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第0166話 藤澤町誕生

藤澤町誕生まで

 第0127話で述べたように、1889(明治22)年4月1日、「市制町村制」が施行され、鵠沼村は羽鳥、大庭、稲荷、辻堂村との連合組織から分れ1村で独立、残りの羽鳥、大庭、稲荷、辻堂村は合併して高座郡明治村になった。藤澤駅(宿場)は高座郡の藤澤駅大久保町と藤澤駅坂戸町および鎌倉郡の藤澤駅大鋸町と藤澤駅西富町の4町から形成されていたが、市制町村制が施行の前年に高座郡の藤澤駅大久保町と藤澤駅坂戸町が合併して高座郡藤澤大坂町となり、市制町村制が施行段階で鎌倉郡の藤澤駅大鋸町と藤澤駅西富町が合併して鎌倉郡藤澤大富町となっていた。
 そして、1907(明治40)年10月1日、高座郡藤澤大坂町が鎌倉郡藤澤大富町を編入するのである。

高座郡藤澤大坂町・鵠沼村・明治村が合併、藤澤町となる

 翌1908(明治41)年4月1日、高座郡藤澤大坂町・鵠沼村・明治村が合併、高座郡藤澤町が誕生した。
 合併した1町2村の中では、鵠沼村が最も人口が少なかったが、初代藤澤町長には鵠沼村長だった髙松良夫が選出された。髙松町長は1期のみで、第2代町長には明治村(大庭)の名家出の金子角之助が就任した。金子は4期連続で町長を務めた。大正時代はすなわち金子町長時代である。彼は全国町村長会議を組織し、その代表を引き受けるなど、大きな働きをしたが、昭和に入り、上郎(こうろう)新二(政友会)を県会議員に担ぎ出そうと町長を辞職して応援したために、藤澤町政に大混乱を巻き起こした。これに懲りたのか、以降の藤澤町長は地元名家出身ではなく、退役軍人や医師などの無難な人選が短期間続くという時代になる。
 高座郡藤澤町は、1940(昭和15)年10月1日に市制を敷くまでは、他との合併もなくこのままで推移する。   

藤澤町年表
    
西暦 和暦 記                        事
1873 明治 6 5 1 区・番組制施行、鵠沼村は第17大区・第2小区となる。小字・番地の制定
1874 明治 7 7 6 区番組制を改め大小区制実施。鵠沼村は第18大区第2小区。区長、戸長等は区番組制下と同一
1878 明治11 7 22 郡区町村編成法の公布→大小区政廃止、神奈川県は1区15郡、郡に郡長、町村に戸長をおく
1878 明治11 11 18 郡区町村編成法により鵠沼村は高座郡に所属
1884 明治17 5 7 郡区町村編成法の改正→戸長の公選→官選。鵠沼村は羽鳥、大庭、稲荷、辻堂連合
1888 明治21     藤澤宿大久保町と藤澤宿坂戸町が合併して藤澤大坂町となる
1889 明治22 4 1 市制町村制施行。市域は高座郡 藤澤大坂町、鵠沼・明治・六会・御所見・渋谷・小出各村
1889 明治22 4 1 および鎌倉郡 藤澤大富町(藤澤駅大鋸町と藤澤駅西富町が合併)、村岡・川口村
1889 明治22 4 1 鵠沼村は連合組織から分れ1村で独立、役場を字中井におく
1889 明治22 8 1 鵠沼村、村長=関根庄左衛門、助役=髙松祐重、収入役=山口房次郎
1897 明治30 2   髙松良夫、鵠沼村村長に就任
1907 明治40 10 1 高座郡藤澤大坂町が鎌倉郡藤澤大富町を編入
1908 明治41 4 1 高座郡藤澤大坂町・鵠沼村・明治村が合併、藤澤町となる。合併人口15043人。
1908 明治41 4 8 藤澤町、等級選挙を実施、1・2級議員合計各12名を選出
1908 明治41 6 8 藤澤町会議員選挙
1908 明治41 6 14 第1回藤澤町会招集、町会会議細則可決、初代町長に髙松良夫(鵠沼)選出
1912 明治45     2代町長に金子角之助就任(4期連続)
1923 大正12 9 1 関東大震災(震源:相模湾東部、M=7.9) 藤澤町被害 家屋3200戸 死者104名 重傷者216名
1923 大正12 12 23 大震災の被災に対して1000万円下賜。藤澤町の下賜分は1984円。湘南中学で伝達式挙行
1925 大正14 4 4 町立藤澤実科高等女学校、開校。藤澤小学校仮校舎授業開始
1927 昭和 2 8 6 藤澤町立病院として伝染病隔離病舎を再建する計画が実現せず、蚕業試験場をそれに転用
1928 昭和 3 6 10 上郎新二(政友会)、県会議員に当選。金子角之助、町長を辞職して応援
1928 昭和 3 9   この頃、町長選挙問題の政争から鵠沼独立論が出る
1928 昭和 3 11 26 3代町長に湯原直平就任
1928 昭和 3     県立原蚕種試験場、海老名へ移転→跡地を8000円で藤澤町に払い下げ
1930 昭和 5 2 13 4代町長に隈川基就任、助役は江口喜八
1930 昭和 5 12   藤澤町より鵠沼の分離運動起こる
1931 昭和 6 5 11 町有の元県立原蚕種試験場を東京鉄道局に寄付し、鵠沼海岸に同局の「海の家」建設を促進
1931 昭和 6 5 21 藤澤町に払い下げられた県立原蚕種試験場跡地を東京鉄道局へ寄付することを町会で可決
1931 昭和 6 8   県当局、鵠沼海岸に県営プール開設を計画。藤澤町、県知事へ促進意見書を提出
1931 昭和 6 9 23 藤澤町中央部-鵠沼海岸間の町道敷設計画挫折、隈川町長辞職
1931 昭和 6 10 3 5代町長に一木與十郎就任
1933 昭和 8 4 1 川口村が町制を施行し、片瀬町と改称
1934 昭和 9 3   一木與十郎、町長を辞任
1934 昭和 9 5 8 6代町長に大野守衛就任
1935 昭和10 12 5 藤澤町選挙粛正委員選出。鵠沼地区からは7名
1936 昭和11 8 26 藤澤町会、東京オリンピックに備えて、県知事に鵠沼海岸プール設置要望の意見書提出を決定
1938 昭和13 7   県立鵠沼プール開場、藤澤町に管理を委託
1939 昭和14 7 2 県営鵠沼プール、県より無償で払い下げられて町営となる
1940 昭和15 3 7 町勢振興委員会、三町村合併と同時に市制実現の方針を決定、新市名は「藤澤市」
1940 昭和15 7 5 町勢振興委員会、単独市制施行の方針を決定
1940 昭和15 10 1 藤澤市制施行藤澤市になる。戸数6,357戸、人□32,479人。初代市長に大野守衛就任
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 藤沢市:『藤沢市史年表』
 
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