い板張りで、敷物が敷き詰められている。天井高は2間以上とかなり高く、格天井になっている。壁面には観光ポスターなどが貼られているのが、いかにも鐵道省施設らしい。
 外観の写真を見ると、電気が引かれていて、2本の高い煙突が立っている。脱衣場の他に浴室と食堂があったという。
 何枚かの従業員集合写真が残っているが、従業員数は30名程度、看護婦も常駐していたという。写真の中央には必ず藤沢駅長が写っており、駅長が所長を兼ねていたと思われる。
 この施設が閉鎖(休業?)したのは1938(昭和13)年説と1939(昭和14)年説とがある。1938(昭和13)年には引地川右岸に開設されたとある。これは建て替えたのではなく、この年の7月2日に起きた梅雨明けの大豪雨(別項を立てる予定)により、引地川下流部の流路が大幅に変わり、いままで左岸にあった《海の家》が右岸側になってしまったと考えられる。
 1947(昭和22)年2月に駐留軍が撮影した航空写真には左岸側に戻っている。この建物は閉鎖後も取り壊されずに存在したわけで、1949(昭和24)年8月31日にキティ台風の高潮によって流失した。
 このように、《海の家》の営業期間は数年と短かったわけだが、この間、世の中は世界恐慌から日中戦争へと進む暗い時代に向かっていた。しかし、鵠沼海岸に関していえば、《湘南遊歩道路》の開通、《町営プール》の開設が行われ、鵠沼海岸駅前商店街は《鵠沼銀座通り》と呼ばれるほどの賑わいを見せた。リゾート地鵠沼のつかの間の「黄金時代」だったのではあるまいか。
鐵道省「海の家」関連年表    
西暦 和暦 記                        事
1928 昭和 3     県立原蚕種製造所、海老名へ移転→跡地を8000円で藤沢町に払い下げ
1929 昭和 4 4 1 小田原急行鉄道江ノ島線開通。本鵠沼・鵠沼海岸駅開設。「直通」の停車駅となる
1929 昭和 4 7 5 ~1931.12.27、山県治郎、神奈川県知事に任命→湘南海岸の国際観光地化を推進
1929 昭和 4 8 10 鐵道省東京鐵道局、逗子海岸海水浴場に《鐵道省逗子海の家》を開設。好評を博す
1931 昭和 6 5 11 町有の元原蚕種製造所を東京鐵道局に寄付し、鵠沼海岸に同局の「海の家」建設を促進
1931 昭和 6 6   鐵道省「海の家」建設に町の有志が寄付を集める
1931 昭和 6 7 10 引地川左岸の鵠沼海岸海水浴場で鐵道省「海の家」建設起工
1931 昭和 6 7 27 鐵道省「海の家」完成、脱衣室・浴室・食堂等が整備される
1931 昭和 6 7 31 鐵道省「海の家」完成披露会
1931 昭和 6 8 1 藤沢駅から鐵道省「海の家」まで直通バス運行開始。藤沢駅から片道5銭
1931 昭和 6 8 1 鐵道省「海の家」開業。大人30銭小人15銭
1931 昭和 6 8 15 鵠沼海岸で燈籠流し・花火大会開催
1931 昭和 6 8 27 県道湘南海岸道路(片瀬-大磯間)の起工式挙行
1931 昭和 6 8   県当局、鵠沼海岸に県営プール開設を計画。藤沢町、県知事へ促進意見書を提出
1931 昭和 6   江ノ島電氣鐵道、納涼電車を運転。好評を博す
1938 昭和13   引地川右岸に鐵道省「海の家」を移転開設。「海の家」はこの年限りで閉鎖
1939 昭和14   この夏をもって鐵道省「海の家」、閉鎖
1946 昭和21     鵠沼海岸に「なぎさクラブ」(文化活動の交流会)結成(1948年まで)旧海の家も利用
1949 昭和24 8 31 キティ台風により旧鐵道省「海の家」の建物、波浪で流失
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 内藤喜嗣:『鵠沼海岸開発史の概略』(2001)
 
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