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第0226話 富士 山医師

麗子・龍之介・康成の脈をとった文化人医師

 1933(昭和8)年に刊行された『現在の藤澤』には、「藤澤珍名番付」というというページがあり、その東の大関すなわち筆頭に富士山(ふじたかし)氏が選ばれている。
 『劉生日記』1923(大正12)年8月17日に次の記載がある。
「今暁一時頃麗子が急に九度の熱になる。福田さんへ使にやりリチネをのませる。(中略)朝になったが熱去らずひる頃福田さんへ行ったら夕方来る由、(中略)夕方ではたよりないので富士さんといふ医者を呼ぶ。はじめての人だが親切そうな医者也。去年あたり鵠沼に開業した人。」
 岸田家に往診したときは富士医師はまだ二十歳台だった。関東大震災を経て大正末期、東屋北側の貸別荘イ-4号に短期間住んだ芥川龍之介の診療をし、芥川の紹介状を携えて訪れた川端康成も診ている。このことについて後に『文藝春秋』に寄稿しているがこれについては別項を立てよう。
 湘南学園設立についても尽力し、自ら校医を引き受けた。
 診療所は戦前で閉鎖し、軍需産業となった(株)東京螺子製作所に入社。予防衛生研究所長・厚生保健部長・診療所長として活動する。
 戦後は神奈川県労働衛生協会初代会長に就任。その後も神奈川県結核審査協議会委員、神奈川県民生部保健課地方技官、神奈川県社会保険診療報酬支払基金審査員、神奈川県国民健康保険団体連合会診療報酬支払基金審査員、
神奈川県医療扶助審査会委員、神奈川県民生部保護課技術吏員などを歴任した。
 1976(昭和51)年7月1日を以て一切の公職を退き、以後は鵠沼を語る会の古参会員として活動された。
 1991(平成3)年1月24日、富士 山氏は96歳の天寿を全うされた。

富士 山医師 鵠沼関係年譜
西暦 和暦 記                        事
1922 大正11 8   医師=富士 山(タカシ)、母と共に鵠沼6708に移住、研究の傍ら医院を開業
1923 大正12 2   結婚
1923 大正12 8 17 岸田麗子を往診
1926 大正15 7 27 芥川龍之介を初診。神経衰弱と診断。7/28・8/7・8/11・8/16にも処方
1926 大正15 8 7 芥川龍之介、富士医院に来院
1926 大正15 8 18 芥川龍之介、富士医院に再び来院
1926 大正15 10   小説家=川端康成(1899-1972)、芥川龍之介の紹介状を持って富士 山医師を訪問
1931 昭和 6 9 1 東京大学病院小児科を退職、鵠沼に診療所を開く
1933 昭和 8 4 2 玉川学園分校として私立湘南学園開校。初代園長=小原國芳。校医=富士 山
1935 昭和10 10   文藝春秋10月号に富士 山の『芥川龍之介の憶ひ出』掲載。鵠沼時代の芥川龍之介を描く
1941 昭和16 3 31 診療所を閉鎖
1942 昭和17     神奈川県医師会藤沢支部理事・東京螺子予防医学研究所長に就任
1976 昭和51 7 1 神奈川県民生部を退職→以後、しばらくして鵠沼を語る会に入会
1980 昭和55 10 23 鵠沼を語る会、会合(研究発表)長寿の秘訣:富士山
1981 昭和56 1 15 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』11号刊行(竜之介氏の憶い出:富士 山)
1983 昭和58 3 8 鵠沼を語る会、3月例会(研究発表)「鵠」について:富士 山
1983 昭和58 7 12 鵠沼を語る会、7月例会(研究発表)芥川龍之介晩年の消息:富士 山
1984 昭和59 3 13 鵠沼を語る会、3月例会(研究発表)龍之介の住んだ二階建ての家:冨士 山
1984 昭和59 5 8 鵠沼を語る会、5月例会(研究発表)桜貝と浜木綿:冨士 山
1984 昭和59 7 10 鵠沼を語る会、7月例会(研究発表)さくら貝訂正と防風に追加:冨士 山
1984 昭和59 9 11 鵠沼を語る会、9月例会(研究発表)ハランかスルガランか:冨士 山
1984 昭和59 11 13 鵠沼を語る会、11月例会(講演)富士山
1985 昭和60 1 8 鵠沼を語る会、1月例会(研究発表)「鶴」について:富士 山
1985 昭和60 1 8 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』24号刊行(『鶴』について:富士 山
1991 平成 3 1 24 鵠沼を語る会会員=富士 山、没 享年96
1991 平成 3 3 5 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』58号刊行(鵠沼の湘南学園について:富士 山=遺稿・他)
2006 平成18 9 30 鵠沼を語る会、会誌『鵠沼』93号刊行(第1特集:富士山氏の人物像)
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 鵠沼を語る会:「特集富士山氏の人物像」『鵠沼』第98号(2006)
 
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