江の島の「島ぐるみ野外博物館構想」って何? |
藤沢市は知らなくても、江の島を知らない日本人は少ないでしょう。 源頼朝の祈願により勧請された弁財天は、歌舞音曲関係者の信仰をあつめ、多くの浮世絵にも描かれました。 この島は、明治初期エドワード・S・モースやサムエル・コッキングにより、我が国の近代博物学発祥の地になりました。 江の島を含む鎌倉郡片瀬町が、住民投票により藤沢市に合併したのは、戦後間もない1947(昭和22)年4月1日のことでした。 藤沢市は早速、木造で嵐のたびに壊れていた江の島桟橋の橋桁をコンクリートにし、頂上部のコッキング熱帯植物園の跡地を整備して、 江の島熱帯植物園を開きます。これは「藤沢市海洋総合博物館建設計画」の一環ということなのですが、この計画の詳細は未調査です。 1988(昭和63)年、江の島地区整備検討委員会は「島ぐるみ野外博物館構想」を合言葉に地区整備計画「江の島まちづくり憲章」を定め ます。 以来、この構想は参道などの道路並びに附属施設、公衆便所などの公共施設の修景整備に影響を与えることになりますが、言葉として 明確な定義が与えられていないことが、市議会での論議などから読み取れます。 ある場合は貝広物産店が設けた「世界の貝の博物館」のようなものをミニ博物館として認定し、補助金を支給する例(これには小田原市 の街かど博物館のような先例があります)を挙げ、また海水の汚染対策を関連づけて考えようと提案し、陸上に限るとの回答が出たりした 例もあります。 江の島地区整備検討委員会が出した「江の島まちづくり憲章」には「“島ぐるみ野外博物館”を目指します」とありますが、その概念規定は 明記されておりません。 私は、いやしくも「博物館」を名乗るからには、単に観光スポットに解説板を設けたりするだけでなく、しっかりした拠点と簡単でもいいから 展示室を設け、数人の各専門に応じた学芸員が常駐するような施設があるべきだと思います。「野外博物館」なのですから、保存施設は 必要最小限で構いません。島を訪れる児童、生徒や観光客を、必要に応じて磯や照葉樹林での自然観察、史跡巡り、文学散歩などの指 導をしたり、講座を設けたりする機構をつくるのです。学芸員は各分野に分かれて、全島をまわり、調査・研究を行ったり、島民と交流を持 ち江の島のスペシャリストになるよう努めます。すでに、江の島を拠点にガイドをする市民グループが活躍していますから、活動拠点として 利用することも考えられます。場所としては市有地内の江の島サムエル・コッキング苑が考えられますが、できれば島の入り口が理想的で しょう。あるいは、もし県が女性センターを移転するようなことがあれば、その跡地を利用したら立派なものができるはずです。 江の島はどんな魅力的な島か知るために、小年表をつくってみました。↓ |
西暦 | 和暦 | 月 | 日 | 記 事 |
縄文時代 | 東山頂上部に縄文時代の住居跡や石器(江の島植物園改修工事で発掘) | |||
552 | 欽明天皇 | 神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ 江島神社一歳二度の祭祀この時に始まる | ||
672 | 白鳳 1 | 役小角が修行し、江の島を開基したといわれる。以来、島全域が聖域として扱われた | ||
814 | 弘仁 5 | 空海(弘法大師)が金窟(現・岩屋)に参拝し国土守護・万民救済を祈願、社殿(岩屋本宮)を創建と伝える | ||
853 | 仁寿 3 | 円仁(慈覚大師)が龍窟(現・岩屋)に籠もり、弁才天よりお告げで上之宮(現・中津宮)の社殿を創建と伝える | ||
1047 | 永正 2 | 比叡山延暦寺の皇慶(977〜1049)、「江嶋縁起」を著す | ||
1182 | 寿永 1 | 頼朝の祈願により、文覚が弁財天を江の島に勧請。頼朝は江の島に鳥居を奉納したと伝える | ||
1190 | 建久 1 | 北条時政、江の島に参籠、一族の繁栄を祈願。龍神の残した3枚の鱗をもとに、北条氏・「三鱗」の家紋と定めた | ||
1199 | 正治 1 | 良真、江の島で千日余も修行 | ||
1206 | 建永 1 | 良真の請願により、下之宮(現・辺津宮)将軍源実朝により創建 | ||
1282 | 弘安 5 | 一遍、鎌倉入りを拒まれ、江の島へ渡島したと伝える | ||
1296 | 永仁 4 | 江の島と対岸片瀬との間に海底が隆起、徒歩で渡れるようになる | ||
1450 | 宝徳 2 | 鎌倉公方足利成氏と関東管領上杉氏重臣長尾景仲の間で江の島を巡って攻防戦が行われた(江ノ島合戦) | ||
1504 | 永正 1 | 伊勢宗瑞(北条早雲)、江の島に軍勢の乱妨狼藉を禁止する禁制を出す | ||
1531 | 享禄 4 | 江島神社の真名本江嶋縁起1巻、書写→市重文 | ||
1563 | 永禄 6 | 蜷川某、岩本院に制札を掲げ、江の島参詣衆より関役をとらせる | ||
1579 | 天正7 | 北条氏照、江の島岩本坊に不入、留浦など5か条の特権を認める | ||
1629 | 寛永 6 | 江島寺梵鐘(1771年、渡内・慈眼寺に施入)、鋳造→市重文 | ||
1640 | 寛永17 | 江の島岩本院と上之坊との間に本末争論がある | ||
1680 | 延宝 8 | 江の島の猿田彦大神石廟 1基、造立→市民文 | ||
1689 | 元禄 2 | この頃、杉山検校各地に江の島弁財天への道標を建てる。現在13基残存→市重文 | ||
1694 | 元禄 7 | 杉山和一、没。江の島に笠塔婆型墓、建立→市史跡 | ||
1747 | 延享 4 | 江島神社の青銅の大鳥居創建 | ||
1761 | 宝暦11 | この年より7年に1度、相州江の島岩屋弁財天開帳が始まる | ||
1771 | 明和 8 | 旧江島寺梵鐘、渡内・慈眼寺に施入→市重文 | ||
1821 | 文政 4 | 江島神社の青銅の大鳥居、再建→市重文 | ||
1869 | 明治 2 | コッキング、江の島山頂にコッキング屋敷を建設 | ||
1875 | 明治 8 | 東大教授・ヒルゲンドルフが江の島で貝を買い、その後、オキナエビスが新種であることが分かる | ||
1877 | 明治10 | 7 | 17 | エドワード・S・モース、江の島に臨海実験所を設営 |
1877 | 明治10 | 8 | 11 | 米国の生物学者=エドワード・S・モース、同行の帝国大学の外山教授や松村助手らと江の島の海で海水に浴す |
1879 | 明治12 | 7 | 6 | 医師=エルヴィン・フォン・ベルツ、海水浴場適地を探索するため横浜から馬車で江の島に来訪 |
1882 | 明治15 | サムエル・コッキングが江の島に植物園を設立する | ||
1897 | 明治30 | 江の島・片瀬間に村営桟橋が完成する | ||
1899 | 明治32 | 8 | 20 | 『江島・鵠沼・逗子・金沢名所図会』を東洋堂が刊行 |
1900 | 明治33 | 6 | 江の島(島内、参道入口左側)に江ノ島水族館が設立される(1902.8説も) | |
1902 | 明治35 | 9 | 1 | 江之島電気鉄道藤沢片瀬間営業運転開始 使用車両=4両 |
1910 | 明治43 | 10 | 30 | 江之島電気鉄道、藤沢-小町駅間、10.2km全線開通 |
1917 | 大正 6 | 4 | 10 | 山田流琴曲の開祖・山田検校を顕彰し、山田検校顕彰碑と座像が検校100年忌に幸田露伴らによって建てられる |
1918 | 大正 7 | 日露戦争で活躍した明治時代の軍人・児玉源太郎を祀る児玉神社が創建される | ||
1923 | 大正12 | 9 | 1 | 大正関東地震により島全体が2メートル近く隆起し、海食台が海面上に現れる。江の島桟橋は津波で流失する |
1925 | 大正14 | 江の島(島内、参道入口左側)の江ノ島水族館、復旧再開(1931年の写真はあるがいつまであったか不詳) | ||
1926 | 大正15 | 12 | 14 | 鵠沼川袋の高瀬彌一邸の井戸を水源とする江之島水道通水式 |
1927 | 昭和 2 | 江の島、日本百景に選定 | ||
1929 | 昭和 4 | 4 | 1 | 小田原急行鉄道江ノ島線開通。片瀬江ノ島駅開設 |
1930 | 昭和 5 | 8 | 10 | 〜17、東京上野松坂屋で江の島展覧会開催 |
1933 | 昭和 8 | 10 | 1 | 江の島小唄完成 |
1934 | 昭和 9 | 4 | 江の島で海底透視船が営業開始する | |
1934 | 昭和 9 | 12 | 28 | 「江ノ島」の名称で、国の史跡および名勝に指定される |
1935 | 昭和10 | 4 | 1 | 文部省・県・明治天皇聖蹟保存会の後援により、全国史蹟名勝天然記 念物・明治天皇聖蹟資料展覧会開催 |
1947 | 昭和22 | 4 | 1 | 鎌倉郡片瀬町が藤沢市に編入され、藤沢市片瀬の一部となる |
1948 | 昭和23 | 1 | 10 | 片瀬中学校自然科学部、『かわいい科学者』を創刊。江の島を継続研究 |
1948 | 昭和23 | 3 | 新宿三越で江の島展(鳩禁猟札、岩屋写真等出品) | |
1949 | 昭和24 | 4 | 25 | 木造の江の島桟橋、コンクリート橋脚の「江の島弁天橋」(有料)となる |
1949 | 昭和24 | 12 | 藤沢市が「海洋総合博物館建設計画」の一環としてコッキングの庭園跡地を整備、「江の島熱帯植物園」として公開 | |
1950 | 昭和25 | 1 | 新宿二幸で「新宿博覧会」が開かれ、弁財天が出陳 | |
1950 | 昭和25 | 江の島熱帯植物園、江ノ島鎌倉観光(後の江ノ島電鉄)の委託経営となり、「江の島植物園」と改名 | ||
1951 | 昭和26 | 3 | 25 | 江ノ島鎌倉観光、読売玉川園の落下傘塔を移設し、江の島平和塔落成 |
1952 | 昭和27 | 7 | 2 | 観光宣伝のため松本市で江の島写真展開催 |
1953 | 昭和28 | 7 | 29 | 観光宣伝のため東京有楽町オリオン座にて江の島観光写真展開催 |
1953 | 昭和28 | 12 | 22 | 木造彩色弁財天坐像 (江島神社 )、県指定有形文化財(彫刻)に登録 |
1954 | 昭和29 | 3 | 東京銀座松屋に裸弁財天出陳 | |
1956 | 昭和31 | 5 | 8 | 市観光写真展、長野市で開催 |
1958 | 昭和33 | 1 | 14 | 太刀 銘 肥前国佐賀住 1口(江島神社)、県指定有形文化財(工芸品)に登録 |
1958 | 昭和33 | 江の島弁天橋、全面コンクリート製となる | ||
1959 | 昭和34 | 3 | 5 | 藤沢市は米国マイアミビーチ市と姉妹都市提携を結ぶ |
1959 | 昭和34 | 江ノ島鎌倉観光が日本国内初の4連屋外エスカレータ江の島エスカーを開設 | ||
1959 | 昭和34 | 江の島植物園にインドネシアスラウェシ島のトラジャ族の家屋を模した「南方民俗館」を開設 | ||
1960 | 昭和35 | 4 | 観光宣伝のため岡山県津山市と鳥取市で江の島観光展開催 | |
1960 | 昭和35 | 6 | 10 | 文化財保護委員会は「江ノ島」に係る国の名勝および史跡の指定解除を決め、同年6月29日に解除 |
1960 | 昭和35 | 10 | 4 | 江ノ島(江の島振興連絡協議会)、県指定史跡名勝に登録 |
1961 | 昭和36 | 4 | 14 | 〜16、観光宣伝のため郡山市及び米沢市で江の島観光展開催 |
1961 | 昭和36 | 5 | 16 | 東京日本橋白木屋で江の島錦絵展開催 |
1961 | 昭和36 | 7 | マイアミビーチショー(東京産経ホール)に弁財天開陳 | |
1962 | 昭和37 | 4 | 17 | 〜22、観光宣伝のため岐阜市で江の島観光展開催 |
1962 | 昭和37 | 神奈川県道305号江の島線自動車専用橋「江の島大橋」が開通し、「江の島弁天橋」の通行料が無料となる | ||
1963 | 昭和38 | 3 | 25 | 杉山和一の墓(江の島2-2-14 西浦霊園管理委員会)、市指定史跡に登録 |
1963 | 昭和38 | 4 | 17 | 盛岡市及び弘前市で江の島観光物産展約1ヶ月間開催 |
1963 | 昭和38 | 5 | 新宿小田急デパートに弁財天出開帳 | |
1963 | 昭和38 | 湘南港、江の島ヨットハーバー、江の島漁港が開設される | ||
1964 | 昭和39 | 10 | 12 | 〜10/21、江の島で東京オリンピックのヨット競技を開催 |
1964 | 昭和39 | 藤沢市植物園条例(昭和39年藤沢市条例第26号)制定→江の島植物園、再び藤沢市の運営となる | ||
1965 | 昭和40 | 5 | 31 | 群猿奉賽像の庚申供養塔(江島神社)、市指定有形民俗文化財に登録 |
1966 | 昭和41 | 1 | 17 | 江の島弁財天道標 12基、時宗板碑 2基、市指定重要文化財(建造物)に指定 |
1966 | 昭和41 | 4 | 八臂弁財天、県文化財展(横浜有燐堂)に出陳 | |
1969 | 昭和44 | 2 | 八臂弁財天、横浜高島屋に出陳 | |
1970 | 昭和45 | 辺津宮旧神楽殿跡に法隆寺夢殿を模した八角堂「奉安殿」開設。神奈川県博物館協会加盟施設 | ||
1971 | 昭和46 | 3 | 7 | 岩屋で落石事故。立ち入り禁止となる |
1971 | 昭和46 | 7 | 5 | 八方睨みの亀の絵 (江島神社)、市指定有形文化財(絵画)に登録 |
1971 | 昭和46 | 7 | 5 | ツカミヒイラギ・クックアロウカリア・シマナンヨウスギ・タイミンチク群 (江の島)、市指定天然記念物に登録 |
1972 | 昭和47 | 10 | 藤沢市文化財展示会(市民会館)に「八方睨の亀」出陳 | |
1976 | 昭和51 | 貝広物産店、店内に「世界の貝の博物館」を設ける | ||
1979 | 昭和54 | 3 | 3 | ・11、藤沢市民オペラ第4回公演市民創作オペラ「竜恋譜」全2幕 |
1979 | 昭和54 | 6 | 江ノ電百貨店でモースと江の島展開催 | |
1980 | 昭和55 | 4 | 稚児ヶ淵が神奈川県の景勝50選に登録 | |
1980 | 昭和55 | 8 | 8 | 〜12、江ノ電百貨店で大藤沢展開催 |
1981 | 昭和56 | 7 | 29 | 〜8/3、市民ギャラリーにて文書館主催による「藤沢の歴史展」開催 |
1981 | 昭和56 | 9 | 17 | 〜21、市民ギャラリーにて「呉コレクション江の島浮世絵展」開催 |
1981 | 昭和56 | 11 | 24 | 県選定「かながわのむかしばなし50選」に「天女と五頭竜」が入る |
1982 | 昭和57 | 11 | 3 | 県立「婦人総合センター」が開館 |
1982 | 昭和57 | 11 | 16 | 県商工部により「かながわのまつり50選」に江の島天王祭が選ばれる |
1983 | 昭和58 | 3 | 1 | 〜21、江の島地区文化財展(於:県立婦人総合センター) |
1984 | 昭和59 | 3 | 26 | 江嶋縁起 (藤沢市文書館)、市指定有形文化財(絵画)に登録 |
1984 | 昭和59 | 3 | 26 | 真名本 江嶋縁起(江島神社)、市指定有形文化財(書跡)に登録 |
1984 | 昭和59 | 8 | 10 | 〜15、文書館主催「江ノ島今昔」展(於:江ノ電百貨店) |
1984 | 昭和59 | 10 | 24 | 〜11/4、「藤沢の文化財」展(於:市民ギャラリー) |
1985 | 昭和60 | 4 | 14 | 江の島北緑地にエドワード・S・モースを記念する「日本近代動物学発祥の地記念碑」を設立 |
1986 | 昭和61 | 10 | 29 | 〜11/3、藤沢文化財展「庶民の祈り」(於:市民ギャラリー) |
1986 | 昭和61 | 江の島地区整備検討委員会が地元に設置される | ||
1987 | 昭和62 | 1 | 浅草松屋デパートの「七福神展」に妙音弁財天、浮世絵など出陳 | |
1987 | 昭和62 | 3 | 23 | 〜5/31、「なつかしの江の島名所絵葉書」展(於:文書館) |
1987 | 昭和62 | 5 | 15 | 〜6/1、「湘南地区観光パネル展」開催(於:市民ギャラリー地下展示場) |
1987 | 昭和62 | 9 | 9 | 〜20、「江の島浮世絵展」(於:市民ギャラリー) |
1988 | 昭和63 | 4 | 18 | 〜31、「湘南地区観光展」が市民ギャラリー地下道展示場で開催 |
1988 | 昭和63 | 4 | 7 | 江の島地区整備検討委員会、島ぐるみ野外博物館構想を目標に地区整備計画「江の島まちづくり憲章」を定める |
1989 | 平成元 | 8 | 11 | 〜9/30、市文書館で「江の島絵図展」を開催 |
1989 | 平成元 | 8 | 30 | 横浜博覧会で「藤沢デー」開催 |
1990 | 平成 2 | 江の島地区、都市景観条例に基づき、特別景観形成地区に指定。建物のデザインコンセプトを決める | ||
1991 | 平成 3 | 1 | 神奈川県立博物館に「江島縁起」出陳 | |
1991 | 平成 3 | 4 | 1 | 県立婦人総合センター、「かながわ女性センター」に名称変更 |
1991 | 平成 3 | 10 | 市教育委員会、文化財展開催。江島縁起及び江島弁財天縁起二巻出陳 | |
1993 | 平成 5 | 閉鎖されていた岩屋が調査・整備の後、有料観光施設として再開される。旧江の島館跡地に江の島大師創建 | ||
1994 | 平成 6 | 1 | 江の島道、「かながわ古道50選」に選定 | |
1994 | 平成 6 | 江の島植物園(ツバキ)、かながわ花の名所100選に選定 | ||
1995 | 平成 7 | 3 | 31 | 博物館建設準備調査報告書 ; 第1集『江の島の民俗』を刊行(頒布価格 3,500円) |
1995 | 平成 7 | 3 | 予算特別委員会でミニ博物館設置の借入金に利子補給をする江の島観光地活性化特別融資利子補助金を説明 | |
1995 | 平成 7 | 7 | 12 | 市観光課と市観光協会、日本橋プラザビル・イベントホールで観光キャンペーン開催 |
1995 | 平成 7 | 市「湘南なぎさシティ計画」を検討、島ぐるみ博物館構想をその中に含める | ||
1996 | 平成 8 | 4 | 江の島・藤沢ガイドクラブ、結成 | |
1997 | 平成 9 | 2 | 12 | 江島神社青銅鳥居(江の島1-3)、市指定文化財(建造物)に登録 |
1997 | 平成 9 | 2 | 市議会2月定例会で江の島の歴史的文化遺産の活用を図る事業の経過報告 | |
1997 | 平成 9 | 3 | 市議会予算特別委員会で江の島の全逓会館の取得について報告 | |
1997 | 平成 9 | 11 | 市議会行政改革等特別委員会で「江の島植物園の管理運営業務について、全体的な見直しの中で検討する」説明 | |
1998 | 平成10 | 2 | 市議会2月定例会で関根久男市議より江の島ぐるみの観光を活用するための提言 | |
1998 | 平成10 | 8 | 第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)のヨット競技会場となる | |
1999 | 平成11 | 9 | 第1回「江の島歌舞伎」公演(かながわ女性センター)。以後隔年に開催。江島神社中津宮境内に記念碑建立 | |
1999 | 平成11 | 11 | 2 | 市教育委員会、リーフレット『絵葉書に見る江の島今昔』を刊行(残部なし) |
1999 | 平成11 | 湘南港にセンタープロムナードとサザエ島完成。「金亀楼」跡地の建造物が撤去され、「花の広場」となる | ||
2000 | 平成12 | 10 | 江の島参道に「片岡鶴太郎美術館」オープン | |
2000 | 平成12 | 11 | 7 | 市教育委員会、リーフレット『江の島縁起絵巻』を刊行(残部なし) |
2001 | 平成13 | 2 | 13 | 江の島囃子(江の島囃子連合会)、県指定無形民俗文化財に登録。江の島、かながわ未来遺産100に選定 |
2001 | 平成13 | 岩本楼ローマ風呂、国の登録有形文化財(建造物)に登録 | ||
2002 | 平成14 | 3 | 市議会予算等特別委員会で江の島の島頂部計画施設計画のデザインについて論議 | |
2002 | 平成14 | 植物園改修工事現場から縄文土器類1万点が出土。さらにサムエル・コッキングの建設した温室設備を発見 | ||
2002 | 平成14 | 9 | 市議会民生常任委員会・決算特別委員会で江の島周辺の海水浄化について論議 | |
2002 | 平成14 | 12 | 31 | 江ノ島電鉄は、同社開業100周年記念事業として新江の島展望灯台建設。初点灯 |
2003 | 平成15 | 3 | 28 | 藤沢市江の島サムエル・コッキング苑条例制定 |
2003 | 平成15 | 3 | 31 | 市教育委員会、『江の島岩本院の近世文書』を刊行(頒布価格 2,800円) |
2003 | 平成15 | 4 | 29 | 植物園が整備され、江の島サムエル・コッキング苑オープン |
2003 | 平成15 | 5 | 5 | 江の島の「片岡鶴太郎美術館」閉館 |
2003 | 平成15 | 10 | 14 | 市教育委員会、リーフレット『「江の島」から“湘南"へ』を刊行(頒布価格 200円) |
2004 | 平成16 | 3 | 市議会予算等特別委員会で岩屋再開とコッキング苑の効果、島の入り口での浴場工事と景観条例について論議 | |
2004 | 平成16 | 6 | 市議会6月定例会で三野市議を中心に島ぐるみ野外博物館構想について論議 | |
2004 | 平成16 | 12 | 15 | 旧二見館跡にスーパー銭湯「江の島アイランドスパ」、オープン |
2005 | 平成17 | 2 | 市議会2月定例会で参道などの道路並びに附属施設、公衆便所などの公共施設の修景整備実施報告 | |
2005 | 平成17 | 3 | 31 | 藤沢市教育文化センター、藤沢の自然5「みどりの江の島」を刊行 |
2006 | 平成18 | 5 | 江の島みちルネッサンス推進会議、結成 | |
2008 | 平成20 | 9 | 14 | 森 悟朗(國學院大學助教)、「観光の地域づくりと宗教文化資源―神奈川県江の島を事例として―」発表 |