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第0120話 最初の旅館「鵠沼館」

大鋸の旅籠「大鈴木」を移築

 1886(明治19)年、鵠沼海岸海水浴場が開かれることになり、三觜小三郎・川上九兵衛・加藤徳右衛門らが、鵠沼海岸に藤沢宿大鋸の旅籠「大鈴木」を移築し、翌年「鵠沼館」として開館したとある。
 この3人はどういう人物だったのか。
  • 三觜小三郎=羽鳥、大庭、稲荷、辻堂、鵠沼連合戸長。羽鳥の名主=三觜八郎右衛門本好の長女=まきの夫で菖蒲沢の亀井家より入婿した
  • 川上九兵衛=藤沢宿の住人。出版業を営んでいたようである
  • 加藤徳右衛門=引地の地主で豪農。「伏見屋」という酒屋を営んでいた。後に藤沢町会議員
 この時代、すなわち1884(明治17)年の郡区町村編成法の改訂から1889(明治22)年に市制町村制が施行されるまでの間は、第0100話で見たように、鵠沼村は羽鳥、大庭、稲荷、辻堂と連合し、官選となった戸長には羽鳥村の三觜小三郎が就任していた。

最初の旅館「鵠沼館」

 こうして1887(明治20)年に鵠沼村初の旅館、「鵠沼館」が開業する。場所は現在の鵠沼海岸2-11。「ニューマンション」のあたりである。読みは「こうしょうかん」が一般的だが、「くげぬまかん」とルビを振った書物もある。
 ここに伊東將行・三觜直吉が職を得たとある。伊東將行については前項で述べた。三觜直吉とは、三觜小三郎・まき夫妻の長女(一人っ子だったらしい)=ふきの夫で、寒川宮山の金子家より入婿した。
 同館は日清戦争の送還患者転地療養施設として指定されたりした。明治時代いっぱいの記録は見られるが、大正時代に入ってからの記録は見つからない。大正に入って早々に廃業したと思われる。
鵠沼館年表
西暦 和暦 記                        事
1886 明治19     三觜小三郎・川上九兵衛・加藤徳右衛門ら、鵠沼海岸に藤沢大鋸の旅籠「大鈴木」を移築
1887 明治20     「鵠沼館」として開業。伊東將行・三觜直吉、同旅館に職を得る
1892 明治25     『全国鉄道名所案内』に鵠沼海水浴場を紹介。待潮館、鵠沼館二軒の旅亭ありと記す
1895 明治28 1 15 東京予防病院長=松島玄景、日清戦争の送還患者転地療養施設として鵠沼館を選定
1895 明治28 4 16 傷病兵慰安のため鵠沼館前に数十本の烟花を打揚げ且撃剣会を催す
1898 明治31 8 25 〜30、能楽師=梅若実、鵠沼館に滞在
1902 明治35 2 24 〜28、民俗学者=柳田国男(1875-1962) 、鵠沼館に赴き実業学界の原稿を執筆
1912 明治45 6 1 武者小路実篤、のちに妻となる房子と鵠沼に行き、鵠沼館で昼食をとる
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

[参考文献]
  • 有賀密夫:「明治初期の鵠沼村」『わが住む里』第43〜45号(1992〜1994)
 
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