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第0118話 上村の人形山車

関東の人形山車

 皇大神宮の例祭は毎年8月17日の午後に催行される。各氏子町内が出す9台の人形山車の勢揃いは、神奈川県内随一で、「かながわの民俗芸能50選」、「かながわのまつり50選」に指定され、人形山車9台は藤沢市の有形民俗文化財に指定されている。この人形山車の参進が始まったのは、明治中期からで、現存最古の山車は上村町内のものである。
 江戸時代に入って江戸の町では赤坂山王神社で「天下祭り」が始まる。天下祭りとは、山車が江戸城内に参進し、将軍に披露したところから名付けられた。天和年間、江戸の山王祭り・神田祭りが隔年で天下祭りを開催するようになった。しかし、余りにも華美になったため、享保の改革では屋台の曳きまわし禁止令が発布されるほどだったという。
 江戸では天保に入って二層式の鉾台型(江戸型)山車が造られ、たちまち関東一円に流行した。
 幕末には天下祭りは自粛されたが、明治に入って山王祭りと神田祭りが復活した。しかし、江戸時代のような豪勢な祭りは影を潜めた。その代わり、関東一円の祭礼に人形山車が多く出現するようになる。これは、東京から譲り受けたり購入したりした例がかなり多い。
 鵠沼の場合もこうした時流に乗ったと考えられるが、江戸型の豪華絢爛な山車ではなく、素木(しらき)造りの 唐破風屋根、小型木製車輪、廻り舞台の3特徴を有する三層式の山車で、江戸時代に腰越で造られたのが最初といわれる。現在も鎌倉市、藤沢市、茅ヶ崎市に31台あるので、「湘南型山車」と呼ぶ人もいる。 通称ぶん回しという山車全体を早く回すのが見所である。

上村(かむら)の人形山車

 上村は鵠沼村の西端に位置し、明治初期の戸数はわずか11戸という最小の集落であった。皇大神宮の9台の山車のうち、現存最古の山車は上村の山車である。ある人の試算によれば、現在この山車を新調すれば、3億円はかかるだろうという。これを11戸の小集落で最初に造ったのは驚異的である。他地域の山車は東京から譲り受けたり購入したりした例がかなり多いと先にも述べたが、鵠沼村の9台はいずれも新調したと伝えられる。
 前項でも述べたように、明治も中期にさしかかる頃から、農業の商業化や鉄道建設を初めとする賃仕事の増加、用地買収に伴う農家の現金収入が増加したと見られる。さらに、明治新政府による国家神道の推進もあったであろう。それにしても、上村では山車を引き出す時に手が足りないので、宮ノ前から助っ人を借りたといわれるほどの小集落だった。
 上村の人形山車の概要をまとめてみると、次のようなものである。
  • 進行順:二番
  • 形態:三層式素木造り
  • 人形:源頼朝
  • 総高:8.2m
  • 人形高:1.9m
  • 制作年:1884(明治17)年
  • 技工師:浜野林蔵(林大工)伝
  • 彫刻師:川崎の彫刻師
  • 人形師:福田屋人形店(本町)
  • 幕縫製:不詳
 なお、上村の山車人形「源頼朝」は、2005(平成17)年10月24〜30日、「江戸開府400年記念 江戸天下祭」に、関東の山車が集結した際に、鵠沼皇大神宮を代表して丸ビルに出展された。

関東の山車祭り略年表
    
西暦 和暦 記                        事
1615 元和 1 赤坂山王神社で天下祭りが開始 
1651 慶安 4 9 25 川越氷川神社祭礼「川越祭り」のはじまり
1681 天和 〜1683、天和年間、江戸の山王祭り・神田祭りが隔年で天下祭りを開催
1721 享保 6 江戸で屋台の曳きまわし禁止令発布
1826 文政 9 川越氷川明神祭に人形製作
1842 天保13 江戸の神田祭りで、初めて二層式の鉾台型山車が曳き出される
1862 文久 2 江戸ではこの年を最後に天下祭りを終焉させる
1870 明治 3 東京で山王祭りと神田祭りが復活
1874 明治 7   栃木神武祭典で、倭町三丁目が東京日枝神社・山王祭に出ていた静御前の山車を購入
1884 明治17 8  17 上村、人形山車(源頼朝)を新調
1887 明治20     福田屋人形店(藤沢本町)、創業
1887 明治20 8  17 宮ノ前、人形山車(那須与一)を新調。苅田、人形山車(徳川家康)を新調
1889 明治22   憲法発布祝賀で宮城前に山車勢揃い。東京はこれを最後に大規模な山車連行の姿は消える
1890 明治23 8  17 清水、人形山車(神武天皇)を新調
1891 明治24 8  17 原、人形山車(日本武尊)を新調
1892 明治25 8  17 宿庭、人形山車(源義経)を新調
1895 明治28 渋川(群馬県)上之町、二重鉾台式江戸型の山車を鴻巣から購入
1897 明治30 8  17 仲東、人形山車(浦島太郎)を更新
1908 明治41 8  17 堀川、人形山車(仁徳天皇)が転倒・破損したものを更新
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

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