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芥川龍之介:『歯車』『歯車』は芥川龍之介の最後の小説で、生前に第一章が雑誌『大調和』に発表され、自死(1927(昭和2)年7月24日)後、遺稿として発見された残りと共に全文は『文藝春秋』1927(昭和2)年11月号に掲載された。執筆期間は1927(昭和2)年3月23日から4月7日までとされる。この間、3月28日から4月2日までは文夫人・三男也寸志と東屋に滞在しており、龍之介は鵠沼から田端に戻ったが、文夫人・也寸志は5月4日まで東屋に滞在したという記録があるから、少なくとも前半部分は鵠沼で書かれた可能性もある。執筆当初は芥川は「夜」や「東京の夜」という仮題をつけていた。 青空文庫などで読むことができる。 話の内容は六章に分かれ、冒頭で、「僕」と語る主人公がレエン・コオトを着た幽霊の話を自動車に乗り合わせた或理髪店の主人から耳にする。特に気にしないでいたものの、その後事あるごとにレエン・コオトが現れ、「僕」を悩ませる。後になって、このレエン・コオトは義兄・西川豊が轢死したとき身に着けていたことを知る。 「僕」は表面上はごく自然に振る舞っているが、奇妙な暗示と符合はレエン・コオトのみに留まらず、赤光、黄色いタクシー、黒と白、もぐらもち、翼、火事、復讐の神などが繰り返し現れる。やがて視界には半透明の歯車が回りだし、その数を増し、あとから激しい頭痛に襲われる。「僕」がそれらの不可解な暗示を恐れ、心理的な迷路の中でさまよい、もがき苦しむ様子が淡々とした語り口で描かれている。 『歯車』には鵠沼という地名の明記はない。 冒頭の「僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がはは大抵松ばかり茂つてゐた。」とある「避暑地」が鵠沼海岸であり、「東海道の或停車場」というのが藤沢駅であることは明白だろう。 そして、「自動車の走る道」というのが第0258話で紹介した高瀬通りであり、「棗のやうにまるまると肥つた、短い顋髯の持ち主」の「或理髪店の主人」は、第0268話で紹介した小林理髪店の小林政吉である。 結末の 「そこへ誰か梯子段を慌しく昇つて来たかと思ふと、すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。僕はその誰かの妻だつたことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突つ伏したまま、息切れをこらへてゐると見え、絶えず肩を震はしてゐた。 「どうした?」 「いえ、どうもしないのです。……」 妻はやつと顔を擡げ、無理に微笑して話しつづけた。 「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?」 を読むとき、これが自死の3か月半前に書かれたことを思い、ゾッとせざるを得ない。 |
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鵠沼を語る会 副会長/鵠沼郷土資料展示室 運営委員 渡部 瞭 |
[参考文献]
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