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第0253話 学校の復興

鵠沼尋常高等小學校

 第0239話の藤沢町震災誌で紹介したように、関東大震災で鵠沼小学校(この年の4月から尋常高等鵠沼小學校は鵠沼尋常高等小學校と改称している)の校舎は全潰したとある。もともと地盤の軟弱な水田跡地に建てられた校舎だから、ひとたまりもなかっただろう。
 二学期の始業式が終わって、児童は下校した後だったためか、犠牲者が出なかったのは不幸中の幸いだった。
 早速応急の仮設校舎が用意され、間もなく授業は再開した。
 本校舎の再建には1年半を要し、1925(大正14)年3月に関東大震災により倒壊した鵠沼尋常高等小學校の新校舎が落成した。

湘南中學校

 まだ3年生までしかいなかった県立湘南中學校の校舎は大破し、前庭が崩壊した。教員・生徒の圧死者4名が記録されている。早速応急修理が取り組まれたが、10月1日までは休校となった。東海道線は東京―藤澤間は9月10日に復旧したが、それ以西は10月以降になった(馬入川鉄橋架橋に手間取った)ためと思われる。
 震災被害に対し、皇室から総額1,000万円の下賜金があり、藤澤町分は1,984円だったそうだが、その伝達式が年末の12月23日に湘南中學で行われたという記録がある。町役場よりも仮校舎の方が立派だったのだろうか。
 湘南中學の第1回運動会は、仮校舎時代の1924(大正13)年10月31日に開催され、この時に応援歌が作られたという。北原白秋作詞、山田耕筰作曲による校歌が制定されたのは1933(昭和 8)年のことだから、校歌より先に応援歌ができあがっていたわけである。
 本校舎の再建は小学校より時間がかかり、1925(大正14)年の5月に竣工している。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:『鵠沼』50号(震災特集)(1989)
 
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