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第0107話 川袋の水田化

川袋低湿地の水田化

 石上の渡しの下流側にある川袋の低湿地は、縄文期は海の底、弥生~古墳期は大きな入り江、奈良~平安期は潟湖、鎌倉~江戸期は湿原という過程を経て陸地化していったと考えらる。
 この盆地状の低湿地の中を、境川は大雨の度に流路を変えながら、自由蛇行を繰り返していた。ある時期の流路の跡は、片瀬町の合併までは高座・鎌倉郡界線として残っていた(第0011話参照)。
 明治期に入って、境川の流路は現在の江ノ電柳小路駅あたりまでの屈曲になり、大正半ばに現在の流路にショートカットされたが、その後も2度ほど氾濫水が旧流路を突進し、江ノ電の土堤を突き崩したことがあったそうだ。
 大正期までは川袋の低湿地は湿田、いわゆるドブっ田で、高潮の時には海水が逆流して使えなくなったとも聞いている。蓮根を採るためのハスも栽培されていた。そして、洪水時には遊水池として機能していた。もちろん、ここには人家は一軒も見られなかった。とても人の住むような場所ではなかったのだ。

山本家による埋め立て

 この川袋低湿地は、第0105話で紹介した「山本橋」を掛けた山本庄太郎によって明治初年に埋め立てられたと、山本家を紹介した記録にある。
 具体的な年次やその範囲、手法については不明である。1882(明治15)年測量の1:20,000迅速図(下図右)に水色で彩色した湿田(沼田)の部分ではないかと思われる。この図は1880(明治13)年、陸軍参謀本部地図局によって始められた全国的に統一された地形図の一つで、正規の三角測量によらず、応急的に作成された。図式も確定していなかったようで、三角測量による正規版とでは地図記号が違っている。いずれも、田は「乾田」「水田」「湿田(沼田)」の3種類に区分されている。「乾田」とは、冬季水を落とす田で、二毛作といって裏作をする場合もあった。「水田」は冬季も水を張った田であり、「湿田(沼田)」とは、いわゆる「どぶっ田」で、場合によっては田下駄や田舟が必要なこともあった。こうした区分は、これらの地形図が陸軍によって制作されたことと関係する。戦闘時(演習時を含む)に砲車などの重量兵器を進めることができるかを判断する必要があったからである。
 1921(大正10)年の1:25,000地形図では、この範囲は「湿田(沼田)」ではなく「水田」になっている。この間に湿田から水田への改良が行われたのであろう。
 ところで、現在のこの地域は、江ノ電以西の範囲は1965(昭和40)年以来、片瀬地区から鵠沼地区に移り、鵠沼藤が谷四丁目という住居表示になった。そこには「蓮池」と呼ばれる池が2つある。かつてはもっと多かった(この間の事情は別項を立てる予定)。ところが、1882(明治15)年測量の1:20,000迅速図でも、1921(大正10)年の1:25,000地形図でも、池らしいものは図上にない。
 水田記号というと、普通は稲田(いなだ)を連想する。しかし、水田とは水を引き込んだ耕地のことであるから、そこで栽培される作物は必ずしもイネとは限らない。蓮根(れんこん)や蓮の実を生産するためにハスを栽培する蓮田(はすだ)、イ(藺草(いぐさ)=畳表の原料)を栽培する藺田(いだ)、ヨシ(葭簀(よしず)の原料)を栽培する葭田(よしだ)、ヒシの実を採取するための菱田(ひしだ)なども水田記号で表されるのだ。みごとに生えそろったヨシを見て、地図制作者が葭田だと判断すれば水田記号で表現するだろうし、ハスの場合も考えられる。こうなると、そこに池沼(ちしょう)があっても有用植物に覆われていた場合、水田と見なされてしまう場合もあるのではなかろうか。ことに湿田の場合、稲田以外の可能性も多い。
 明治初期と伝えられる山本家の埋め立て以前は、水田ではなかったのだろうか。この問題はそれ以前にこの辺りの土地利用に関する資料がないので何とも言えない。
 既に紹介した第0088話の『江嶋道見取繪圖』では、石上村より下流で西に屈曲していることは判るが、それから先は図上から消えてしまう。また、第0075話に出てくる『相州炮術調練場』の図では、かなり大きな河跡湖(三日月湖)らしきものが描かれており、その中央部は片瀬山からの「下ケ矢」すなわち下方射撃訓練の的場になっていたらしい。ということは、とても耕地として利用することは考えにくい。
 下図左は1700(元禄13)年の『相模一國之圖』(金沢文庫蔵)の境川下流部を切り取った図であるが、ここでは楕円形の盆地状に表された川袋低湿地の中央にヘヤピンカーブの曲流を描く片瀬川が見て取れる。しかし、土地利用を読み取ることはできない。
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭

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