明治時代の鵠沼海岸周辺海水浴場年表 |
西暦 |
和暦 |
月 |
日 |
記 事 |
1858 |
安政 5 |
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江戸幕府、諸外国と修好通商条約締結。外国人の行動範囲を開港場から10里以内に制限 |
1872 |
明治 5 |
8 |
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フランスの法律家=ジョルジュ・ブスケ、カタシエ(片瀬)で夕食前に海水浴[日本見聞記Ⅰ] |
1876 |
明治 9 |
夏 |
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フランスの東洋学者=エミール=ギメ、片瀬の海で海水浴をしたが、電気クラゲに刺されて岸に戻る |
1877 |
明治10 |
8 |
11 |
米国の生物学者=エドワード=モース博士、外山教授や松村助手らと江の島の海で海水に浴す |
1877 |
明治10 |
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冨岡(横浜市金沢区)慶珊寺にアメリカ人医師ヘボンが逗留し、宮の前海岸で海水浴を楽しむ |
1879 |
明治12 |
7 |
6 |
医師=ベルツ、海水浴場適地を探索のため横浜から馬車で江の島に来訪 |
1880 |
明治13 |
7 |
13 |
医師=ベルツ、鍋島侯爵の子ども2人を片瀬へ海水浴に送る |
1881 |
明治14 |
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富岡海岸(横浜市金沢区)に「海水浴場神奈川縣廰」という標識が建てられる(外国人専用) |
1982 |
明治15 |
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明治政府の使節団がロンドン近郊のブライトン海浜保養地を視察 |
1883 |
明治16 |
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暁星学校の教職員(アルフォンス・ヘンリック神父らフランス人・米国人・日本人)、片瀬で海水浴 |
1884 |
明治17 |
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東京医学校校長=長与専斎、鎌倉の海水浴場を開く |
1885 |
明治18 |
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初代軍医総監=松本順、大磯町小照ヶ崎海岸を海水浴場に認定 |
1885 |
明治18 |
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鎌倉由比ヶ浜の三橋旅館が海水浴場を開設したことを東京横浜毎日新聞で広告 |
1886 |
明治19 |
7 |
18 |
鵠沼海岸で海水浴場開場式開催。提唱者の三留栄三医師、飲酒後泳いで溺死。享年37 |
1886 |
明治19 |
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三觜小三郎、川上九兵衛、加藤徳右衛門ら、鵠沼海岸に藤沢大鋸の旅籠「大鈴木」を移築 |
1887 |
明治20 |
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上記旅籠、「鵠沼館」として開業 |
1887 |
明治20 |
7 |
11 |
東海道線、横浜-国府津間開通、藤沢停車場開業 |
1887 |
明治20 |
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鎌倉にサナトリウム「海浜院」を開設 |
1888 |
明治21 |
7 |
18 |
神奈川県、海水浴場に男女区域を設け、混泳を禁止 |
1888 |
明治21 |
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鎌倉の「海浜院」、海浜ホテルとなる |
1889 |
明治22 |
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日本周辺水域の海難を含めた水難を救助する公益法人「日本水難救済会」設立 |
1890 |
明治23 |
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井上大次郎、鵠沼海岸2丁目に「對江館鵠沼」(待潮館とも)開業(1889説も) |
1891 |
明治24 |
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学習院、游泳訓練場を隅田川から川口村片瀬に移す |
1892 |
明治25 |
11 |
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皇太子(大正天皇)皇族、鵠沼海岸で学習院の水泳訓練を見学 |
1895 |
明治28 |
8 |
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『風俗画報』第97号に、神奈川県の海水浴場として鵠沼などが紹介される |
1897 |
明治30 |
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旅館「東屋」、本格創業、初代女将=長谷川ゑい |
1998 |
明治31 |
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茅ヶ崎海水浴場、開設 |
1998 |
明治31 |
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『鐵道唱歌』発表。「海水浴に名を得たる、大磯見えて波涼し」 |
1899 |
明治32 |
3 |
29 |
水難救護法(明治三十二年三月二十九日法律第九十五号)制定 |
1899 |
明治32 |
6 |
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医学士=高嶋吉三郎、『海水浴・附録海水浴場略案内』刊行、片瀬・鵠沼海岸を紹介 |
1899 |
明治32 |
7 |
17 |
横浜居留の外国人の行動を制限する居留地制度、撤廃 |
1901 |
明治34 |
8 |
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画家=河合玉堂(1873-1957)、対江館に来遊。『清風涼波』のスケッチを残す |
1901 |
明治34 |
9 |
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海水浴場で酌婦・貸座敷の取り締まり |
1902 |
明治35 |
9 |
1 |
江之島電氣鐵道、藤沢~片瀬間開業 |
1904 |
明治37 |
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片瀬海岸に学習院の寄宿舎(平屋建て、9棟)が翌年にかけて竣工 |
1905 |
明治38 |
6 |
11 |
横浜貿易新報、東屋旅館の紹介記事(鵠沼海岸の旅館は東屋のみになる) |
1906 |
明治39 |
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埼玉県吹上出身の医師=福田良平、伊東将行の招聘で東屋近くに「鵠沼海浜病院」を開く |
1907 |
明治40 |
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乃木希典、学習院院長に就任。片瀬游泳時には山本家が宿舎を提供 |
1910 |
明治43 |
7 |
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鎌倉由比ガ浜に最初の公営脱衣場が開設される |
1910 |
明治43 |
8 |
15 |
鵠沼懇親会地元有志により開催、海水浴場施設の改善を目的、700名余参会 |
1911 |
明治44 |
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学習院、游泳訓練場を片瀬から沼津御用邸の隣接地に移す |
1912 |
明治45 |
7 |
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鵠沼海水浴場準備、伊東將行らが尽力、旅館「あづまや」などを増築 |
1914 |
大正 3 |
4 |
10 |
横浜貿易新報、『鵠沼の大発展』の記事掲載 |
1914 |
大正 3 |
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内藤千代子、「生ひ立ちの記」刊行。鵠沼海岸での波乗りを描く |
1915 |
大正 4 |
7 |
21 |
元学習院游泳訓練場跡に更衣所などを設け、川口村村営海水浴場を開設 |
1915 |
大正 4 |
7 |
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由比ガ浜、材木座、坂ノ下が鎌倉町営の海水浴場となる |
1915 |
大正 4 |
10 |
27 |
永瀬覇天部、『湘南概観』で鵠沼、腰越、川口村、由比ヶ浜、照ヶ崎、逗子の海水浴場を紹介 |
1917 |
大正 6 |
7 |
15 |
藤沢町役場主催の鵠沼海岸海水浴場開き開催。余興に芝居興行・打ち上げ花火 |
1919 |
大正 8 |
7 |
1 |
藤沢―片瀬間の乗合自動車(江之島自動車)、運転開始 |