藤沢市の登録文化財と史跡/在住した文化勲章受章者/名誉市民 |
藤沢市には古くから宗教的な修行の地・参詣地として知られる史跡・名勝の江の島、時宗総本山の清浄光寺(遊行寺)があり、代表的な登 録文化財はこの2箇所に集中しています。 なにしろ、お隣にかつて日本の政治的中心地だった鎌倉市が控えており、それに比べるとかなり見劣りすることは否めませんが、他市より はかなり文化財の豊かな都市といえましょう。 明治後半、海岸部に日本で初めての大型別荘分譲地が開発され、華族や富豪が別荘を構える一方、貸別荘などを拠点として若い文化人 が大正デモクラシーのもとで新しい自由な文化を全国に発信しました。和辻哲郎や安倍能成らの「大正教養主義」、武者小路実篤や志賀直 哉らの「白樺派」、岸田劉生を中心とする「草土社」です。 関東大震災を境に、別荘地から定住の高級住宅地に変貌した海岸部には、政財界人や軍人の他に各種の芸術家や学者、出版人などの 文化人が多く居を構え、文化の香り高い地に発展しました。大船に松竹撮影所が移ってくると、俳優や監督などの映画人がそれに加わりま した。小田急江ノ島線が開通すると、北部の台地にも日本大学農学部が置かれるなど、変化が見られ、湘南海岸の国際観光地化が進めら れて、海水浴場も賑わいを見せました。しかし、文化人の目は東京に向き、地元の市民文化への影響は限られていたといえるでしょう。 終戦直後から、自由で自主的な市民文化が広がりを見せ、藤沢市展や市民音楽祭が開かれ、日本初の「藤沢市民オペラ」として結実しま した。北部台地上にも工業団地や湘南ライフタウンの開発が進み、湘南台文化センター、総合市民図書館、秋葉台文化体育館などが次々 に建てられ、慶応大学や多摩大学もキャンパスを構えました。 バブル崩壊以来の経済の長期低迷から、東海道線沿線を中心に工場の撤退が相次ぎ、市の財政に影を落とすようになります。 かくして、博物館も美術館も文学館もない全国唯一の40万都市という不名誉な状態から抜け出せないでいるのです。 |
西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 記 事 |
759 | 天平宝字3 | 増壹阿含経 巻第三十六(清浄光寺)、書写→市重文 | ||
1047 | 永正 2 | 比叡山延暦寺の皇慶(977〜1049)、「江嶋縁起」を著す | ||
1197 | 建久 8 | 城南養命寺の木造薬師如来坐像造立→国重文 | ||
1299 | 永仁 7 | 絹本著色一遍上人絵伝(清浄光寺)描かれる→国重文 | ||
1299 | 永仁 7 | 絹本著色一遍上人像(清浄光寺)描かれる→市重文 | ||
1314 | 正和 3 | 安食問答(清浄光寺)、作られる→国重文 | ||
1356 | 延文 1 | 12 | 3 | 長生院境内に板碑造立→市重文 |
1356 | 延文 1 | 清浄光寺の銅鐘鋳造→県重文 | ||
1364 | 貞治 3 | わきざし 銘 相州住秋広、作られる→県重文 | ||
1377 | 永和 3 | 10 | 17 | 長生院境内に板碑造立→市重文 |
1386 | 至徳 3 | 羽鳥御霊神社の梵鐘鋳造→市重文 | ||
1418 | 応永25 | 遊行14世太空、上杉禅秀の乱の全犠牲者を弔うために遊行寺境内に「敵御方供養塔」を造立→国史跡 | ||
1419 | 応永26 | 打戻の応永26年板碑、造立→市民文 | ||
1531 | 享禄 4 | 江島神社の真名本江嶋縁起、書写→市重文 | ||
1563 | 永禄 6 | 時衆過去帳、最後の記録→国重文 | ||
1604 | 慶長9 | 西俣野花応院創建される | ||
1626 | 寛永 3 | 遠藤宝泉寺雲版製造→市重文 | ||
1629 | 寛永 6 | 江島寺梵鐘(1771年、渡内・慈眼寺に施入)、鋳造→市重文 | ||
1642 | 寛永19 | 長後天満宮の石灯籠造立→市重文 | ||
1647 | 正保 4 | 太刀 銘 肥前国佐賀住河内大掾藤原正広作、作られる→県重文 | ||
1653 | 承応 2 | 藤沢・伊勢山公園の承応2年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1656 | 明暦 2 | 遠藤・御嶽大神の明暦2年庚申供養塔、造立→県民文 | ||
1659 | 万治 2 | 遠藤・御嶽大神の万治2年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1659 | 万治 2 | 本町・常光寺の万治2年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1661 | 寛文期 | 片瀬の寛文庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1664 | 寛文 4 | 村岡東の寛文4年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1665 | 寛文 5 | 藤沢・白旗神社の寛文5年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1666 | 寛文 6 | 辻堂・宝珠寺の寛文6年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1667 | 寛文 7 | 羽鳥・御霊神社の寛文7年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1669 | 寛文 9 | 本町・常光寺の寛文9年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1670 | 寛文10 | 城南・二ツ家・稲荷神社の寛文10年庚申供養塔基 、造立→市民文 | ||
1672 | 寛文12 | 6 | 30 | 鵠沼村地頭大橋長左衛門重政病により没す寿55、龍性院殿道樹居士と謚して空乗寺に葬る→市史跡 |
1672 | 寛文12 | 大庭・北の谷共同墓地の寛文12年庚申供養塔基、造立→市民文 | ||
1673 | 寛文13 | 藤沢・庚申堂の寛文13年庚申供養塔基、造立→市民文 | ||
1680 | 延宝 8 | 江の島の猿田彦大神石廟基、造立→市民文 | ||
1686 | 貞享 3 | 長後・天満宮の貞享3年石造狛犬1対、造立→市民文 | ||
1689 | 元禄 2 | この頃、杉山検校各地に江の島弁財天への道標を建てる。現在13基残存→市重文 | ||
1689 | 元禄 2 | 菖蒲沢の元禄2年庚申供養塔、造立→市民文 | ||
1694 | 元禄 7 | 杉山和一、没。江の島に笠塔婆型墓、建立→市史跡 | ||
1747 | 延享 4 | 江島神社の青銅の大鳥居創建 | ||
1771 | 明和 8 | 旧江島寺梵鐘、渡内・慈眼寺に施入→市重文 | ||
1803 | 享和 3 | 酒井抱一、奥津宮拝殿天井の「八方睨みの亀」を描く→市重文 | ||
1806 | 文化 3 | 下土棚の八臂青面金剛像庚申供養塔 1基、造立→市民文 | ||
1821 | 文政 4 | 江島神社の青銅の大鳥居、再建→市重文 | ||
1854 | 安政期 | 相中留恩記略と関連史料 67点、作られる→市重文 | ||
1872 | 明治 5 | 小笠原東陽は羽鳥村に私塾読書院を開く(のち耕餘塾〔こうよじゅく〕と改称)→市史跡 | ||
1900 | 明治33 | 4 | 7 | 絹本著色後醍醐天皇御像(西富 清浄光寺)、国指定有形文化財(絵画)に登録 |
1926 | 大正15 | 10 | 20 | 藤沢敵御方供養塔(清浄光寺)、国指定史跡に登録 |
1927 | 昭和 2 | 4 | 25 | 木造薬師如来坐像 (城南 養命寺 )、国指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1934 | 昭和 9 | 12 | 28 | 「江ノ島」の名称で、国の史跡および名勝に指定される |
1949 | 昭和24 | 11 | 3 | 六代目尾上菊五郎(歌舞伎俳優、鵠沼藤が谷)、文化勲章を受章 |
1951 | 昭和26 | 11 | 3 | 武者小路実篤(小説家、大正期に鵠沼松が岡在住)、文化勲章を受章 |
1952 | 昭和27 | 3 | 29 | 絹本著色一遍上人絵伝(清浄光寺)国宝に登録 |
1953 | 昭和28 | 11 | 3 | 香取秀真(彫金、戦前鵠沼在住)、文化勲章を受賞 |
1953 | 昭和28 | 12 | 22 | 絹本著色二河白道図(清浄光寺)、県指定有形文化財(絵画)に登録 |
1953 | 昭和28 | 12 | 22 | 木造彩色弁財天坐像 (江島神社 )、県指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1954 | 昭和29 | 3 | 20 | 時衆過去帳 2帖・六時居讃 1帖・安食問答 1帖(清浄光寺)、国指定有形文化財(書跡)に登録 |
1955 | 昭和30 | 5 | 12 | 多 忠麿(鵠沼海岸)を含む宮内庁楽部「雅楽」、国指定重要無形文化財総合指定 |
1955 | 昭和30 | 11 | 3 | 和辻哲郎(哲学、大正期に鵠沼藤が谷在住)、文化勲章を受賞 |
1958 | 昭和33 | 1 | 14 | 太刀 銘 肥前国佐賀住 1口(江島神社)、県指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1958 | 昭和33 | 6 | 17 | わきざし 銘 相州住秋広1口(個人)、県指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1959 | 昭和34 | 6 | 27 | 絹本著色一向上人像(清浄光寺)、国指定有形文化財(絵画)に登録 |
1960 | 昭和35 | 6 | 10 | 文化財保護委員会は「江ノ島」に係る国の名勝および史跡の指定解除を決め、同年6月29日に解除 |
1960 | 昭和35 | 10 | 4 | 江ノ島(江の島振興連絡協議会)、県指定史跡名勝に登録 |
1963 | 昭和38 | 3 | 25 | 猿田彦大神石廟(西俣野 御獄大神)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1963 | 昭和38 | 3 | 25 | 杉山和一の墓(江の島 西浦霊園管理委員会)、市指定史跡に登録 |
1965 | 昭和40 | 5 | 31 | 群猿奉賽像の庚申供養塔(江島神社)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1965 | 昭和40 | 5 | 31 | 大橋重政の墓(鵠沼神明 空乗寺)、市指定史跡に登録 |
1966 | 昭和41 | 1 | 17 | 江の島弁財天道標 12基、時宗板碑 2基、市指定重要文化財(建造物)に指定 |
1966 | 昭和41 | 1 | 17 | 石造閻魔大王像 (西俣野 花応院 )、市指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1966 | 昭和41 | 1 | 17 | 御霊神社の梵鐘(羽鳥 御霊神社)、市指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1969 | 昭和44 | 2 | 8 | 耕余塾の跡(羽鳥)、市指定史跡に登録 |
1969 | 昭和44 | 2 | 8 | 混生樹(寄り木) (渡内 慈眼寺)、市指定天然記念物に登録 |
1969 | 昭和44 | 10 | 1 | 片山 哲(元総理大臣、片瀬) ・降旗徳弥(元松本市長)を名誉市民として顕彰 |
1969 | 昭和44 | 10 | 31 | 鵠沼公民館、第22回優良公民館として文部大臣表彰 |
1970 | 昭和45 | 10 | 1 | 内山岩太郎(元神奈川県知事) ・深沢松美(元松本市長) を名誉市民として顕彰 |
1970 | 昭和45 | 11 | 21 | 西富ばやし(西富町ばやし保存会)、市指定無形民俗文化財に登録 |
1971 | 昭和46 | 7 | 5 | 八方睨みの亀の絵 (江島神社)、市指定有形文化財(絵画)に登録 |
1971 | 昭和46 | 7 | 5 | ツカミヒイラギ・クックアロウカリア・シマナンヨウスギ・タイミンチク群 (江の島)、市指定天然記念物に登録 |
1971 | 昭和46 | 7 | 5 | 大イチョウ (清浄光寺)、市指定天然記念物に登録 |
1971 | 昭和46 | 9 | 17 | 藤沢の信仰用具 コレクション1件(81件) (藤沢市教育委員会)、県指定有形民俗文化財に登録 |
1972 | 昭和47 | 10 | 1 | 金子小一郎(元藤沢市長)を名誉市民として顕彰 |
1973 | 昭和48 | 3 | 7 | 臺谷戸稲荷の森 (大庭 稲荷神社)、市指定天然記念物に登録 |
1973 | 昭和48 | 11 | 3 | 川口松太郎(作家、鵠沼松が岡に作業場)、文化功労者として顕彰 |
1975 | 昭和50 | 2 | 7 | 岩本院文書(藤沢市文書館)、県指定有形文化財(書跡)に登録 |
1975 | 昭和50 | 小野光敬(1913-1994刀剣研磨師。鵠沼石上)、重要無形文化財に指定 | ||
1976 | 昭和51 | 4 | 15 | 川名屋台ばやし(川名屋台ばやし保存会)、市指定無形民俗文化財に登録 |
1976 | 昭和51 | 4 | 15 | 藤沢とび職木遣(梯子のり、纏ふり) (藤沢とび職組合連合会木遣保存会)、市指定無形民俗文化財に登録 |
1976 | 昭和51 | 4 | 15 | 片瀬餅つき唄(片瀬餅つき唄保存会)、市指定無形民俗文化財に登録 |
1976 | 昭和51 | 4 | 15 | 西富貝塚(清浄光寺)、市指定史跡に登録 |
1976 | 昭和51 | 4 | 15 | 常光寺の樹林 (本町 常光寺)、市指定天然記念物に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 長後天満宮の寛永19年石燈籠、市指定文化財(建造物)に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 万治2年庚申供養塔・明暦2年庚申供養塔(遠藤御獄大神)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 八臂青面金剛像庚申供養塔(下土棚 個人)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文12年庚申供養塔(大庭北の谷共同墓地内)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文7年庚申供養塔(羽鳥 羽鳥御霊神社)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文10年庚申供養塔(城南稲荷神社境内 二ッ家町内会)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文13年庚申供養塔(藤沢 庚申堂境内 遊行通り4丁目町内会)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 承応2年庚申供養塔(藤沢伊勢山公園内 白旗神社)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文5年庚申供養塔(藤沢 白旗神社)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 万治2年庚申供養塔・寛文9年庚申供養塔(本町 常光寺)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文4年庚申供養塔(村岡東 個人)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文6年庚申供養塔(辻堂元町 宝珠寺)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 寛文庚申供養塔(片瀬 個人)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1977 | 昭和52 | 4 | 13 | 神光寺横穴古墳(横穴墓)群(川名 神光寺)、市指定史跡に登録 |
1977 | 昭和52 | 10 | 1 | 和合正治(元松本市長)を名誉市民として顕彰 |
1978 | 昭和53 | 11 | 3 | 辻直四郎(鵠沼松が岡在住)、文化功労者として顕彰 |
1978 | 昭和53 | 12 | 15 | 遠藤宝泉寺雲版(遠藤 宝泉寺)、市指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1980 | 昭和55 | 11 | 3 | 田中二郎(法学、鵠沼松が岡在住)、文化功労者として顕彰 |
1982 | 昭和57 | 2 | 9 | 紙本著色遊行上人縁起絵巻 (清浄光寺)、県指定有形文化財(絵画)に登録 |
1983 | 昭和58 | 柄沢の旧名主小池邸、新林公園内へ移築復原→市重文 | ||
1984 | 昭和59 | 3 | 26 | 江嶋縁起 (藤沢市文書館)、市指定有形文化財(絵画)に登録 |
1984 | 昭和59 | 3 | 26 | 真名本 江嶋縁起(江島神社)、市指定有形文化財(書跡)に登録 |
1984 | 昭和59 | 3 | 26 | 森文書(個人)、市指定有形文化財(古文書)に登録 |
1984 | 昭和59 | 3 | 26 | 木造青面金剛及び両脇侍立像(藤沢 庚申堂境内)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1988 | 昭和63 | 11 | 3 | 織田幹雄(陸上競技、鵠沼海岸在住)、文化功労者として顕彰 |
1988 | 昭和63 | 12 | 16 | 鵠沼皇大神宮人形山車9台(鵠沼皇大神宮人形山車連合保存会)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1989 | 平成 1 | 11 | 3 | 片岡球子(日本画家。辻堂在住)、文化勲章受章 |
1989 | 平成 1 | 12 | 15 | 木造十一面観世音菩薩立像(渡内648 慈眼寺)、市指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1990 | 平成 2 | 2 | 13 | 清浄光寺の銅鐘(清浄光寺)、県指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1990 | 平成 2 | 10 | 1 | 片岡球子(日本画家、辻堂) を名誉市民として顕彰 |
1992 | 平成 4 | 2 | 1 | 元禄2年庚申供養塔(菖蒲沢 個人)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1992 | 平成 4 | 2 | 1 | 応永26年板碑1基(打戻 個人)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1992 | 平成 4 | 2 | 1 | 貞享3年石造狛犬一対(長後 天満宮)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1992 | 平成 4 | 2 | 1 | 浄土院筆子塚群5基(菖蒲沢 浄土院)、市指定史跡に登録 |
1992 | 平成 4 | 2 | 1 | 善然寺筆子塚群5基(下土棚 善然寺)、市指定史跡に登録 |
1993 | 平成 5 | 10 | 1 | 有賀 正(前松本市長)を名誉市民として顕彰 |
1993 | 平成 5 | 11 | 1 | 辻堂諏訪神社人形山車4台(辻堂諏訪神社人形山車保存連合会)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1994 | 平成 6 | 12 | 19 | 宮内庁楽部奏者。重要無形文化財=多 忠麿(-1995 鵠沼海岸)、没 |
1995 | 平成 7 | 2 | 14 | 絹本著色一遍上人像・紙本墨画淡彩一遍上人像(清浄光寺)、県指定有形文化財(絵画)に登録 |
1995 | 平成 7 | 11 | 3 | 加藤東一(日本画家、鵠沼桜が岡在住)、文化功労者として顕彰 |
1996 | 平成 8 | 3 | 1 | 絹本著色二祖他阿真教像 (清浄光寺)、市指定有形文化財(絵画)に登録 |
1996 | 平成 8 | 3 | 1 | 木造阿弥陀如来坐像(西富 長生院)、市指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1996 | 平成 8 | 3 | 1 | 増壹阿含経 巻第三十六(清浄光寺)、市指定有形文化財(書跡)に登録 |
1996 | 平成 8 | 3 | 1 | 南鍛冶山遺跡出土人面墨書土器(藤沢市教育委員会)、市指定有形文化財(考古資料)に登録 |
1996 | 平成 8 | 3 | 1 | 湯立神楽(藤沢湯立神楽保存会)、市指定無形民俗文化財に登録 |
1997 | 平成 9 | 2 | 12 | 江島神社青銅鳥居(江の島)、市指定文化財(建造物)に登録 |
1997 | 平成 9 | 2 | 12 | 木造虚空蔵菩薩立像(川名584 神光寺)、市指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1997 | 平成 9 | 10 | 1 | 加藤東一(日本画家) を名誉市民として顕彰 |
1998 | 平成10 | 2 | 12 | 絹本著色太空上人像 (清浄光寺)、市指定有形文化財(絵画)に登録 |
1998 | 平成10 | 2 | 12 | 木造聖観音坐像(渡内 二伝寺)、市指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1998 | 平成10 | 2 | 12 | 木造阿弥陀如来立像(本町 常光寺)、市指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1998 | 平成10 | 2 | 12 | 旧江島寺梵鐘(渡内648 慈眼寺)、市指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1998 | 平成10 | 2 | 12 | 聖徳太子伝暦(清浄光寺)、市指定有形文化財(書跡)に登録 |
1999 | 平成11 | 2 | 12 | 旧小池邸 (新林公園)、市指定文化財(建造物)に登録 |
1999 | 平成11 | 10 | 1 | 田島 博(友禅作家。雅号 田島比呂子。鵠沼海岸)、重要無形文化財に指定。 藤沢市名誉市民として顕彰 |
2000 | 平成12 | 7 | 7 | 相中留恩記略と関連史料67点(藤沢市文書館)、市指定有形文化財(歴史資料)に登録 |
2000 | 平成12 | 7 | 7 | 下土棚祭ばやし(下土棚白山神社獅子舞保存会)、市指定無形民俗文化財に登録 |
2001 | 平成13 | 2 | 13 | 江の島囃子(江の島囃子連合会)、県指定無形民俗文化財に登録 |
2001 | 平成13 | 11 | 3 | 安岡章太郎(作家、戦後鵠沼海岸)、文化功労者として顕彰 |
2001 | 平成13 | 11 | 20 | 岩本楼ローマ風呂、国指定有形文化財(建造物)に登録 |
2001 | 平成13 | 12 | 市教委、旧近藤邸の国登録有形文化財の関係書類を添えて文化庁長官への申達依頼文書を送付 | |
2002 | 平成14 | 8 | 21 | 旧近藤邸(辻堂→鵠沼東8-1に移転)、国指定有形文化財(建造物)に登録 |
2003 | 平成15 | 10 | 1 | 岡崎 洋(前神奈川県知事、鵠沼花沢町)を名誉市民として顕彰 |
2004 | 平成16 | 10 | 1 | 葉山峻(元市長、鵠沼海岸)、藤沢市名誉市民として顕彰 |
2005 | 平成17 | 10 | 1 | 菅谷 昭(松本市長) を名誉市民として顕彰 |
2006 | 平成18 | 2 | 14 | 明暦2年庚申供養塔(遠藤御獄大神)、県指定有形民俗文化財に登録※市から県に昇格 |
2006 | 平成18 | 5 | 24 | 旧福原家長屋門 (渡内)、市指定文化財(建造物)に登録 |
2008 | 平成20 | 2 | 5 | 相模のささら踊り(葛原芸能保存会 遠藤民俗芸能保存会)、県指定無形民俗文化財に登録 |
2008 | 平成20 | 11 | 3 | 船村 徹(作曲家、辻堂在住)、文化功労者として顕彰 |
2009 | 平成21 | 4 | 1 | 市指定文化財「旧福原家長屋門」の新林公園(藤沢市川名)への移築復元工事が終わり、一般公開 |
2010 | 平成22 | 9 | 10 | 鵠沼橘の旧後藤医院鵠沼分院の建物、,国登録有形文化財(建造物)に登録 |
2010 | 平成22 | 10 | 1 | 山本捷雄(前市長、鵠沼桜が岡)を名誉市民として顕彰 |