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第0134話 鵠沼枝額蟲

鵠沼枝額蟲とは

 インターネットの検索エンジンは現代文明の利器である。
 私は日常的に「鵠沼」をキーワードに検索をする機会が多い。幸いなことに全国を探してみても藤沢市鵠沼地区以外に鵠沼と名のつく地名はない。
 ところが中国および台湾のサイトで鵠沼に出くわして驚かされる。中国では「聶耳終焉の地」を紹介したものが含まれるが、多くは鵠沼枝額蟲を紹介したものである。これはホウネンエビの学名Branchinella kugenumaensisを中国語訳したもので、「學名為Branchinella kugenumaensis,又稱為豐年蝦或仙女蝦,正式名稱為鵠沼枝額蟲。是由石川千代松博士在1895年以發現地神奈川縣鵠沼村來命名發表」などと出てくる。

Branchinella kugenumaensis

 中国でも「豐年蝦」と呼ぶらしい和名ホウネンエビには「Branchinella kugenumaensis (Ishikawa, 1895) 」という学名がつけられている。「kugenuma」が学名についた唯一の生物である。別に鵠沼の特産種というわけではなく、東アジア一帯で普通に見られる動物である。普通にといっても、見られるのは6月上旬の2週間程度であり、その年の気温変化により見られる時期はずれるからよほど気をつけていないと見逃してしまう。
 生息するのは淡水の水中で、水田が一般的である。1年のほとんどを卵の形で過ごし、この卵は水底の泥の中に産み付けられるが、乾燥にも強く、水田の水を落としても生き続ける。
 水田に水を張ったり、降雨で水たまりができたりし、水温が上がると、孵化をして水中を泳ぎ回る。1週間か10日で成長し、交尾を済ませ、♀は水底の泥に産卵する。

石川千代松博士

 石川千代松は1878(明治11)年、農科大学(帝大農学部の前身)に入学、動物学科に進学する以前から、モース博士のもとで指導を受けた。モースは大森貝塚の発見者で、江の島臨海実験所の開設でも有名であるが、東大動物学科の初代教授としてその基礎を築いた。石川が動物学科2年に進学した1979年にはモースは離日していた。

命名の経緯

 ホウネンエビは1892(明治25)年夏に鵠沼の海岸の砂地に、雨で一時的に出来た水溜まりで、同じ仲間のミスジヒメカイエビと一緒に発見された。石川博士はホウネンエビに「Branchinella kugenumaensis (ISHIKAEA) 」という学名を命名し、『動物學雜誌』第7巻(1895年)に英文で発表した。
 属名の「Branchinella」は「鰓脚(さいきゃく)類の」という意味で、このホウネンエビが「鰓(えら)状の脚」をもっていることを示している。
 和名のホウネンエビは、これが大量発生する年は豊年だという言い伝えが全国的に見られ、広く呼ばれていたからだというが、その他にも数多くの地方名が知られている。

鵠沼から消えたクゲヌマエンシス

 かつては鵠沼にも水田地帯があり、別荘の庭には庭池もあって、ホウネンエビも見られたのだが、水田は消滅し、庭池もほとんど消えた現在の鵠沼では、ホウネンエビを見たという話を長らく聞かない。
 しかし、藤沢市内でも農薬を使わない水田では、今でもホウネンエビを見つけることができる。
 藤沢市では毎年「環境月間」の6月に、市民会館を会場に「環境フェア」を開催してきた。私の属する「藤沢メダカの学校をつくる会」も展示とメダカ配付学習会で参加し、いくつかの絶滅危惧生物と共にホウネンエビの生態展示を行ってきた。
 しかし、今年度から「環境フェア」は12月に行われることになり、ホウネンエビの生態展示は不可能になった。
E-Mail:

鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
 
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